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連絡先を強請る女を宥めながら、家の近くの大通りまで送ってもらったのが午後十時半。外から見た俺の部屋には明かりがついていない。カナの部屋もそうだ。あのしつこい家庭教師もさすがに帰ったんだろう。ガレージに車はなくて共働きの両親はまだ帰っていないようだった。たぶん今日も日付け越えるんだろうな。 玄関を開けようとして途中でドアノブが止まった。押しても引いても開かない。俺に蹴られて機嫌を悪くしたカナが鍵を閉めたのかも。家の鍵もカナが持ってる鞄の中だ。 どうしようかと考えるまでもなく家の裏に回って、物置小屋の壁に立て掛けてあった脚立を持ってくる。玄関ポーチの側に置いて、一応誰かに見られていないか辺りを確認して登り、ポーチの屋根からサンルームの屋根へと移った。 俺にとってよくあることだ。夜遅くまで遊び歩いて閉め出されるのなんてしょっちゅうだし、こういうときのために、外出するときはいつも窓の鍵をかけないようにしている。 サンルームの屋根はカナの部屋のベランダと接していて、その隣が俺の部屋。音を立てないようにそっと窓を開けて、ベランダで靴を脱いで中に入った。 「さてと……充電しなきゃ……」 無事帰宅できたことを喜びつつ、電源の落ちたスマホをコードに繋ぐ。しばらく充電しないと使えないから、その間に部屋着に着替えてさっき脱いだ靴を片手に一階に下りる。明かりが点いてないリビングを通って玄関に靴を置くときに、カナの靴がないことに気づいた。やけに人の気配がしないと思ったけど、カナのやつまだ帰ってきてないのか。早く鞄を返してもらおうと思ったのに。無くてもすぐに困るわけじゃないけど、俺は自分のものは手元に置いておきたい派だから、まだ帰ってきてないカナをちょっと恨めしく思った。 一階に下りたその足でシャワーを浴びて、しっかりと髪を乾かして寝る支度を済ませたころにはもう十一時半を回っていた。珍しいなぁ。カナがこんな時間まで帰ってこないなんて。彼女……はないか。どこにいるんだか。 俺とは違ってカナは真面目で律儀でとても紳士的。門限がなくてもいつも九時前には帰ってくる優等生くんだ。体調が悪化してどこかで野垂れ死んでなきゃいいけど。 自分の荷物のためにもカナが早く帰ってくることを願いつつ、ミネラルウォーターを飲もうとキッチンに寄って冷蔵庫を開ける。食材の他に並べられたコンビニスイーツたちは甘党であるカナのもの。いわゆるスイーツ男子ってやつらしい。そういえばあいつも甘いもの好きだって言ってたなぁ。食べるのだけじゃなくて作るのも好きみたいで、甘いものが得意じゃない俺にも甘さ控えめな洋菓子を作ってきてくれたことがあったっけ。他の人に貰ったものは何が入ってるか分かんないから食べようとも思わないけど、あいつが作ったものは美味しかった。 お目当てのミネラルウォーターをグラスに注ぎ、それを飲みながら部屋に戻って復活したスマホをチェックする。友達から遊びのお誘いメールが何件かきてるだけで、カナからは何もきてなかった。普段があんなに真面目だから少し心配になってくる。 兄心でメールしようかどうしようかしばらく迷っていると玄関ドアの閉じる音がした。すぐ二階に上がってこないってことは父さんか母さんのどっちかだ。 空になったグラスを片付けるついでに見に行けば、リビングに疲れた顔をした母さんがいた。大事な学会前だから研究所に泊まり込みで作業する、って言っていたから今回は洗濯物を取りに来ただけだろう。昨日カナが準備してた洗濯物が入ってる紙袋を渡す。 「ありがとうハルくん。そうそう、カナくんから今日はお友だちの家に泊まる、ってメール入ってたわよ」 「え?泊まり?」 「ふふふ、カナくんにもやっとそういう子ができたのかしらね~?あの子勉強ばっかりだったから、お母さんちょっと心配してたのよ。ハルくんも、やらなきゃいけないことはちゃんとやるようにね」 遠回しに『ちゃんと避妊しろ』と言われて肩を竦める。最近母さんとはあまり話せていないけど、俺の貞操の悪さはバレてるみたいだ。まあでも、最近お気に入りの相手はいくらヤったとしても子供ができることはない。もちろんあいつとヤるときもちゃんとゴムは付けるけど。 それより、母さんが帰宅できるかどうか分からないってカナも知ってるはずなのに、俺にじゃなくてわざわざ母さんにメールを入れるとは……。 「じゃあ、お母さんもう戻るけど、早く寝るのよ」 「はぁい。母さんも仕事頑張ってね」 母さんは俺の頭をわしゃわしゃと撫でてから出ていった。再び一人になった家は耳が痛いくらい静かで、今夜カナがいないことを改めて思い知らされた。

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