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第6話

「ああもう……朝イチで桜ちゃんのとこ行こうと思ってたのに――こりゃ無理だ」 龍之は唸りながら、満ちるの家の居間のテーブルでノートパソコンのキーボードを叩いていた。桜子はパソコンを投げつけてきた際、それと一緒に本体からは外してあった電源コードまで放ってよこして来ている。気が利いてんだかなんなんだか。龍之は心の中でブツクサ言った。 ……〆切がすぐなの覚えてたのか?仕事するのにバッテリー切れで俺が困らないようにってとっさに配慮したんだろうか。そうするとまだ脈があるな。いやしかし……俺の財布も叩きつけてきたし、帰って来るなっていう意味とも取れる……ううん、読めん。女心は複雑だ…… 気が散るのをなんとか押さえながら濡れ場の描写を続けていると、いつの間にか鳥斗がすぐ傍らにいて、画面を覗き込んでいたので驚いた。 「うわっ!?と、鳥斗!言ったろ!これはその……大人向けだからお前にはまだ……」 龍之は慌ててモニターを両手で覆った。 「それ、お話ですか?叔父さんの?」 「え?うん……一応そうだけど……」 「そうか……僕もヒトの字が読めたら良かったのにな……」 「字、読めないの……?」 「はい……」 鳥斗は頷いた。 「母さんが教えてくれようとしたんだけど……僕早く一人前になりたかったから、狩りの稽古にばかり行ってて母さんの言うこと聞かなかったんです。狩りがヘタだと出来損ないってみんながからかうからそれが嫌で。でもちゃんと字教わればよかった……母さん言ってたのに、いつかきっと役に立つ、って」 「狩り、ねえ……まあ字はさ、これからでも勉強したらいいよ。俺、仕事一段落したら教えてやるからさ、姉貴の代わりに」 「はい……」 鳥斗は嬉しそうに頷くと、邪魔をしないよう気を使ったのか居間を出て行った。 一方白夜は台所でさっそく満ちるに料理を教わっていた。人貴は立ち働いている彼らの後ろでコーヒーを啜りつつ、新聞を読むフリをしながら白夜を見張っていた。本当は昨夜の寝不足がたたって眠く、昼寝でもしたかったのだが、兄と白夜を二人きりにするのは心配だ。 料理に慣れない白夜に、服を汚さないようにと満ちるがエプロンを着けさせた。かなり背の高い白夜のエプロン姿は人貴にはひどく滑稽に見え、何度かからかおうとちょっかいを出したのだが、料理に真剣に取り組んでいる白夜には全く相手にされないし、満ちるにも怒られたので仕方なく黙って大人しくしていた。 白夜は今は野菜の下ごしらえを習っている。 「へえ、皮?……剥くんですか」 「そう。あとこっちの茄子は……あ、き、気をつけて!それじゃ刃先が滑ったら指切っちゃいますよ!」 白夜は力はあるようなのだが、コツが飲み込めないらしく包丁の使い方がかなり危なっかしい。 「みずほ奥様にもそう言われて……怪我しそうだからってなかなか教えてもらえなかったんですよねえ……」 とため息をつく。 「しかし料理って結構厄介ですね。なるほどこれだけ手間かければ、美味しいものが作れるわけだ。丁寧だな、人間は」 聞きとがめて人貴は訊ねた。 「人間じゃないアンタは何をどうやって食ってたんだよ?」 白夜は手を止めずに答える。 「こういうのはまあ……そのまんま、丸ごとですね。あと獲物は……爪で引き裂けばいいし。簡単なもんです」 ……爪?それを聞いたとき、人貴はなぜか、昨夜庭で見たあの真っ黒で大きな鳥を思い浮かべた。鼻先をかすめて行った鉤爪らしいもの……。やや気味が悪くなったのを誤魔化すために、人貴は白夜に向かってせせら笑ってみせた。 「爪で引き裂くって……どこ?どこにそんな頑丈な爪があるっての?」 人貴は椅子に座ったまま、広げた新聞のかげから首を伸ばして白夜の手元を覗いた。不器用に包丁を握るその手は、ごく普通の人間のものだ。 「お前には……見えないだろうねえ。けれど少しだったら……見せておいてやってもいいか……」 背を向けたままの白夜が言った。その声は……喋ったのではなく、彼の背中あたりから発せられたようなおかしな響き方をした。それを聞いたと同時に――人貴は背筋が寒くなった。白夜の姿が……一瞬違って見えた気がしたからだ。人ではない別の何かに――。 頭を振って気を取り直す。寝不足のせいだ。 「何が見えた?」 いつの間にか白夜がこちらを向いていた。包丁を置き、両手を身体の脇に下ろす。その指先に――鋭くて長い鉤爪が―― 人貴は青褪め、思わず立ち上がって後ずさりした。食卓の椅子が後ろに倒れてガタンと大きな音をたてる。満ちるがそれに驚き、振り返って訊ねた。 「どうした人貴?なにやってるんだ?」 「えっ!?あ。ああ。