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第16話
「夕飯食べてこないなら連絡くれたらよかったのに……一応用意してあったけど、遅いからいらないのかと思って龍之さんと無理して沢山食べちゃったよ……もうあんまり残って無いぞ……」
満ちるがぶつぶつ言いながら冷蔵庫を開けた。
「ごめんごめん。いいよ、俺がやるから」
人貴は満ちるの持っていた残り物の皿を受け取った。辺りを見回していた鳥斗が満ちるに訊ねる。
「あの……白夜は……?」
「ああ、なんだか……今日は忙しくしてるみたいで。鳥斗君が成禽鳥になったお祝いの品を調達したいんだとか言ってましたよ?遅くなるかもしれないけど、心配するなって」
「成禽鳥?」
人貴は満ちるに訊ねた。
「髪の色が変わったろう?繁殖期に入った印なんだって。大人になったってこと」
「は、繁殖期……そうなんだ……」
人貴は呟いた。
「綺麗な色だよねえ」
感心した風に満ちるが言う。今は鳥斗はとくに髪を隠そうとはしておらず、随分と落ち着いた様子でいる。
「綺麗、と思う……だけ?兄さんは」
「え?だけ、って?」
「いや。なんでも……」
人貴は皿を電子レンジに押し込んだ。そうか、じゃあ……あの髪を見て、触りたいとか自分のものにしたいとか……そういう、いてもたってもいられない気持ちになるのは……俺だけなんだろうか?
いやでも、電車の中で鳥斗を気にしていた奴らもいた。あの時は思いつかなかったけど、ひょっとしたら……俺やあいつらは……繁殖期の鳥斗に誘発されて…… 発情させられたってことなんだろうか?で、でも俺は雌じゃないぞ!ホテルでだって一応……抱いたのは……俺の方……いやしかし……積極的で、上に乗っかったりしてたのは鳥斗の方だ。なにがなんだかよく……
レンジの前で突っ立って考え込んでいる人貴に満ちるが不思議そうに声をかけた。
「おい人貴……それ、スタートさせなきゃ……ただ待ってたってあったまらないぞ?」
「え!あ、ああそっか。兄さん寝ていいよ。あと俺ら自分でやるから……ごめんな、遅くに」
「うん。……?」
首をかしげながら、満ちるは台所から出て行った。
鳥斗と二人で残り物をつまんだあと、人貴が自室に引っ込んで万年床に引っ繰り返っていると、襖がすうっと開いた。
「え!だれ?……と、鳥斗……」
鳥斗は、部屋の中に音もなく滑り込んできて、後ろ手に襖を閉め、唖然としている人貴を見つめながら服を脱ぎだした。
「ちょ!ちょっと……!」
止める間もなく鳥斗は全裸になってしまい、人貴に覆い被さってくる。
「人貴さん……もっとしたいんだ……」
耳元に舌を這わせながら囁く。
「もっとってちょっと……!さっきホテルで何回したと思ってるんだよ!?おっそろしいスタミナだな……!」
「だって……我慢できない。いっかいだけ……」
「お、俺はただの人間なんだぞ!そんなにもたないよ!……おいこら!なにすんだ!……ああちくしょう……」
履いていたパジャマを引き下ろされ、自身を鳥斗の舌に絡めとられて人貴は呻いた。
さんざん流され、翻弄されて、眠気で意識が朦朧とした。ふと気付くと鳥斗は隣でぐっすり寝入っている。自分の身体を見ると、肌のあちこちに鳥斗が夢中で吸い付いた痕が残っていた。やれやれ、やっと気が済んだか……そう思いながら人貴は鳥斗の柔らかな髪に触れた。しかしあの、なにがなんでも人貴を求める大胆さ……発情期って奴は恐ろしい……寝顔は相変わらず、こんなにあどけないのに……。
俺も寝よう、そう思って鳥斗の身体に腕を回して抱き、目を閉じようとしたところで――襖がいきなり開けられた。
「うわっ!」
叫んで人貴は鳥斗と自分の身体を布団で覆った。鳥斗が目を覚ます。
「坊ちゃん……これは……いったい……」
廊下の明かりを背に、そこに立っていたのは白夜だった。
「いやこれは……」
人貴が起き上がりかけると、白夜は長い髪を逆立てて唸るように言う。
「人貴、貴様……坊ちゃんに……なんということを……」
やがて構えた彼の両手の指先から、銀色に輝く長い鉤爪が伸びてきた。
「我が主の身を穢す者は許さない!今すぐ八つ裂きにしてくれる……!」
人貴が白夜の変化に息を飲んでいると、鳥斗がふわりと身を起こし、叫んだ。
「白夜下がれ!この人は僕が選んだ伴侶だ!」
白夜は目を見開き、唖然とした表情になった。
「伴侶!?この人間を!?こいつは雄で……子供も儲けられやしないじゃありませんか!落ち着いてください!初めての繁殖期で混乱してらっしゃるだけですよ!里へ帰れば他にもっと……ふさわしい相手がおります!」
