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第21話
「これなのよね……」
喫茶店で、龍之の向かい側に座った桜子が眉をしかめて呟いた。
「これ?」
龍之が不思議そうに訊く。
「これよ。この母性本能っていうのがもう……鬱陶しいのよね!ああもう……独身だって言うのにさ!」
「はあ?」
「男はいいわよ、関係ないんだから。生理も無いし、温泉に行ったって隠すところは一箇所ですむ!無駄毛の処理だって要らない!……つくづく女って損よね!」
「ちょっと桜ちゃん……でっかい声で……」
「うるさいわね!そんなので恥ずかしがる年はとっくに過ぎてるわ!あなたもモテないわけじゃないんだから、こんなオヤジみたいな女さっさと見限って、若い女の子に乗り換えたらどうなのよ!」
「絶対、嫌だ!」
きっぱり言った龍之を見て、桜子は溜め息をついた。
「そういう融通の利かないぶきっちょなとこに……母性本能くすぐられちゃって……非情に徹して切り捨てられないのよねえ、あなたのこと。35にもなってるおじさんを可愛いとか思っちゃうんだもの、我ながらあきれるわ。……わかった。ご希望通り、よりを戻しましょ」
「え!?ホント?ホントに!?や……やった!」
両手を上げてバンザイしかかった龍之を桜子は制した。
「でもまだ一緒に住む気はないわ」
「ええ~!?なんで!?」
「離れてると寂しいせいか、あなたの良い所ばかり思い出せるのよ。一緒に住んでたらこうは行かないでしょ。きっと欠点ばっか目に付いて、また叩き出したくなるわ」
「桜ちゃんん~……」
龍之が情けない声を出す。
「あら、別居の方があなたのためにも得だと思うわよ。時々デートはしましょ、恋人同士みたいに。ちゃんとプラン練ってエスコートしてよね」
「『みたい』って何!?恋人同士じゃないのかよ!?」
「うーん、どうかしらねえ。そうなるかは後で決める。さて、仕事に戻らなきゃ」
ハンドバッグを掴んで立ち上がる。
「それにたまにしか会えない方が……燃えるんじゃない?お互い」
龍之のほうへ身を屈め、耳元にそう囁いて桜子は、伝票を持って出て行った。
話を聞いて満ちるは布団の中で笑いを噛み殺した。
「そりゃ……良かったじゃないですか……」
「良かったのかなあ……?」
文机に置いたPC画面の前で、腕組みした龍之が溜め息交じりに答える。
満ちるが軽い発作を起こして以降、龍之は満ちるの部屋で夜仕事をするのが恒例になっていた。満ちるは隣に誰か起きていてくれた方が安心して眠れると言い、龍之も何故か……彼の寝息を聞いていた方が筆が進む。
「まあそんなわけで……当分ここから出られそうにありませんよ……」
「かまいませんよ。龍之さんが一緒にいてくれるの嬉しいです。……できればずっと……いて欲しい位だ」
「ずっといる羽目になりそうな気がしないでもないよ。まあいいか。これでもお前の安眠装置としては役に立ってるもんな」
「そうですよ。あなたがいなくなったら……代わりに誰か雇わなきゃなりませんもの……」
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