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第82話 無垢な恋人

 リビングには割れた硝子のコップが散乱していたが、それを片づけるのは後回しにして、冬多は救急箱を持ってきた。  今にも泣きだしそうな顔で、傷の手当てをしてくれる冬多を見ていると、進一郎のほうこそ胸が痛む。 「傷跡、残らきゃいいけど……」 「こんなかすり傷、跡なんか残らないよ。それに例え残ったとしても、男なんだから、そんなに問題じゃないって」 「ダメだよ! 佐藤くん、こんなに綺麗なのに……、傷なんかつけちゃダメだよ……!」  必死に言い張る冬多の剣幕に、進一郎は呆気にとられ、やがて苦笑する。 「冬多に綺麗だなんて言われたら、なんか変な気分だよ」 「え?」 「だって、冬多のほうこそこんなに綺麗なのに……」  進一郎は冬多の前髪をかき上げてやり、額にチュッとキスをした。それから唇にキスをしようとしたとき、  ク――。  二人のおなかが、同時に小動物の鳴き声のような音で、空腹を主張した。  冬多がキッチンで朝ごはん兼お昼ごはんの用意をしているあいだに、進一郎はリビングに散らばった硝子の破片を掃除した。  砕けた硝子のコップを見ていると、深夜のシゼンが思い出されて、進一郎の胸はひどく痛んだ。  進一郎が重い溜息をついたとき、 「佐藤くんー、ご飯できたよー」  邪気のない冬多の声が聞こえた。  睡眠もたっぷりとったし、冬多のおいしい手料理でおなかもいっぱいで、手を伸ばせば届く近さに愛しい恋人がいる。  そうなれば、したいことは一つしかない。  進一郎は食事の後片付けをしようとしている冬多を後ろから抱きすくめて、細い首筋に唇を這わせた。

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