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C:3-1
一昨日、昨日に引き続き今日も泊まることになっていた俺は、到着して五分、八重家の門扉の前でインターフォンを鳴らすのを躊躇っていた。
時間が経つにつれて、自分の中の夏希への想いがどんどん強くなってきて完全に意識してしまっている。恋をしているという慣れない感覚に戸惑っているけど、その相手が夏希だと思うとこのドキドキも心地いいような気がしてくるから不思議だった。
「俺は勉強会に来たんだ……。勉強、勉強……よし!」
気合いを入れて今度こそインターフォンを押す。ドキドキしながら待っていると、少しして開いたドアの隙間から夏希がちらりと顔を覗かせた。可愛いなぁなんてキュンとしながら家に入れてもらって、ふと前を歩く夏希のうなじが赤くなっていることに気づいた。よく見るとその正体は昨日よりも明らかに増えたキスマークで……。
その衝撃でさっきまでのドキドキも戸惑いも全部ふっ飛んだ。
「な、夏希、後ろどうしたの!?すごい痕だよ!?」
「あぁ……別になんでもない」
部屋に通してもらって付けられた痕を見ながら恐る恐る理由を聞いてみる。『なんでもない』なんて言っているけど、不貞腐れたようにじとっと俺を見てきた。
夏希に触れる許可を取って、シャツの首元を少し下に引っ張る。予想した通り、背中の方もキスマークが増えていた。至る所に散らされたのを見ると、キスマークなんて可愛らしいものじゃなく最早これを付けた人の執着心そのものに思えた。
その上、増えていたのはキスマークだけじゃなくて……。
「えっ……歯形!?なんで!?……まさか、ハルに?」
「……お前の片割れは犬か何かか」
……本当にハルがやったのか……。
おかげで暑い季節なのにしばらく首回りが開いた服が着れない、背中が痛い、と文句を言われた。キスマークの一つや二つくらい増えたって気付かないだろうとハルを侮った結果、こんなことになるとは思ってもみなかった。
昼間連れ込んでいたのは夏希だったのか……。今日は俺はどこにも出かけず家にいたから、また誰かとヤってるなとは思ってたけど夏希だったなんて。だってセフレなんて何人もいるはずなのにあのハルが特定の人を二日続けて呼び出してヤってるとか、明日雪でも降るんじゃないかってレベルであり得ないことだった。何よりハルが自分でそう言っていたし、実際に今までそうだったんだから。
同じ家の、壁を隔てた隣の部屋で付けられた痕をまざまざと見せられて、どう反応したらいいか分からなかった。
『お気に入り』に対してのハルの独占欲がここまで強いなんて。というかまさか本当にセフレに『お気に入り』を作っていたとは。
「『お気に入り』か……」
「は?」
「ああ、ごめん、こっちの話……」
というのも、ハルは家族以外の他人と何かを共有することがダメだ。それが『お気に入り』ともなれば必然とハードルも上がるわけで……。そこには潔癖的な意味も含まれているんだけど、独占したいという気持ちの方が大きいらしい。生きてるものとか半分にできないものは最初から諦めるくらい、ハルの言動の核になっていてどんなときでも徹底していたはずだ。
ハルのそういう性格を理解できるのは幼い頃から一緒にいた俺くらいで、その俺に対してもきっちり半分こにしないと気がすまないんだから、赤の他人に分かってもらえるはずがないと言っていたくらいだ。
ハルにとってセフレや彼女の『共有』が、『自分だけでなく他人とも関係をもつこと』を意味していることも聞いていた。自分が何股もかけるのはいいけど、自分がかけられるのは許せないらしい。どれだけ気に入ってても他人の手垢がつけば共有したくない――人間はシェアできないからと手放してきたことも知ってた。
今までそういうことがあった時、「たくさんいるし一人くらいいいか」とか「また作ればいい」とか言ってあまり気にしていない風だったから、それがハルのポリシーで崩れることはないと思ってた。
だから、俺が付けたキスマークに気づいたハルが、例に違わず夏希を手放すだろうと勝手に思っていたわけだけど。
……でも、違った。
ハルの中にも例外が存在するのだと、俺の目の前で「明日もなんて無理だ」と嘆いているこの子が証明している。いくら『お気に入り』とはいえ、所詮夏希はセフレの一人だから大丈夫だと高を括っていた。
どうやらハルは、どうしても夏希を手放したくないらしい。
それがお気に入りのセフレだからなのか、それとも別の感情があるからなのかまでは分からない。でも、今まで徹底して貫いてきた核の部分を揺るがせるくらい、夏希は『特別』だということはよく分かった。
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