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二、
こんなただれた生をしていたら、やがて父息子ともに壊れてしまう。そう思えど、ハチヤにはどうする術も、考えもなかった。
ただ、死んでしまいたいと思うことはあった。
(だけど、ぼくが死んだらおっ父は一人……)
母を亡くした悲しみを知るハチヤだからこそ、非道な父親でも守らずにはいられなかった。
月が高くのぼる。
ハチヤは身震いしながらぼろぼろの手拭いで水気を拭き取った。粗末な一枚ではすべてを拭うことはできず、髪はまだ湿気ている。
どうせまだ眠りたくもない。せっかく月が眩しいのだからと、ハチヤは仕事をすることにした。彼が最も得意とし、そこそこ稼げる手仕事である。
ハチヤは父を起こさぬよう、静かに居間へ戻ると湿った着物を替えた。そして改めて指先の湿り気を拭う。
庭に面し、月明かりの降り注ぐ障子の側に、滑るようにしながら腰を移す。そこには夕方摘んできた綿の花と、糸車が一つ在った。
幸いなことに、ハチヤは糸車の音が好きだった。いっそ糸を紡いでいれば、嫌なことはすべて忘れられた。ふわふわの綿を、ひたすら細く細く紡いでいる間は、世界が自分と糸車だけになったような心地でいられる。
カラカラと小気味のよい音を立てて、車を回す。
糸にムラが出来ぬよう、指先に持った綿を器用に動かしていく。
それだけで、気分は落ち着きつつあった。
「あゝ、綿毛をつむいで……」
思わず口ずさんだところで、ハチヤは息を飲んだ。たった襖一枚、隔てただけで父が寝ている。これで起こしでもしたら、動ける右脚さえ潰されてしまうかもしれない。
襖の向こうへ固唾を飲んで意識を集中させる。相変わらずガマガエルのいびきが響き、ハチヤは胸を撫で下ろした。
(静かにしよう……)
そうして、改めて無言に糸車を回す。
どれくらいそうしていたか。月明かりがかすかにかげり、室内の薄暗さが一層増した。カラカラという音が床に落ちていく。
しかし、かげりを感じたのはそれだけではなかった。背後の障子に気配を覚え、ハチヤは糸車を回したまま振り向いた。
「……きみは」
穴の空いた障子に、一対の光る目があった。その目はハチヤの糸車をじっと見ている。
そして雲が動き、月の顔がまた現れたのだろう。障子にぼんやりと映し出されたのは、糸車を回す真似をする狸の姿だった。
「ふふ、……」
ハチヤはそのあまりの可愛らしさに、袂を寄せて笑い声を噛み締める。丸々とした体の線を描く狸は、片手に綿を持つように伸ばし、また片手は糸車を回すようにくるくると回している。
「……糸車 、面白い?」
吐息のような声で、狸に囁きかける。言葉が伝わるのかは分からない。それでもハチヤはそう問うてみる。
すると狸が、その細い口先からニッと歯を見せたような気がした。
「いいよ。ゆっくり見ていって」
ハチヤは糸車に向き直ると、またその世界へ帰っていった。
けれど、いまばかりは一人ではない。それだけでハチヤの胸には燈明がさすように、温かく、心強かった。
つづく
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