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せっかく躱せたと安堵していたのに、また話を蒸し返されてしまってどう逃れようか考えていたら、電話の向こう側で貴臣さんを呼ぶ男性の声がした。 英語だったから何を話しているのか断片的にしか分からなかったけど、とにかく陽気な声で「タカオミ~」と連呼するのが聞こえてくる。留学先では友達数人とアパートをシェアしているらしいから、そのルームメイトだろうか。 『いいところだったのに。同居人に呼ばれたわ』 「俺のことからかってないで早く行った方がいいですよ」 『そうするかぁ。あ、来月帰国するから』 「ちょうど一年ですもんね。気をつけて帰ってきてください」 『うん。そのうち顔見せに行くから。じゃあ、また』 こっちの返事を待たずに通話が切れて、トーク画面に戻ったスマホをテーブルに置く。 大学院の制度を利用して留学したから初めから一年間と期限が決まっているらしい。自分がいない間は他の家庭教師をお願いしたり塾に通ったりしてみてはどうかと本人に言われたけど、一年だけだし自力で頑張ってみることにした。その代わり今みたいに月に一、二回は連絡を取って、近況を話したり課題で分からないところを聞いたりしている。 そういえば留学すると聞いたのも出国する一ヶ月くらい前で、いきなりそんなことを言うなんてなんの冗談だと思った覚えがある。今考えてみれば、就職活動をしている素振りもなかったし俺の家庭教師を続けていたから、留学すること自体はずっと前から決まっていたんだろう。 そんなことを思いながらふと時計を見て、慌てて一階に下りる。夕飯の支度をしないといけないのをすっかり忘れてた。 キッチンに行くとハルがいて、カウンターに寄りかかってスマホをいじっていた。 「あれ、来たの?寝てるのかと思った」 「貴臣さんと通話してた」 「なるほどね。留学中だっけ」 「そう。今から夕飯作るからちょっと遅くなるけどいい?」 「あー、カップ麺食べようと思ってお湯沸かしちゃった。カナも食べる?ラーメンしかないけど」 ハルの視線の先には蓋が半分剥がされた即席のカップ麺があった。母さんからは栄養バランスを考えて食べなさいって言われてるし普段は自炊してるけど、今日くらいは手を抜いてもいいか。どうせハルも同罪だし。 少し考えてからハルの提案を受け入れてパントリーからカップ麺を持ってくる。同じものが何個かあったけど、ハルってこの味そんなに好きじゃなかったような……。間違えて買っちゃったんだろうか。たまに抜けてるところがあるよなぁ。 カップ麺だけだとバランスが気になるから、やっぱり何か簡単なものを作ることにした。気休め程度に冷蔵庫にあったレタスとミニトマトでサラダを作っているとお湯が沸いて、ささっと準備をしてハルと食卓につく。 「貴臣先生、もうすぐ帰ってくるの?」 「うん。来月帰国するみたい」 「随分長いこと家庭教師してくれてるけど、就職とかどうするんだろうね」 「大学院行ってるくらいだから研究職にでも就くのかなぁ。あんまりそういう話を聞いたことがないから知らないけど」 自分自身の進学のことを考えたらそろそろ予備校にも通った方がいいだろう。貴臣さんだって就職をするのかこのまま後期課程に進むのか分からないけど、ずっと家庭教師のバイトを続けるわけにもいかないはず。うちの両親は放任主義で進路に関しても基本的に自由にやらせてくれるけど、場合によっては時間を取って話をする必要も出てくるだろうから、貴臣さんが帰国したらその辺のこともよく相談しないといけないな。 「カナは大学行くんでしょ?」 「そのつもりだよ。……え、ハルは?」 言葉に妙な引っ掛かりを覚えて聞き返すと、ハルは箸を持つ手を一瞬だけ止めて、まるで他人事のように話し始めた。 「このままの流れだと行くことになるだろうね。担任とかめちゃくちゃ進学勧めてくるもん」 「ハル的にはどうなの?」 「俺は……正直迷ってる。カナみたいに、なりたい職業とか大学でやりたいこととか特にないから。意味もなく進学するくらいなら、金が勿体ないし働いた方がいいのかなぁとも思う」 俺には明確な目標があるから共感はできなかったけど、でもハルの言いたいことは理解できる。 学費を出してくれるであろう両親からは、二人とも進学して大丈夫だと言われているし、ハルの学力的にもいい大学へ進学できるはずなのに、まさか迷ってるとは思わなかった。俺自身が進学するつもりだから当然ハルも進学するんだろうと決めてかかっていたけど、人生における大きな分岐点なわけだから違う道を選んだっておかしくない。現に高校受験の時だってお互い選んだ学科が違ったし。

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