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第6話
翌日の土曜日。涼一は家から出た。休日に外出するのは何年ぶりだろう。
玄関のドアを開ける瞬間は心臓が口から飛び出しそうな緊張があったが、外に出てしまうと、いつもとそう変わらなかった。何度か小学生や中学生くらいの子供とすれ違うことはあった。しかし、平日の昼間だってときどき制服姿の高校生を見かけることを考えれば、土曜日だからといって特別なことはない。
頭から脱げてしまいそうになる帽子を押さえながら、公園まで必死で走った。ときどき腕時計を見ては半べそで速度を上げ、体力不足で、またすぐに速度を落とす。公園に着く頃にはほとんど足を引きずっていた。
肺は潰れそうに苦しくて、服も髪もぐちゃぐちゃだった。これなら車で送ってもらえば良かったかもしれない――そんな考えが頭を過ぎったが、やはり母にはこの公園に通っていることは知られたくなかった。送ってもらわなくて正解だったはずだ。
約束の時間から遅れること二十分。涼一の姿を見つけると、真崎は不機嫌に地面を踏みしめてベンチから立ち上がった。
「お前な。どんだけ人を待たせりゃ――」
しかし、文句の言葉は途中で引っ込んだ。「馬鹿だな。そんな真っ赤になるまで走ってくんなよ」
「だ、て……まさ、きさ……っないかも、って、思っ……て……ごめ、な、さ……」
「分かった分かった。十分分かったからもう喋んな。深呼吸して息整えろ。な?」
言われたとおりに深呼吸した。真崎が心配そうに近寄ってきて、帽子のつばを軽く小突く。草の臭いと一緒に石鹸の香りが肺の奥に入ってきた。
「ったく。俺は待ってるって言っただろ。少し遅れたくらいで置いてったりしないんだから、そんな無理すんなよ」
真崎は遅刻したら置いていくと言ったはずだが……なんにせよ、遅刻した涼一が悪い。
呼吸が落ち着いてくると、炊き出しが行われる河川敷まで移動しながら事情を説明した。
「最近は木曜日以外にも外に出て散歩してるとか、今日も少し散歩してくるとか、母にはちゃんと説明したんです。なのに出掛けになってあれこれ口出してきて……」
「それだけ息子が心配ってことだろ」
「だけどもう小学生の子供じゃないんだからさ……。うちの親、凄い過保護なんです」
口を尖らせる涼一を見下ろし、真崎は笑い声をあげた。それがなんだか子供扱いされているようで恥ずかしかった。
ひとしきり笑った後で、真崎はニヤニヤしながら涼一の頭から爪先まで含みのある眼差しで眺め回す。
「俺はてっきり、お前が服を選ぶのに迷って遅刻してきたのかと思ったけどな」
「……どうしてですか?」
「いつもより気合い入ってんじゃねえか。デートかよってツッコミ入れようかと思った」
涼一の顔は赤くなった。
真崎の予想通り、涼一は家を出る直前まで、何を着ていくかでとても迷っていた。例え行き先がホームレスの炊き出しでも、真崎と初めて公園以外の場所に出かけるのだ。そう思ったら、浮かれる気持ちを抑えられなかった。
いつもは目立たないように黒系の服やチェックのシャツしか着ないのだが、今日は淡い水色のシャツにベージュのスキニーパンツを履いていた。靴も新品だ。
涼一はさりげなく話題を逸らした。
「真崎さんも今日は清潔です。髭がないし髪もベトベトじゃないし、服も珍しく皺だらけじゃないです。……あ、靴も穴が開いてない」
「やめろ。普段の俺が相当酷いみたいに聞こえるだろ」
「す、すみません……」
「別にいいけどさ。っていうか、お前がそういうみっともない格好したやつと歩いてて恥ずかしい思いをすると悪いと思ったから気を遣ってやったんだよ。一応な」
つまり真崎も、今日はどんな格好にするか少しは悩んでくれたということだ。涼一は嬉しくなった。頬がどんどん熱くなっていく。
「真崎さん。本当は僕も」
「ん?」
「何を着るか迷って遅刻しちゃいました。真崎さんと出かけるの初めてだし、誘ってもらえて凄く嬉しかったから……。昨夜から、真崎さんのことばっかり考えてました」
本当に嬉しかったのだ。ずっと避けていた土曜日の外出でも、外に出る不安より、何を着るかという悩みが勝るほどに嬉しかった。
