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第11話

翌朝はトラックはなかったので、人貴と鳥斗は電車で会社へ向かった。 都心に近付くにつれ、ラッシュアワーで混雑度が増す電車に鳥斗はかなり戸惑っていたようだった。が、乗換駅の人込みの中を、人貴がいつものクセで足早に歩いても迷子になったりはせず、きちんと付いて来る。 ――連中は山奥で狩をして暮らしていると言った。白夜は人貴の勤め先――鳥斗の居場所をどうしてだかちゃんと突き止めた。龍之は、彼の姉も知らなかったはずの桜子の住まいに、鳥斗たちがどうして辿り付けたのか不思議がっていた。訊ねても鳥斗はただ、わかったから……としか答えられなかったらしい。逆にこちらが鳥斗を見失いそうになりながら人貴は、彼らには――なにか独特の探査能力が備わっているのではないだろうかとふと考えた。 会社近くの地下鉄の改札を抜けたところで立ち止まった。自分より大分小柄な鳥斗だが、さほど遅れず付いて来ている。それを待っている間に――馬鹿馬鹿しい話だが、こうなったらぜんぶ認めるより仕方が無い、と人貴は急にあきらめがついた。彼らの言う通りを信じても信じなくても、彼らがここに存在するのには違いが無い。あら探しをして連中のインチキを暴いてやろうと思っていたが、理解できない事が増えるばかりで――正直どうでも良くなってきた。 人貴は自分に追いついてきた鳥斗に、スーツの内ポケットから社員食堂の食券の綴りを掴み出して渡した。 「昨日これやるの忘れてた。これ食堂持ってくとさ、昼飯買って食えるから。場所は一緒に働いてる人に聞きな……」 「え……ありがとうございます!」 受け取りながら鳥斗は頬を上気させ、ひどく嬉しそうな様子になった。特別美味いものを出す食堂というわけでもないんだから、そんなに喜ばれてもな……そう思いながら人貴は訊ねた。 「昨日は昼飯どうした?俺忙しくてうっかりしてたんだけど」 「あ、昨日は……室長さんに、食べるものいただきました」 「梅田さんが?そうだったか」 何か買ってくれたのならその分の金額を梅田に払おうと、人貴も一緒に管理室へ寄った。鳥斗は着替えのためロッカールームへ入っていった。 「昨日の昼飯代?ああいいよいいよ。そこのコンビニで握り飯二つばかし買ってやっただけなんだから」 人貴に訊かれると梅田はそう答えた。 「すみません。今日は社食の食券持たせときましたから」 「あっそう?じゃあ食堂連れてくよ。……しかしあの子の生い立ちさあ、面白いよねえ」 「はっ?」 あいつ……なに話したんだ?やや顔を引き攣らせた人貴に梅田は笑って続ける。 「昼飯食わせたとき、少し話したんだけど……なんてったかな、お父さんが……外人かなにからしいねえ。だからまあ……ちょっとトンチンカンなのは仕方がないよな」 「外人……はあ、まあ」 梅田はうまいこと勘違いしてくれているようだ。 「山奥でそんな変わり者の親に育てられたんじゃ字が読めなくとも仕方が無いよ。しかしあの軽わざには驚いたね。外見はそうは見えないけど、アウトドア系なんだね」 「アウト……ええ、まあ……」 そこへ鳥斗が着替えを済ませて出てきた。 「あ、じゃあ……今日もこいつのこと、よろしくお願いします」 鳥斗の頭を軽く押さえて下げさせながら、人貴は自分もお辞儀した。 「はいよ」 自分に向かって手を振り、事務所から出て行った人貴を見送りながら、鳥斗はポケットの中の貰った食券に触れて考えた。人貴さんは……まだ怖いのか優しいのかよくわからない。でも……あの人の事は、好きかもしれない…… それから一週間――鳥斗の仕事は無事続き、人貴は社内でたびたび彼が熱心に作業する姿を目にした。鳥斗は床を拭いていたり、ゴミを集めていたり、ガラスを磨いていたりする。いつ見ても、どんなつまらなそうな仕事にでも一心に励んでいる鳥斗に、疲れたときなど人貴は気分が励まされることもあった。清掃員たちの間では、意外と運動神経の良い鳥斗は高所の――とは言えあの初日によじ登った外壁に比べればたいした高さでは無いが――作業などに重宝がられて、徐々に戦力として認められるようになっていた。 龍之は桜子に、いまだ彼女のマンションに戻ることを許してもらえず、満ちるの家に世話になっている。人貴に叱られて一応決めた額の金を家賃にと満ちるに渡したが、その中からすでに借金していた。満ちるははじめから家賃など取る気はないので、それがうやむやになることは確実だった。出張から帰ってきた桜子にはまだ荷物が置きっぱなしだと怒られたが、素直に運び出すつもりは無い。