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第56話
綾人の口から「怖い」とハッキリ出た言葉を最後に速水は質問を瞬時に止めた。
そして、いつも処方している薬よりほんの少し強めの精神安定剤を処方する。
薬を飲むことが良いことではないが、心の負荷を負いすぎるのは悪いことだ。
心と体がアンバランスな綾人には無理を強いると取り返しが付かないことを速水は一度経験していた。
なので、同じ失敗は犯したく。
「綾人君、今日は夕飯食べて帰る?」
「ん〜。悪いし、いいです。適当にその辺で食べて帰るから」
お気に入りの絵本を読んでいた綾人が顔を上げて言うと、速水がにっこり微笑んだ。
「用がないなら一緒に食べようよ!綾人君の好きなグラタン作ってあげるからさ」
グラタンという言葉にピクンと反応を返すと速水はニヤリと笑って冷蔵庫からあるものを取り出した。そのものに綾人の目が輝いた。
「いちご!」
食べたいと、絵本を片付ける綾人の姿に速水の顔に笑みが溢れた。
「いちご、美味しい!」
夕食のグラタンをご馳走になったあと、綾人はお目当てのいちごを頬張った。
「相変わらず、いちご好きだね」
「うん。好きぃ〜」
えへへっと無邪気に幼い笑顔を見せる綾人は可愛い。
足をパタパタさせながら上機嫌な姿に速水は綾人の症状が大きく変化していないかを観察していた。
「綾人君、強くなったね」
「え?」
「だって、寮生活だよ?凄いよ・・・」
向き合うように座っていた速水はテーブルで頬杖をついて綾人を真っ直ぐ見つめた。
その視線に頬を赤く染めて綾人は嬉しそうに顔を伏せた。
「僕ね、ちゃんと高校生してるよ。だから、その証明も兼ねて絶対高校は卒業したいんだ」
「うん。いい目標だと思う」
「あとね!立春高校は最悪、大学行かなくても就職率が物凄くいいんだよ!」
顔を上げて意気込む綾人に速水は首を傾げた。
「大学には行かないの?」
「資格取るには行く方がいいけど、今は高校卒業目指すので精一杯かも・・・」
力なく笑う綾人に速水は優しく微笑んだ。
「綾人君は資格取得に凄い頑張るよね。英検も漢検もパソコンの資格も色々取ってるでしょ?まだ取るの?」
「うん。資格は邪魔にならないし、武器になるもん!取れる時に沢山とっておくんだ!」
「そう。頑張ってね」
なかなかしっかりした考えだと、速水は感心していたが、ふと、綾人の顔に影が差した。
「ん?どうしたの?」
疑問に感じ、今までの流れで答えてはくれないと思いつつも聞いてみると、躊躇うように綾人が言葉を選びながらしどろもどろ聞いてきた。
「え・・・っと、先生はね。・・・沢山の嫌なことと、ギュッと濃縮された一つの嫌なことなら、どっちを我慢する?」
上目遣いで真剣な表情で聞いてくる綾人に速水は目を瞬かせた。
なかなかの意味深な質問内容に簡単に答えが出ない。
「え・・・っと、それは・・・、内容にもよるかな?メリットやデメリットもあるし、期限とかもあるでしょ?それに、濃縮レベルの嫌なことが沢山のこととどれだけ匹敵するかも計らなきゃ分かんないなぁ〜」
人差し指でぽりぽり頬を掻きながら言うと、綾人はそれもそうかと考え始めた。
どうやら、ストレートに悩みを打ち明けるつもりはないらしく、一生懸命自分の思いを例える言葉を考え始めた。
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