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第3話

「じゃあ……お姉さんは……亡くなったんですか……」 そう言いながら、宮司(ぐうじ)()ちるは手元の湯飲みに視線を落とした。濃い目の茶が少しだけ残っている。 「残念……でしたね」 感情を――悲しみだろうか――抑えた声だった。龍之の位置からは、満ちるがかけている眼鏡が邪魔をして、彼の表情はわからなかった。 「仕方が無いよ。俺自身は――とっくにそんな気がしてたし」 「前に龍之さんが話していたあの夢……もしかしたら、ほんとにみずほさんが会いに来たのだったかもしれないですね――」 満ちるは以前龍之と同じく小説を書いていた。だが父親が病気で亡くなって実家へ戻ることになり、それと同時に書くのも止めてしまっていた。都内からも離れ、今は土地持ちだった父の後を継いで、形ばかりではあるがアパートや借家の大家業をしている。自身も父の遺産であるこの大きな家に住んでいた。本来彼は働かなくとも悠々と暮らしていける身分なのだ。 龍之は彼の書くものが好きだった。できればまた書いてもらいたいとも思っていたが、満ちるは書くのを止めた理由を龍之に特に語ろうとはせず、龍之も、あらためて聞こうと思うとその機会はなかなか無かった。 みずほは東京にいる龍之に何度か会いに来た事がある。その時、同じアパートに住んでいて知り合いになった満ちるを誘い、一緒に東京見物をして食事した。その時満ちるは、みずほと本や映画の話で随分と気が合っていた。趣味が近かったようだ。そんなこともあって、龍之は姉の駆け落ちのことを満ちるに知らせていた。 白夜と鳥斗は相当疲れていたのか、襖を隔てた隣の客間に用意してもらった寝床で、そうそうに寝付いてしまったようだ。 あの後――龍之は二人に大まかに事情を聞いてから、電車を乗り継ぎ、友人である満ちるの家へ二人を連れて来たのだった。自分一人ならどうとでもなったが、彼らがいてはここ位しか世話になれる場所が思い当たらない。桜子のところからはちょっと遠いが、明日また様子を見に行けばいいだろう。 「不思議な話ですけど……彼らが言うのが本当だとしたらまるで……桃源郷のようなところですね、みずほさんの駆け落ちした先は……」 満ちるは龍之と自分、二人の湯飲みに急須から茶を注ぎ足した。 白夜によると――彼と鳥斗は人の街からずっと離れた山奥の、彼らの郷里に住んでいた。そこにはみずほを連れて行った男――鳥斗の父の屋敷があった。彼は里では高貴な血を引く一族の息子で、白夜はその家に仕える従者の一人だった。 やがてみずほはそこで鳥斗を産んだ。だが数年前に身体を壊し、あっけなく亡くなってしまったと言う。その後鳥斗は父と暮らしていたのだが、やがて里長が不慮の事故で命を落としてしまった。その里長は、鳥斗の父の兄だった。 突然長を失った里の者に請われ、鳥斗の父は後を引き継いで一族のために長となり、今度は里の娘とつがいにならざるを得ず――純粋な一族ではなく――ヒトの血が混ざる鳥斗は、新しい妻に疎まれ、居場所を失ってしまったのだった。そうして鳥斗の世話を託された白夜と二人きりで――追われるようにして里を出てきた。 「まあかなり……おかしなところはあるんだけど……あの鳥斗の年齢とか、どうして俺の今の住所を見つけたのか、とか……な。でも少なくとも姉貴はそこで暮らしてた間、不幸ではなかったみたいだから」 「……それなら良かった」 満ちるが静かに微笑む。 「じゃあ鳥斗君は、生まれて十年経ってない……ってことになる訳ですよね?」 「そうなるなあ……姉貴が家出したのが十年前だから。でも白夜が言うには、禽鳥――連中の種族なのかな、そいつらは十年もたてば独り立ちしなけりゃならないから――体つきもその前に大人と同じになっちまうらしい。あいつらに言わせると、人の血が入ってるせいか、鳥斗はあれでも成長が遅いらしいんだ」 「人間の子供が一人前に成長するには――大概の他の生き物と比べて時間がかかりますからね。