いや、なんでも……」 気付けば白夜は何事もなかったように相変わらず人貴に背を向けて包丁を使っている。その手に――鉤爪などありはしなかった。 人貴は立ち上がったままぼう然と 「やっぱ俺……寝なおしてくる」 と呟いて台所を出た。 「人貴さんは……人間の割には本能が強く残ってるようですね」 出て行った人貴を振り返って見送っていた満ちるに、白夜が言った。 「本能?」 「はい」 白夜は手を止めて言う。 「我々の本当の姿ははっきりわからなくとも――本能で不安を感じとって不愉快になってるんでしょう。油断できないと思ってるんですよ、いつ狩られるかわからないから」 「か……狩られる?」 「はい」 びっくりして問い返した満ちるに白夜はにっこりと微笑んだ。 「でも我々は、普通人間を食用にはしないし。それにお世話になってる方のお身内を襲ったりしません。ご安心下さい」 「はは……そ、そう。それならよかった。安心しました」 満ちるはややひきつった笑顔でそう答えた。 「でも本当の姿って……?君は僕らと同じに見えますけど」 「あなたに見えてるのは私の本当の形じゃありません。ヒトに擬態するのなんて簡単なんです。でも中には誤魔化されない人間もいますけど……みずほ奥様がそうでした」 「みずほさん?」 「はい」 白夜は、懐かしそうに目を細め、顔を上げて流しの前の小さな窓から空を眺めた。 「でも奥様は――我々を恐れたりしなかった。色んなことを教えてくれました。あなたたちの生活の事」 「僕らの?」 「はい。私はそのお話を聞いて……人間というのは……良いものだなと思ったんです。それまでは、自分の身体に羽根も蹴爪(けづめ)も持たず、道具に頼らなければ何もできない、下等でひ弱な生き物だとしか見ていなかったのに」 みずほは一体……どんな話を彼に聞かせたのだろうか。 「私の妹は――早くに死にました。産まれつき弱く、小さくて……狩りにも繁殖にも不向きな身体だった。だから――里で生き延びることは許されなかったのです」 白夜は淡々と続ける。 「家族の者は皆すぐに妹の事を忘れました。私もそうでした。そうするのが当たり前だからです。劣っているものを庇うのは――里では禁忌なのです。彼らの存在は一族の血を(けが)すから。弱くて死んだもののことは、誰も顧みない。けれど旦那様がみずほ奥様を里に連れて帰られたとき、私は突然妹の事を思い出しました。奥様も妹と同じに――小さく弱く見えたからです。けれど奥様は、本当はとてもお強い方でした。身体がではなく、お心が。おそらく我々の誰よりも」 その通りだ……と満ちるはみずほを思い出した。そう、彼女は強かった。だから僕は、彼女に会うと――あんなに心が落ち着いて―― 「そうしてやがて――奥様は鳥斗坊ちゃんをお産みになりました。産まれたばかりの坊ちゃんは私の妹よりずっと弱々しくて、すぐに死んでしまうかと――けれど奥様は、坊ちゃんのことをそれはもう慈しんで、大切に育てられたんです。そうして私に、人間は、たとえ産まれた赤ん坊がこの子よりずっと弱くとも、皆で助けて生き延びさせる努力をするのだとおっしゃいました。私は思いました――人間の街に産まれていたら、妹もああやって助けられ、大切にされて――今も生きていたかもしれない」 黙って聞きながら満ちるは思っていた。――もし僕が、彼らの里で産まれていたら――その厳しい環境下では、確実に淘汰される側だ。 「それで私は――人間の良さがわかりました。なぜ旦那様が奥様とつがいになられることを決意したのかも。――坊ちゃんは人間である奥様から産まれたから、確かに成長は遅いし形も違います。でも、だからってなにも劣っているわけではありません」 白夜は何故だか必死な様子でそう語る。満ちるは想像した。おそらく鳥斗は――彼らの里では蔑まれ、軽んじられる存在だったのだろう。本来、生き延びる資格などのない――だが彼は、どんなに不利な弱い身体でも、生きる事を恐れなかったのに違いない。あの子は強い母を持っている。あのみずほの――忘れ形見だから。 「君は……鳥斗君がとても大切なんですね」 満ちるは呟いた。 「はい。なにより」 白夜は誇らしげに言う。 「坊ちゃんには、私にできることはなんでもして差し上げるつもりです。旦那様と奥様に頼まれましたから」 「君がついてれば鳥斗君も心強いでしょう。僕も――鳥斗君にしてあげたい事があるんですが、いいですか?」 「満ちるさんが坊ちゃんに?何をです?」 満ちるは笑った。 「まずは……君に料理の特訓を。鳥斗君がいつでも美味しいものが食べられるようにね。その野菜、下ごしらえが終わったら、天ぷらにしましょう」

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