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第4話 こどもの後悔
「なあ、違うんだって――」
最悪だ。こんなことになるなら、あんなこと言ってなかった。
「何が違うんだ? お前はあの子と付き合ってるんだろう? 僕はそう聞いたけど?」
畳み掛けるように言われる言葉に、俺は気圧される。
予鈴が校舎裏まで響いてきた。午後の授業が始まる。
「……もう勝手にしろ」
修は、教室へと走り去ってしまった。
本当に最悪だ。そんなつもりじゃなかった。
クラスの女子からの頼みが始まりだった。ある男子から言い寄られていて困っている、付き合っているフリをしてくれないか、というものだった。俺自身、その男子のことをあまり良く思ってなかったこともあり、快く引き受けた。それが間違いだった。
その噂は、瞬く間に広まった。その日のうちに、隣のクラスの修の元にまで伝わっていた。修は激昂してしまった。俺に、それを鎮める術はなかった。
放課後、一人で家に着いた。いつも通り、静かな家。母はまだ帰って来ていない。
部屋の床にドサッと鞄を置き、徐にゲームのスイッチを入れる。1Pが俺で、相手は最高レベルのCPU。つまらない。たどたどしく不規則な動きの修が相手でないと、このゲームは面白くなくなってしまった。
スマホの画面を見る。メッセージアプリを開いたはいいが、何を送ればいいのかわからない。頑固なところのある修のことだ。昼休みのように弁解したところで、まだ聞く耳は持ってくれないだろう。
ふと、別れる、という言葉が脳裏を掠めた。いや、まだ別れると明言されたわけではない。それに俺たちには、子供の間はしちゃいけない、というルールがあったではないか。ということは、逆に言えば『大人になったらしよう』ということだ。現にそう話していたはずだ。大人になるまで、一緒にいるはずの関係のはずだ。
そんな仲だ。こんな下らないことで、別れてしまうはずがない――とは言い切れないのがもどかしい。
ああ、せめて別れたいのか別れたくないのかだけでもはっきりさせてくれ……とスマホの画面を睨み付けていると、急に表示が変わった。デフォルトのままのアイコン。名前は、瀬戸修。メッセージ通知ではなく、着信だ。
「あっ、もしもし?」
急いでスマホを操作して応答した。慌てて出した声はがさついていて、滑らかなものではなかった。
「……聞いたよ。あの子と付き合ってるわけではないんだってね」
「あ……うん」
「言ってくれればよかったのに」
「さっき言っただろ?」
「さっきじゃなくて……僕が噂なんかで聞く前に言うんだよ、そういうのは」
呆れたような溜息が聞こえた。
「そんな役回り、買って出た後すぐに言ってくれれば、僕だって冷静に納得できたのに」
「だって――」
「だってじゃない」
強く言う修の声は、少しだけ寂しそうな声をしていた。それはまるで、『もし明日、僕が死んだらどうする?』だなんて尋ねてきた、あのときのように。
濡れたような瞳も、綺麗に保たれた眼鏡も、頼りなさげな指先も、線の細い背中も。まるで今ここにいるかのように、修の何もかもを思い出せる。
「修、今家にいる? 行ってもいい?」
「え? 急にどうした――」
「待ってて」
通話を切った。制服のまま、スマホだけ持ったままで、家を飛び出した。
走って4、5分の所に、修の家はある。少し息を切らせて到着すると、インターホンを押した。玄関に修が現れる。
「重晴、一体どうしたんだよ」
「ごめん」
そう言って、俺は修に抱き着いた。
「おい、何して――」
「誤解させるようなことしてごめん」
俺は、一心不乱だった。ただこの後悔と反省を伝えたくて、思っていることをそのまま口にした。
「俺が修のこと捨てるとかありえないし、ずっと大好きだし、それに大人になったら――」
「そこまで! それ以上言うな」
まだ同じ中学の生徒が下校していてもおかしくない時間だ。修は辺りを見回すと、俺を牽制した。そしてこちらに向き直ると、修は恥ずかしそうに声を小さくする。
「……そういうのは、こういう所でじゃなくて、二人きりのときに言えよ」
お前の部屋にいるときとかにさ、と、ほとんど聞き取れないような声で呟いた。
「普段そんなこと言わないくせに、何でいきなり、こう、なんか……」
「もしかして、照れてる?」
俺は意地悪な笑みを浮かべて、修の顎を持ち上げる。
「俺が違う人のところ行っちゃうと思って、焦った?」
「違う……」
「じゃあ、どうしたの?」
「なんか、ちょっとムカついてた、だけ……」
視線を泳がせる恋人が、たまらなく愛しい。
「なんだ、あの子に嫉妬してたんだ」
真っ赤になってたじたじになった修からは、昼間の勢いは全く感じられない。完全に俺のペースになっている。
「大好きだよ、修」
微笑んでそういえば、泣きそうな顔がこちらを向いた。こちらを向かれれば、真面目なトーンで次の言葉を繋いだ。
「でも、ほんとにごめん。嫌な思いさせたな」
「……どうせこんなことだろうと思ってたし、別にいい」
どちらからともなく、唇を重ねた。今までしてきたささやかなものよりも少しだけ長く、その分心臓の音がうるさく響くキスだった。
「……ごめん、もう帰る」
離れてそういう俺に、修は顔を向けている。ぼうっと名残惜しそうな表情だ。そんな顔を向けないでくれ、と心中で叫びながら、俺は無理矢理笑って見せた。
「我慢できなくなるだろ。ルール、守んないと」
玄関から離れる。修は尚もこちらを向いていたが、次第に我に返ったのか、慌てて口元を拭い、いつもの調子を装いながら言った。
「また、学校で」
「ああ、またな」
もっと触れていたい。その思いが大きくなる前に、俺は今来た道を走り戻った。
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