その分長生きですが」 「けどその禽鳥ってのは――寿命も長いんだとよ。人よりずっと。白夜のやつもああ見えて俺より大分年上だと言ってた。育つのに時間がかかると生き延びるのに不利だから、早く身体が完成するってことらしいけど」 龍之は湯飲みに口をつけ、茶を啜ってから訊いた。 「で、どう思う?――やっぱ……いかれてんのかね?あいつら」 「うーん……」 満ちるが腕組みをして考え込んでいると、玄関の引き戸を開ける音がした。 「ただいまあ」 襖を開けて大股に部屋に入って来たのは、満ちるの弟の人貴(ひとき)だったのだが、龍之を見ると大声を上げた。 「あっ!この……疫病神!また兄さんとこに出入りしてんのか!」 人貴は、以前時たま満ちるに借金したりしていた龍之をだらしがないと言って目の敵にしている。顔を合わせるたびいつもこの調子なので、すっかり慣れっこになっている龍之は、人貴の憤った様子にはまったく頓着せずに挨拶した。 「よぉ、クソガキ。元気か?」 「クソガキ言うな!もう社会人だぞ!オッサンみたいな自由業と違ってちゃんと勤めてるんだからな俺は!」 「あーそうだ、就職したんだったよな。あれ?引っ越したとか言ってなかったか?」 満ちるが答えた。 「そうなんですよ。せっかく通勤が楽な会社のそばの独身寮に入ったのに、わざわざこっちに帰ってくるんです」 「相変わらず兄ちゃんに甘えてるんだ。あ~あ、満ちる、お前も大変だな」 「うるせえな。寮にいるとしょっちゅう職場から呼び出しがかかって、せっかく有休とったって休めやしねえんだよ。だからゆっくりしたい時は家で寝ることにしてんの!」 満ちるが注意した。 「おい人貴。隣の部屋で寝てる人いるから……もう少し声落とせ」 「寝てる?」 人貴がそちらを振り返ると、丁度鳥斗が襖を細く開けて顔を覗かせた所だった。満ちるが言う。 「ああほら、起こしちゃった。ごめんね、うるさくして。もう静かにするので眠ってていいですよ」 「はい……叔父さん、大丈夫?」 鳥斗は心配そうに龍之の顔を見た。龍之が片手をひらひらさせて答える。 「大丈夫大丈夫。ほら人貴、お前がつっかかってくるから……ケンカしてると思われて心配されたじゃねえか」 「ご、ごめん……。え?何で俺がアンタに謝るんだよ!?」 「人貴」 満ちるは弟をたしなめながら立ち上がると隣の部屋へ行き、鳥斗が布団に入る手助けをしてやった。眠そうに再び目を閉じた鳥斗の顔は――みずほによく似ている。満ちるはそれを見て微笑んだ。数回しか会ったことはないけれど、彼女の顔は忘れられない。今でもはっきりと覚えている……。 居間へ戻って後ろ手に襖を閉める。 「寝た?」 「ええ。かなり疲れてるようですね」 「まあなあ……ここ来る途中でも、電車乗せてやったら見るもの聞くものいちいちびっくりしてさ……あれじゃくたびれもするよ。街が相当珍しいらしいや」 「一体なんなんだよ……オッサン一人じゃねえのかよ」 スーツを着替えてきた人貴がどさりと腰を降ろしながら言う。 「そうです。オッサン今日はコブつき」 冗談めかしてそう言った龍之の顔を人貴は睨みつけ、 「まさか隠し子?」 と訊いた。 「バカ言え、いくら俺でもあんなでかい子供はいねえよ。どうやら……姉貴の子らしいんだけど」 龍之は簡単に事情を説明した。 それを聞くと人貴は呆れたように、 「ばかばかしい……山奥に住む禽鳥(トリ)の一族?本気にしてんの?そんな話」 と言う。 「騙されてるに決まってるじゃんか」 「でもなあ……言ってることがまるでデタラメとも……それに演技だとも思えねえんだよなあ。妙にリアルっつうか……」 「だったらおかしな考えにとり憑かれてるイカレた連中なんだろ。兄さんもなんだよ、体よくのせられて、寝床提供しちまって……居つかれたらどうするんだよ!?」 「……居ついたって構わないさ……」 弟にも茶を注いでやりながら、満ちるは呟いた。

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