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第4話の16

 …船が全く見えなくなると、双吉はわざとに人混みの中に紛れ込まずにはいられなかった。 一人で町にいるのは初めてだったからではないだろうか。 太夫の頃なら必ず熊八か吉次が見張りについていたものなのに。 (店にはもう、帰りたくない…せめて少し歩いてから帰ろう…)  しかし、すぐに人混みは途切れてしまい、馬そりや荷車の行き交う往来に出てしまった… …ところで、後ろから肩を叩かれた。 びっくりして振り向くと、見知らぬ初老の男… 「何もそこまでびっくりしなくてもいいべ…」  その大きな瞳は人懐っこく、風体は新興の地主か何かのように見えた。 「びっくりするからにはそれなりのことがあるんだべ…」 そして、男は体を寄せ、囁いてきた。 「箱館から出て、ちょっと田舎の方で働かねえか? 田舎っていっても、役所のある札幌の手前くらいのところでな。」 突然のことで、双吉には言葉もなかった。 が、すぐに、 「行ってもいいけど、でも、俺…」 「どした? 仕事の中身か?  仕事は牧場の下働きのそのまた下。 兄貴分の靴磨いたり、掃除したり… あと、うちはおっ母が体弱いんで飯炊きの手伝い。 お前さんのような優男でも大丈夫だ。」 何となく、この男は信用できるような気がした。 でも、これまでの自分のやってきたことを考えると… 「給金ははずむぞ。今いくらもらってる?」 双吉は答えられなかった。ただ働きと正直に答えれば、 すべてがばれてしまいそうで… 「どうせ小料理屋の使い走りかなんかで、さっぱりもらってないんだべ。 それよりいいぞ、これから開ける牧場はよ…自慢じゃねえけど、 ここの越後屋さんとも取引きがあるんだ…」 越後屋、のひと言に、双吉は、ついていこうか、と思った。

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