涼一は顔を赤くして真崎を見上げる。しかし真崎は、涼一の方も見ずに、「ああ、そう」とだけ言った。
それだけだった。それ以上、真崎は何も言わなかった。
河川敷にはもの凄い行列ができていた。どこにこれだけのホームレスがいたのだろうと驚くほどの人数だ。
行列は河川敷真ん中に置かれた仮設テントに繋がっていて、テントの近くには、大きなブルーシートが敷かれていた。既にカレーを貰ったホームレス達は、そこで食事を摂っていた。
真崎は涼一に「好きな場所取っとけ」と言ってから行列に並んだが、さすがにホームレス達の輪に入る勇気はない。涼一は彼らに背を向ける形で川の傍に新聞紙を敷き、その上に真崎から貰った新品のタオルを、さらにハンカチを敷き、ようやく腰掛けた。
ゲームをしながら真崎を待っていると、バタバタと不自然なリズムを刻む足音が背後から近づいてきた。明らかに真崎とは違う足音。涼一の体は緊張に強張ったが、それを解きほぐすように、間延びした声で名前を呼ばれた。
「りょーぉちゃん」
「えっと……酒井さん?」
「おう! 覚えててくれたのかい。ありがとうね」
酒井はカレーの臭いを漂わせながら、腰をドスンと落とすようにして、涼一の隣の草むらに座った。酒井の手にある使い捨てのカレー皿は舐め取ったように綺麗になっていて、ルーの黄ばみしか残っていない。
「涼ちゃんはカレー貰ってこないのかい?」
「ホームレスじゃなくても貰えるんですか?」
「当たり前よ。ホームレスかどうかの免許なんてないんだから、適当に並んで適当に貰えばいいのよ」
そういうものだろうか。裏物のDVDを扱うだけあって、酒井の倫理感は緩いようだ。
「しかし涼ちゃん。もっと日差しがないようなとこに行った方がいいんじゃないの? 向こうの橋の下とか、土手の上の公園なら日陰になってるよ」
「あ、はい。ありがとうございます。今日は体調がいいし、たまには日に当たらないと駄目かなって……」
「ヒヒッ。確かにねぇ。男の子がそんな生ッ白いんじゃモテねぇよ?」
陽気な酒井の世間話に付き合っていると、カレー皿と紙コップを持った真崎が戻ってきた。真崎は「どうも」と酒井に会釈して涼一の隣に座る。反対に、酒井は「それじゃあ俺は行くかな」と立ち上がろうとした。
脚でも悪いのだろうか。地面に手を付いた酒井は、片脚を庇いながら難儀そうに腰を上げ、やっとのことで立ち上がった。
「涼ちゃん。マサに虐められたらすぐに言いなよ。俺が説教してやるからな」
「なんで俺が涼一を虐めんですか」
「面だよ。面。おめぇの隣で涼ちゃんがお行儀良くちょこんと座ってると、なんか虐めてるみてぇにしか見えねえんだよ」
ヒヒッと笑い、酒井は涼一に言った。
「マサはうちの公園じゃ一番の下っ端なのよ。だから誰にも頭が上がらないんだけど、特にスズさんはマサを拾ってきた人だから、何かあったらスズさんに言いつけな」
スズさんと言う女性的な名前と、鈴木の愛嬌のある厳つい顔つきが結びつくのには時間がかかった。
真崎は「やめてくださいよ」と不機嫌な顔をしたが、酒井は気にせず笑って去って行った。左足を少し引きずっていた。
「足が悪いんだよ、あの人は」
涼一の視線を追って、真崎は言った。紙コップを新聞紙の上に置き、ルーとライスが綺麗に分かれているカレーを、プラスチックスプーンでグチャグチャにかき混ぜる。
「お前も飯は持ってきたんだろ? 食えよ」
「あ、はい」
涼一が鞄からゼリー飲料を取り出すと、真崎は「それだけか」と顔を顰める。
「外で食べるのは苦手なんです」
「なんでだよ」
「砂埃とか埃がご飯に入っちゃいそうじゃないですか。それが嫌なんです」
「面倒なヤツだな」
自覚があるだけに、なんとも言えない。
真崎はカレーを口に運んだ。
「酒井さんに気に入られたな、お前」
「そうなんですか?」
「気に入られてるよ。酒井さんだけじゃなくて皆、昨日お前が帰った後、お前のこと可愛い可愛いって絶賛したぞ」
「可愛いって……」
「だって……なぁ?」
真崎はくくっと一人で思い出し笑いをする。その態度が癪に障った。
「なんですか? そんな思わせぶりにされたら気になるんですけど」
「いや……なんていうかな。お前怯えきって小さくなってたし。アレ見りゃそう思うよな」
「怯えてなんかないですよ!
