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人の気配がなくて静まり返った特別棟のぬるい空気の中、階段を上がって三階の奥に行くと、不意に話し声が聞こえた気がした。耳をすまして注意しないと聞き取れないくらいの、微かな声。ハルの他に、もう一人誰かいるらしい。なるほど、そういうわけね。 こんなとこでハルがやりそうなことなんて高が知れてる。構わずに彫塑室から入って準備室のドアを開けると、すぐそばにある水道で手を洗っているハルがいた。コトはもう済んだらしい。相手の姿は見えないけどまだここにいるはずだ。今回はどんな女の子だろうと思っていると、廊下に繋がるドアの方から物音がした。たぶんあの棚の裏にでも隠れてるんだろうな。 ハルと会話しながらその棚の方に目をやると、乱雑に置かれた石膏像の奥に姿見があることに気づいた。埃避けの布が掛かっているけど下の方は出ているらしく、その大きな鏡には座り込む男子生徒の後ろ姿が写っていた。 こ、今回の相手、女子じゃなくて男だったのか……。 本人は鏡に自分が写っていることに気づいてないようで、棚の影で三角座りをして息を潜めているつもりらしい。うん、ここの角度からだと丸見えなんだけどね。 ハルは男も大丈夫なのかとか、ちらりと見えた彼の顔はけっこう可愛いかったなとか、雑念にまみれた心をどうにか隠してハルを説得する。 どうせ連れ込んだのはハルであの子に罪はないだろうし、俺が用があるのはハルだけだからあの子に絡もうとは思わない。 釣れないハルの手をがっちり掴んで無理やり準備室から引きずり出して、教室に寄って荷物を回収してから校舎を出た。俺に引っ張られている間、ハルはずっと「やることがある」とか「絶対帰るから、ちょっと待ってて」とか言ってたけど全部無視した。今日こそはあの女教師の相手をしてもらわないと、いつも代わりに出てる俺が死ぬ。 家に着くまであと数分、って所でごねていたハルは強硬手段を取ってきた。背中を蹴られて呆気なく逃げられる。あいつ、手加減しないで思いっきり蹴ってきやがった。 慌てて追いかけたけど、昨日から体調の悪い俺と、さっきまで致していた元気なハルとの距離はどんどん開いていく。結局、学校の近くの公園に逃げ込まれて見失ってしまった。 「あー……ほんと、最悪……」 熱が上がってきたみたいでフラフラする。この広い公園を探し回るほどの体力は残っていない。かといってこのまま家に帰ってあの家庭教師の相手をするのも御免だ。 入り口近くにあったベンチに座ると、一気に疲れが押し寄せてきた。熱が下がるように祈りながら休んでいると、近づいてきた誰かの影が俺のと重なった。 誰だろうと顔を上げると、ハルの相手をしていたあの男子がいた。この子も俺をハルだと勘違いしてるみたいで、可愛らしい見た目に似合わない口調で話している。弟だと説明するのも面倒で、特に訂正もしないまま話は進んでいった。

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