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八重家からの帰宅途中に父さんから電話があった。書斎に忘れ物をしたから正午までに持ってきてほしいとのことで急いで帰る。家から父さんが働いている大学病院までバスで最低でも三十分だ。すぐにその忘れ物とやらが見つかれば余裕で間に合うけど、何せ父さんの書斎は本やら書類やらですごいことになっているから間違いなく探すのに時間がかかるだろう。 ポストに届いていた手紙を確認しながら帰宅すると、リビングでハルがソファーに寝転がってドラマを観ていた。通りがけにちょっと気になって今日は出かける予定はないのか聞いてみると、曖昧な答えが返ってきただけだった。 まだ夏休みに入って三日しか経ってないとはいえ、去年の夏休みは初日から泊まりがけで遊びに行っていたから、今年はもっと派手に行くと思ったのに今のところそんな気配はない。むしろ遊び歩いてる――といっても夏希の家に泊まってるだけ――のは俺の方だ。 セフレを連れ込まずに大人しくしていてくれるならそれに越したことはないけど、てっきり夏希との予定がキャンセルになって機嫌が悪いだろうと思っていたから、こうも大人しいとどこか具合が悪いんじゃないかと心配になる。 「……カナは、今日も朝帰りだね」 「まあね。そうそう、父さんの忘れ物届けにまた出かけるけど……分かってるよね?」 「んー、少なくとも家には呼ばないから安心して。予定してた子の都合が悪くなっちゃった」 そのセフレが夏希だということも都合が悪くなった理由も、すべて知っているだけにドキリとした。直接ハルから夏希について聞いたことはあったけどそれは夏希と知り合う前で、こうして夏希と仲良くなった今ではなかなか心臓に悪い話題だと思い知る。 ハルが自分から話題を出すセフレが夏希だけだということも分かっているから、ここ最近様子がおかしいのはどう考えても夏希が原因だろう。お気に入りのセフレができただけでこんなに変わるなんて、とずっと近く見てきた俺もびっくりするくらいなのだから、当事者であるハルは自分の変化にかなり戸惑ってるんじゃないだろうか。気づいてないなんてことはさすがにないはず……。 夏希が言っていた『夏休みは全部空けてある』って言葉が、『ハルのために』だってことはもうとっくに知っている。ハルの気まぐれに合わせられるように自分の予定を一切入れないなんて随分と健気なんだなと一瞬思ったけど、呼び出す理由が理由だからいい気はしない。 でもまあ、ハルは夏希とセックスしてるけど、裏を返せばそれしかしてないってことだ。泊まったり一緒に勉強したり何だかんだ許されてる俺の方が、『セックス止まり』のハルよりも近い距離にいるんじゃないのかと考えたら途端に気分がよくなった。俺がそう思いたいだけでどっちが近いとか、こればかりは夏希に聞いてみないと分からないけど。 「下半身だけじゃなくてちゃんと頭も使いなよ。普通科といえど、課題はいっぱい出てるでしょ」 「はいはい。……ねぇ、一緒に勉強してる人って俺も知ってる人?俺も勉強会、参加しようかなぁ」 「どうだろうね。本気で勉強したいなら考えとくよ」 俺と夏希の間にはハルの知ってる接点がない。 ハルから夏希の話を聞いているということと、一度だけ部屋で寝ていた夏希を俺が見たことがあるということをハルは知ってるけど、それだけでは確信を持つまでいかないだろう。 夏希にはハルを驚かせるためと言って俺たちの関係を口止めしている。恋人じゃなくてお気に入りのセフレだと知ってからは驚かせたいという気持ちはなくなって、今はただ単にバレたら面倒くさいことになるし、俺が独占している夏希との時間を邪魔されかねないという気持ちが大きい。 この間の匂わせにも反応しなかったから、こっちから言わない限り絶対に気づかれないだろう。今のところ言うつもりはないから、願わくば一生気づかないでいてほしいものだ。 まさかハルのセフレを好きになるなんて思ってもみなかった。他人と共有するのが嫌いなハルを諦めさせるためにやった、夏希が他の人と関係を持ってるんじゃないかと思わせるキスマーク作戦も駄目だったし、ハルの行動を伺いつつ攻めていくしかない。 夏希を通して牽制してる相手が自分の片割れだと気づいたら、ハルは一体どんな反応をするんだろうか。自分のセフレに手を出すなと言うのか、それとも……。 何にせよ、俺だってハルには渡したくないしハルよりも大事にできる自信がある。まあ、こんなこと考えてたって夏希の気持ちがどうなのかなんて分からないし、少しずつやるしかないんだよなぁ……。

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