「ムキになるなって」
スプーンを持ったままの手が顔の前まで来て、帽子のつばをこつんと小突く。涼一は体全体でそっぽを向いた。
「カレー臭いからやめてください」
「怒るなよ」
「怒ってない」と涼一が不機嫌に言うと、真崎は声を出して笑った。むっとして真崎を睨み付ける。
「悪かったよ。まぁつまり、お前が狼の群れに放りこまれたラム肉みたいにガチガチに緊張してたのが面白かったそうだ。確かにお前、将棋の駒一つ動かすだけでも指先で恐る恐るちょんって摘まんでてさ。見ててかわ――面白かった」
「それは怯えてたわけじゃなくて、将棋盤とか駒があんまり古くて汚かったからです。きちんと消毒してあれば僕だって平気だ」
「分かってるって。だからお前が綺麗好きってこととか、みんなに説明しといた。言っとかなきゃまた昨日みたいなことがあると悪いだろ。それこそあの爺さん達、お前に菓子とか食い物押しつける気満々みたいだったからさ。――言ってよかったんだよな」
「それは別にいいですけど」
「けど?」
「怒ってませんでしたか? 汚いモノ扱いするなとか」
それが一番不安だった。しかし真崎は鼻で笑い、グチャグチャになったカレーをまたスプーンでかき混ぜる。
「お前、酒井さんの脚がなんであんなか分かるか?」
「知るわけないじゃないですか」
「昔路上で寝てるところをイかれたガキにリンチされたんだよ。集団で寄ってたかってボコられて、近くの家から盗んだコンクリートブロックを何度も脚の上に落とされたらしい」
あまりに衝撃的な話だった。涼一に言えたのは、「なんで」という言葉だけだった。
「なんでもクソもねえよ。ただそこにホームレスがいたからって、それだけだろ」
「……死んじゃったら、どうするんですか」
「死んでもいいんだろ。別に。――こういう暮らしをしてると、そう珍しいことでもない」
「珍しくないって、そんなの駄目じゃないですか……。傷害事件ですよ、それ」
「訴えなきゃ事件は成立しないだろ。俺たちは世間様にいろいろと負い目もあるし、警察の世話になりたくない人間も多いんだ。だからよほどのことでもなきゃ警察には頼らない」
「でも集団でリンチなんて、そんなこと……」
声が震えそうになるのを感じ、途中で言葉を止めた。
中学生の集団に囲まれ、芋虫のように背中を丸める酒井の小さな背中が目に浮かぶ。
殴られ、蹴られ、暴言を吐かれ……抵抗もできずに見上げると、それを行っている彼らの笑顔が見える。友人達とくだらないことで笑い合うときと変わらない笑顔で、彼らはその行為を楽しんでいる。笑っている。
……喉の奥が痛い。手が、震えてきた。
「勿論、障害が残るレベルまでってのはめったにないけどな」
真崎の声で我に返った。真崎は優しく目を細め、「だからそんなに心配するな」と言って、涼一の帽子のつばを指先で軽く撫でた。
「普通なら、せいぜい寝てるところを蹴られるかションベンかけられる程度の軽いもんだ」
「……軽いんですか?」
平静を装い、涼一は訊ねた。
「軽いって。そういうのは大抵酔っ払いが調子に乗ってやってくる程度だから、まだ可愛げがある。そうじゃなくてガキの集団だと、面白半分でテントに火ぃつけたりするんだよ。ある意味この生活の最大の敵はガキだな」
確かに、似たような事件は昔ニュースで見たことがある。事件の直後こそマスコミも大きく騒ぎ立てるが、毎日のように起こる事件に押しやられ、いつの間にか話題にも上らなくなる。涼一だってこんなことでもなければ思いだしもしなかっただろう。
「だから、そういうガキに比べたらお前なんか可愛いもんだろ?」
「……そうでしょうか」
「そうだ。こんな生活してると、若い子との付き合いなんてボランティアかサンドバッグくらいしかないんだよ。でもそうじゃなくて、ごく普通の人間として、孫くらいの歳の子供と付き合えるってのが皆嬉しいんだろ」