今では彼女は少し落ち着いたのか、龍之のかける電話に出てくれるようになっている。――よしよし、こうやって徐々によりを戻してやる、持久戦なら負けない、そのうち彼女が折れるだろう―― 「根っから無意味に楽天的なんですねえ、龍之さんは」 人貴のワイシャツにアイロンをかけていた満ちるは、状況を聞いてそう感想を述べた。 「無意味って失礼だな。ちゃんと根拠があるでしょ。だって桜ちゃん最初は電話にも出てくれなかったんだから……進展してるじゃない」 「そうですかねえ……まあそう思えるってとこが……龍之さんの長所ですよ」 そこへ廊下を駆けてくる足音がした。人貴かと思い二人がそちらを見ると、足音の主は鳥斗だった。 「ありゃ。珍しく元気だなー。お帰り、どうした?」 「た、ただいま、帰りました!」 鳥斗は息を弾ませながら答え、満ちるの側に飛んでいった。 「あ、これ、熱いから危ないですよ」 満ちるが慌ててアイロンを遠ざける。 「あっすみません。あ、あの、満ちるさん、これ」 封筒を満ちるに差し出す。 「これ……?」 「あの、それ、お金……今日、お金頂いたんです」 「へええ、そう、週払いなんだ」 龍之が言った。 「やったなあ鳥斗。初めて自分で稼いだ金だなあ」 「はい!」 鳥斗が嬉しそうに笑顔で龍之を見る。 「良かったね、おめでとう!じゃあ大事に使わないとね」 満ちるが封筒を返そうとすると、鳥斗は手でそれを止めた。 「あ、それは……満ちるさんに」 「え?」 満ちるがぽかんとする。龍之が納得したように言った。 「あっそうかあ。家賃か。人貴に言われたか」 「人貴に?」 満ちるが眉をひそめたところへ 「俺は何も……言ってねえってば……!」 これまた息を切らしぎみの人貴が現われた。 「こいつバス降りたら急に走り出しやがって……それがまあ速いこと……まじで野生児だ」 「おまえの体がなまってるんじゃないのかあ?でもなにも、追っかけて来る必要なかっただろ?」 「オッサンになまってるとか言われたくない。……こいつがまっすぐ兄貴に金渡しに行ったら、俺がそうしろって言ったと思われてまた兄貴に怒られるだろ!?だから弁明しに来たんだよ!」 人貴はネクタイを緩めながら言う。 「今まさに怒ろうとしてましたよ。じゃあ……ほんとに人貴に言われたんじゃないんですね?」 満ちるが念を押すと、鳥斗は驚いた顔で頷いた。 「お金貰えたら……すぐ満ちるさんに渡そうってずっと思ってたんです。あの、そうしたかったから。ほんとに自分で決めました……」 「そうですか……僕に……」 満ちるは少々声を詰まらせているようだ。 「泣くなよ満ちる。自分の息子が初任給もらったってんじゃないんだから……それに今時それぐらいで泣く親いないぞ……」 龍之が困ったように言った。満ちるは眼鏡を指で押し上げて目をこすっている。 「だってこれ……まだ封も切ってない……自分が始めてもらったお金だっていうのに……鳥斗君」 「はい……」 返事した鳥斗を、満ちるは抱きしめた。 「ありがとう。うれしいよ。じゃあこれ、受け取っておくね。今度……白夜も一緒に買い物に行こう……」 その様子を人貴は立ったまま眺めていたが、やがて静かにそこを離れ、自室へ向かった。 スーツを着替えていると、鳥斗がやってきた。 「人貴さん……」 「んー?」 「あのう、すみませんでした……」 「へっ?なにがっ?」 自分が鳥斗につまらない嫉妬心を抱いているのを見抜かれたように思い、人貴はぎょっとした。 「今まで……自分の行動のせいで、人貴さんが満ちるさんに怒られちゃうかもとか、そういうの、気がつかなかったから……。満ちるさんと人貴さんが喧嘩みたいなことになるのって……考えてみたら全部……僕らのせいだったなあって思って……」 人貴は、部屋の入り口に立ったまま申し訳無さそうにそう話す鳥斗に目をやった。 「お前が……気にすることじゃないよ……俺の問題なんだから」 鳥斗が人貴の顔を見る。 「そう……なんですか……?」 「うん。お前には……関係ない」 「そうですか……」 鳥斗はなぜか寂しげにそう答えて俯いたが、やがて気を取り直したように顔を上げた。 「あの、白夜が、ご飯できたって、食べにきてくださいって言ってました。今夜は白夜が一人で作ったんだって……」 「そっか。え?白夜が一人で?なに作ったんだろ。何か……不安だな」 人貴が言うと鳥斗は笑った。先に立って廊下を行く鳥斗の後姿を眺めながら、人貴は、まったくこいつは……もう少し性格に嫌なとこがあったってよさそうなもんなのになあ……と考えていた。 