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この状況で出ていくのも不自然だから仕方なく部屋にいることにした。中身のない会話と質問に当たり障りのない答えを返すのもダルくなってきて、そろそろ無視を決め込もうかなと思い始めた頃、テーブルの向かいに座っていた家庭教師があっと大きな声を上げた。
何事かと顔を見れば、頬を少し膨らませ目を眇めて「私は怒ってます」とでも言いたげに睨んできた。男ウケが良さそうなアイドル顔も残念ながら俺には効かない。他の男からしたらきっと可愛く見えるんだろうけど、こんな風にぶってる女より夏希の方が何十倍も可愛い……なんて、こんな時にまで夏希のことを考えるなんてもう末期だ。
……夏希は今頃、何してるんだろう。一緒にいる時はセックスしかしないし、趣味とか普段何をしているかとか全然知らない。他のセフレが何をしててもどうでもいいけど、やっぱりお気に入りだから気になるのか。明日会ったら聞いてみよう。いきなりどうしたんだってまた言われるかな。
「……したの?」
「あぁ、ごめん。聞いてなかった」
「もう!一昨日はどうしたの、って言ったの。何の連絡もなかったし、最近ちゃんと出ててくれたから心配したんだよ?」
最近の授業に出てたのは俺になりすましたカナでした、なんて口が裂けても言えるはずがなく……。
そもそも俺の家庭教師をしているこの女はカナが見つけてきた人で、そして後から判明したことだけど母さんの恩師の孫娘らしい。なんでそんな人とカナが繋がってるのか詳しくは分からないけど、カナは俺の知らないネットワークを持っていて母さんや父さんの知り合いとも面識があるから、きっとその伝手か何かで見つけてきたんだろう。普通は家庭教師を派遣する会社を通して頼むのがトラブルも回避できていいんだろうけど、恩師であるおばあさんには俺たち双子も幼い頃から面識があって可愛がってもらっていたから、その人の孫なら大丈夫だろうと信用して個人的に家庭教師をお願いすることになった。それが確か半年くらい前。
初めの頃は普通の先生と生徒の距離感だったから、今みたいに逃げ出すこともなく真面目に授業を受けていた。だけど授業をやっていくうちに家庭教師側がだんだんと距離を詰めてきて、それこそパーソナルスペースに入ってきて、親の恩師の孫という立場を利用して幼気な高校生を狙ってきてるんだろうなっていうのが明らかだった。
二人きりの空間でタイプではない女から色目をかけられることにさすがの俺もだんだんと耐えられなくなって、精神が磨耗するからどうにかして授業から逃げたいという気持ちと、でも仕事で忙しい両親に迷惑をかけたくないという気持ちがせめぎあった結果、少しだけ前者の方が勝ってしまってここ数ヶ月の授業をサボっていたというわけだ。
ただ、担当生徒である俺が授業に出なければ、この女から保護者である両親に連絡が行ってしまう。だから同じように迷惑をかけたくなかったカナが、できる限り俺の代わりを買って出てくれていた。幸いにも十数回に渡って行われた俺たちの入れ替わりがバレたことは一度もなく、でもカナにとっては不幸なことにバレてないせいで俺に接するのと同じようにされて以来、この家庭教師は俺のセフレたちと同等だと思って関わりたくないらしい。
ちなみにこの女は普段のカナ自身にもちょっかいを出すから、入れ替わっている時のことを差し引いてもかなり苦手だと言っていた。
カナの頑張りのおかげで母さんはやっと俺に合う家庭教師を見つけたと思ってるらしく、この女も女で母さんや父さんに取り入ろうとするかから契約を終わらせることもできない状態だ。
家庭教師をお願いしているのはこっちだし、やってくれる授業の質は悪くないから俺が我慢して授業に出ればいいだけの話なんだけど……。フィーリングというか性格というか……どうしても合わないものって誰にでもあるだろう。俺にとってのそれがこの女であってしまったがためにカナを巻き込んでしまって――これに関してはカナが自分から巻き込まれに来た感じもするけど――、ストレスを溜めたカナが耐えられなくなって遂に一昨日、あの行動に出たってわけだ。
「あー、一昨日は学校に遅くまで居残ってて……。先生に呼び出されてたからスマホ使えなくて」
「そんなに遅くまで?」
「そう、遅くまで。ほら俺って学科長してるでしょ?それで呼び出されちゃった」
真偽を確かめるようにじっと見つめてきたから笑って誤魔化す。それ以上追求されないように自分から別の話題を出した。
「それより先生。先生って大学生だよね?夏休みは何して過ごすの?」
それは俺からしたら興味の欠片もない話題だったけど、この女にとっては魅力的なものだったらしくすぐに食いついて話し始めた。海とかキャンプとか旅行とかいうワードが出てきて、話を聞き流しながら夏希と行けたら楽しいだろうななんて妄想をしていたら、あっという間に授業の開始時刻になった。
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