「僕にはよく分かりません」
「それならそれでいいよ。ただ、お前が嫌じゃなければ挨拶くらいはしてやってくれ。みんな喜ぶから」
その程度が嫌なはずはない。涼一は「はい」と頷いた。
気づけば、話に夢中で少しも食事が進んでいなかった。一方、真崎のカレー皿はもうほとんど空だ。
涼一は慌ててゼリー飲料のチューブに吸い付いた。その気になれば、数分とかからずに完食できるのもゼリー飲料のいいところだ。
半分くらい飲んだ後、チューブから中身が溢れてしまうギリギリの力で、ゼリー飲料のパックをムニュムニュと押した。うっかり漏れてしまえば、先のところを舐め取る。涼一はこういう意味のない手慰みが好きだった。
ふと、視線を感じた。真崎だ。
「あ……すみません」
行儀が悪いところを見られてしまった。すぐに手慰みをやめたが、それでも真崎の視線は涼一の横顔に貼り付いているようだった。涼一の顔は、耳まで真っ赤に染まった。
恥ずかしい。顔を凝視されて不安になる以上に、どうしようもなく照れくさくて、恥ずかしい。
どうしたらいいのか分からず、涼一はこっそり真崎を見つめ返した。そして目が合った瞬間……どうしてそんなことをしたのか自分でも分からなかったが、真崎に向かって、はにかみながらも笑いかけた。
「っ……、何――」
真崎はぎょっとし、すぐにそれを恥じるように顔を真っ赤にした。そして思いっきり顔を顰めかと思うと、突然頭を抱え込んだ。
「す、すみません……」
「――可愛いよな、お前」
「え……!? 何……」
涼一の肩が微かに震えると、真崎はのろのろと顔を上げ、涼一の顔を覗き込んできた。真崎の目は、あらゆる感情を殺したような暗い色で濁っていた。
「もっと笑えよ。可愛いんだから」
そんな目で言われても嬉しくない。けれども真崎は濁った目のまま、「可愛いな」とくり返した。
「……やめてください」
「なんで?」
「……子供じゃないですし、僕だって男なんですから。可愛いなんて――」
「だからだろ」
真崎の顔に、侮蔑するような笑みが浮かぶ。「え?」と涼一は聞き返した。
「女と違って、お前なら天地がひっくり返ってもあり得ないから言ってんだよ」
あり得ない――強い語気で強調されたその言葉に、カッと顔が熱くなった。
女が相手ならあり得て、男の涼一が相手ならあり得ない可能性。牽制するような態度の意味は、たった一つしかない。
「誤解です! 僕はそんなつもりじゃありません!」
嘘ではない。本当だ。
真崎といると安心するし、微かな興奮もあるし、真崎に嫌われたくないとも思う。たぶん涼一は真崎に好意を持っている。
しかしその好意は、普通の好意だ。それがどんなに真崎が誤解するものに近くても、涼一と真崎は男同士。男同士の間に生まれる好意は、普通の好意でしかありえない。それが涼一にとっての普通だからだ。
「……どうだかな」
「違いますってば。絶対」
そう。真崎は知らないからそんな誤解をするのだ。
涼一は小さい頃、テレビでレズビアンカップルの結婚式を見たことがある。どちらもウエディングドレスを着た女性達を見て、涼一は「どっちが男の子?」と母に訊ねた。恋愛も結婚も男女がするもので、同性が結婚するという概念が涼一の世界にはなかったからだ。 涼一は片方が男だと疑いもしなかった。それくらい、男女の間でしかその感情が生まれないというのは涼一にとっての常識だった。
真崎は「そうか、悪い」と言うと、何事もなかったかのようにグチャグチャのカレーをスプーンで口に運んだ。
なぜか涼一は、意地になっていた。
「そうですよ。少しでもそんなふうに疑うなんて変です」
「悪かった」
「男同士なんだし、そんなこと思いつきもしないのが普通です。変ですよ真崎さん」
「悪かった」
「だいたい僕だって変な誤解されたら不快ですし。そんな普通じゃないこと、本当に絶対無いですからね。気持ち悪い」