「みんなに出来損ないだってバカにされて、父さんにだって捨てられた。こんな僕とつがいたいなんて考える相手が里にいるわけがない。それに、子供なんかいらない。こんな……禽鳥でも人でもないどっちつかずの僕の血が入った子供なんて、産まれても可哀相なだけだ」
「坊ちゃん!?そんなことおっしゃらないで下さい……!それに旦那様は坊ちゃんを捨てたんではありません!お隠れになった前の里長の代わりを務めるために、仕方なく……!」
「わかってる。でも父さんは、僕より一族を取ったんだ。僕にとっては捨てられたのと同じ事だ」
鳥斗は白夜の前に、人貴を庇って裸のまま立ち塞がった。身を低くし、いつでも跳びかかれるよう身構えた鳥斗の瞳が、強いオレンジ色に輝く。その指先に本来の形を現して生え揃った爪は……白夜ほどではなかったが、人間の物より遥かに鋭い。
「控えろ白夜!僕の大事な伴侶の身体に傷をつけたりしたら……許さない……!」
完全に戦闘態勢に入っている鳥斗の姿を見て白夜は衝撃を受けた。この行動は……外敵から巣を護ろうとする猛々しい雄のそれだ。そうして坊ちゃんが敵と見なしている相手は、この私だ――
禽鳥達の世界では、こうなった状態の雄に戦いを挑むということは、相手か自分か、どちらかが死なねばならないと言うことを意味している。それに気付いた白夜は素早く鉤爪を収めて後ろに跳び下がると、その場に正座して床に額を付けた。
「申し訳ございませんでした!坊ちゃんに向かって……私ごときが……出過ぎた真似を……!」
自分の前にひれ伏してしまった白夜の姿を見て、鳥斗がはっと我に返る。
「はく……白夜ごめん。ちが……僕は……そんなんじゃなく……」
うろたえて自分の方に駆け寄って来ようとする鳥斗を制し、白夜は立ち上がった。
「いいんです。私は……本来の立場を忘れておりました。ここで坊ちゃんのお世話をするうちに、なんだかあなたが自分の――血を分けた家族であるような気がしていて――。私はただの従者、坊ちゃんにお仕えする身分だと言うのに……申し訳……ありませんでした……」
うなだれて立ち去っていく白夜の後姿を、鳥斗はどうしたらいいのかわからない気持ちで茫然と見ていた。漸く気付いて、急いで人貴の部屋に脱ぎ捨ててあった服を身に着ける。
「人貴さんごめんなさい……自分で自分が思い通りにならなくて……どうしても、人貴さんが欲しい気持ちが……抑えられなくて……こんなこと……ごめんなさい」
白夜を追って、ボタンを嵌め終わる前に部屋を飛び出していった鳥斗を見送りながら人貴は、
「気にすんな鳥斗。俺だって……お前が欲しかったんだから……」
と呟いた。
鳥斗が白夜と使わせてもらっている部屋へ戻ると、パジャマ姿の満ちるが前の廊下に立っていた。
「満ちるさん……」
「物音がしたんで……白夜と……喧嘩したんですか?」
「いいえ」
鳥斗は首を横に振った。
「……いいえ、僕が……僕が悪かっただけなんです」
「白夜、少し出てくるって言ってました。朝には戻るって。頭を冷やして落ち着きたいそうですよ……」
「そう……ですか……」
開いた襖から部屋の中に目をやる。そこにはいつものようにきちんと二人分の床の支度がされてあったのだが、今日はその枕もとに、美しい花が活けられ、果実類が丁寧に盛られた編み籠が置かれていた。
鳥斗がそれに気付くと、満ちるが言った。
「白夜が拵 えたんです。あれは、君たちの里で、お祝いの席に飾るものだそうですね。一つ一つ意味があるとか。ただ街では、探し回ったけど全部は手に入らなかったと言って、残念がっていましたが……。でも成禽鳥になった君に、どうしても作ってあげたいと。縁起が良いものらしいですね」
それらの品の前に鳥斗は歩み寄って両膝をついた。街でこれを集めるのは――容易じゃなかったはずだ……僕のために――
「僕……僕、白夜に……」
自分の激情に負け、白夜に向かってあんな酷い事を言ったうえに……攻撃をしかけようとするなんて。こんなに自分に尽くしてくれる、あの優しい白夜に。自身がした事が信じられず、涙が溢れ出て来た。
「白夜に……なんてことしちゃったんだろう……!」
顔を覆って泣き出した鳥斗に近付いて、満ちるは肩を抱いてやった。
「大丈夫。朝になったら戻ってきますよ。それに白夜はちゃんと……君の気持ちがわかってます」
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