「すごいな坊ちゃん……ほんとにすごい……」 白夜が、食卓の上に置かれた鳥斗の始めて貰った給与袋を見て、しきりに感心している。 「いやそうか……お金って、こうやって取ってくるものなんですねえ……」 「白夜だってすごいですよ。今日の晩御飯、良く出来てました」 満ちるが褒めた。白夜がホッとしたように答える。 「そうでしたか?良かった」 「あのさあ、お前らの里って、どんな感じなの?」 食べすぎたと言ってソファに寝転がっている龍之が白夜に訊ねた。 「どんな、とは?」 「いや言葉とか習慣とかさ。そんなに俺らとかけ離れてるわけでもなさそうだから……無いのは通貨と……あと字も違うのか。でもこうやって子供ができるところを見ると、遺伝子的にはそう変わらないんじゃないの?」 龍之は寝転がったまま手を伸ばして、ソファの側、自分の前の床にぺたんと座ってテレビを見ている鳥斗の頭を撫でた。 「そういう難しいことはわからないですけど、ヒトとまったく無縁な暮らしをしてるわけでもありません」 白夜が言う。 「隠れ里に住む人間や、修験者とは昔から交流があります。旦那様のように、ヒトとつがわれる者も時にはあったと聞きました。人里へ下りて、果実や他の入り用な品なんかを手に入れてくる場合もあります」 「金ないのにどうやって?まさか盗んでくるの……?」 人貴が恐る恐る訊いた。 「いえ。山のもの……猪や茸なんか取っていくと、交換してもらえます」 「物々交換かあ……」 「人間が作る果実は大ぶりで甘味が強いから……病気なんかによく効くんです。山には無い物も多いし。これなんか……美味いですよねえ」 白夜は食べていたパイナップルを差し上げた。 「こういうのは輸入品ですからね」 満ちるが言う。 「外国の物は手に入らないだろうなあ。……しかし姉貴は……なんでお前の親父さんと結婚したのかなあ……」 鳥斗の髪をいじりながら龍之は呟いた。それはひどく柔らかで――羽毛を思わせる。 「母さんは……父さんが大好きなんだっていつも僕に言ってました……里のみんなも、街の母さんの家族も反対したけど、それでも一緒にいたかったって……」 「俺は反対した覚えないぞ。そもそも、相談もしてもらってないんだし」 「繁殖期まで間がなくて、急いで里へ移られましたからね。でも龍之様なら、きっとご理解くださると奥様はおっしゃってました」 「まあ姉貴がそうしたいって言うなら、相手が禽鳥だろうがなんだろうが、俺に反対する道理はないからねえ。でも……会えなかったのは残念だ」 「繁殖期っていうのがあんの?」 パイナップルを齧っていた人貴が訊く。白夜が答えた。 「はい。伴侶を定めてつがいになって、子供を儲けるんです。逃すと次の繁殖期まで待たねばなりません」 「時期が決まってるのかあ……人間はのべつ幕なし発情してるからなあ。そういうのも禁欲的でいいよなあ……」 龍之が溜め息をつく。 「禁欲が必要なのはオッサンくらいだ。始終若い女追っかけてんだから」 「反論できない……それが原因で追い出されたし……反省してるから今後は禁欲しますよ。しかし……もし人間の繁殖期が決まってたら俺の商売あがったりかもな。仕事が大幅に減りそうだ」 「どうしてですか……?」 鳥斗が訊ねた。 「んん?いやええと……だから……そうだ、字の勉強しましょう!鳥斗に良さそうな本あったから……買ってきたんだ!」 龍之はそう誤魔化してソファから起き上がった。 鳥斗の手を引いて隣の部屋へ行った龍之を見送りながら、満ちるは声を落として白夜に訊ねた。 「あの……禽鳥喰いというのは……?あなたたちとは違うんですか?」 白夜が顔を顰めて答える。 「あれは……禽鳥の……遺体を喰らうと言われている忌まわしい連中です。過去に禁忌を破って我々一族から追い立てをくらった禽鳥たちの末裔なので、源は同じと聞きますが……近親婚を繰り返して繁殖したせいか、形や力がまちまちなんです。そのため狩りの能力もあまり高くなくて……まだ弱い子供を狙って攫ったりすることもあるので、里では忌み嫌われています」 「それで鳥斗が狙われてるんだ……」 人貴はなんとなく、窓の外に目をやりながら訊いた。今夜は月が無くて辺りは一段と暗く、庭の植え込みが黒々とその形を浮き出させている。 「はい、坊ちゃんは、人よりは戦う力は優れてると思いますが……我々の中ではやはり、弱いですから……」 そう言って白夜はやや心配げな表情になった。

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