「うるせぇな!」
真崎は突然声を荒らげた。
「悪かったって言ってんだろ! メシ食ってるときくらい黙ってろ!」
涼一は肩をビクッと震わせた。声も出なかった。
同級生ならともかく、大人の男から怒鳴られるなんて生まれて初めてだった。しかも相手は真崎。
怖かった。そして恥ずかしくて、悲しかった。
今にも泣きだしそうな涼一を無視し、真崎は乱暴にカレーを掻き込んだ。その横で、涼一はまだ中身の残るゼリー飲料を鞄に片付け、持ってきた携帯ゲームを始めた。そうでもしなければ、本当に泣いてしまいそうだった。
真崎のカレー皿はあっという間に空になった。真崎は目を細めて川を眺める。しばらくすると、ぽつりと言った。
「涼一。怒鳴って悪い」
「……いえ」
「お前にはまだ分からないかもしれないけど、男なんてみんなチンコに脳みそが付いてんだ。だから干からびてくると、猫だのちくわ相手でも、フワッとそういう気分になる瞬間があってさ。……言ってる意味、分かるよな?」
全く分からなかったが、促されるように頷いていた。真崎はほっと息を吐く。
「ならいい。さっきのは忘れてくれ。来週まとまった金が入ったら、真っ先に箱ヘルでも行ってくるから。そうしたらもう変なことは言い出さないと思う」
箱ヘル……聞いたことはある。どこまでのサービスをする店かは分からないが、間違いなく風俗店だ。真崎は来週、涼一に会う時間を削って働いた金で女を買うのだ。
どんな言葉を返したらいいかも分からず、涼一は心を殺し、無心でゲームを続けた。
ホームレス達が捌けてきた頃、真崎の後に付いて炊き出し用のゴミ袋にゴミを捨てに行くと、真崎と同じくらい背が高い男子学生が駆け寄ってきた。
「こんにちは、真崎さん。――と、涼一君だよね?」
なぜ涼一のことを知っているのかなど聞くまでもない。涼一は帽子のつばを摘まみながら真崎を見上げた。
「ボランティアの新藤君だ。炊き出し以外にもホームレス相手に声かけをしてて、うちの公園にもよく来る」
「初めまして。俺はN大社会学部の三年、新藤海斗です。一応このサークルの部長です」
よろしくね、と爽やかに笑い、新藤は腰を屈めて涼一に目線の高さを合わせてきた。――苦手なタイプだ。涼一は咄嗟に思った。
それでも挨拶しないわけにはいかず、帽子のつばを掴んだまま小さく頭を下げ、そわそわと足下を見下ろした。
「涼一君のことは真崎さんやタカオさん達から聞いてるよ。最近、真崎さんに懐いてる可愛い子がいるって」
「……そうですか」
「涼ちゃんって呼ばれてるんだよね? みんな可愛い可愛いっていうから気になってたんだけど、今日は会えてよかったよ。――あ、そうだ。連絡先教えてよ」
まだOKも出していないのに、新藤はポケットから携帯を出した。仕方なく、、涼一も母親以外の連絡先が入っていない携帯電話を取り出した。
新藤の携帯はスマートフォン。涼一の携帯は二つ折り式のガラケー。それをネタに話しかけられてもおかしくないはずなのに、新藤はそのことに全く触れなかった。それが逆に涼一の胸をざわつかせた。
「涼一君で登録……っと。よし。いつでもメールちょうだい。電話でも大丈夫だよ」
はい、と答えておいたが、涼一から新藤に連絡をとる日など一生来ないだろう。
新藤は爽やかな好青年の笑顔を浮かべ、サークル仲間達のところに戻っていった。
二人きりになると、涼一は「真崎さんも携帯もってるんですよね?」と聞いてみた。期待がなかったといえば嘘になるが、半分以上は世間話のつもりだった。しかし真崎は突き放すように、「仕事用にな」と答えたきり、涼一の方を見ようともしなかった。それ以上、聞くことはできなかった。
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