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ドアの閉じる音で意識が浮上して、傍に人の気配を感じて目を開くと、すぐ目の前に彼方の顔があった。俺と同じシャンプーの匂いがして、なんだかあいつがそうなってるみたいでドキッとした。
「……近くないか?」
「キスしようと思って」
「いや、意味が分からないんですけど……」
じっと見つめてくる視線に耐えられなくなって目を逸らすと、その先にあった時計はすでに九時を回っていた。彼方の肩を押して起き上がり伸びをする。一眠りしたらなんだか腹が減った。今からでも遅くない、夕飯にしよう。
「彼方、夕飯どうする?食べてくか?」
「えっ、いいの?こんな時間に迷惑じゃない?」
「迷惑じゃない。つーかお前、熱あるだろ。やっぱシャワーやめとけば良かったな、ごめん」
「いやいや、大丈夫だって!熱なんてないよ!」
だったら計ってみろ、とへらへらと笑う彼方の胸に体温計を押し付ける。渋々それを受け取って熱を計り始めた彼方を横目に、ちょうどメッセージの受信音が鳴ったスマホを開く。差出人は姉貴で、彼方を心配する内容だった。まだここにいることを伝えると、変なスイッチが入ったことがはっきりわかる返信がきた。妄想するのは本人の自由だけど、せめて心の中に留めておいてほしい。
アプリを閉じてホーム画面に戻ると不在着信があったことに気づいた。メッセージアプリではなくてスマホに直接、彼方を連れて帰ってる途中にかかってきたらしい。彼方の世話で忙しくてスマホを放ったらかしにしてたから気づかなかった。発信者欄には『伊折李生』とある。伊折とは中学の頃の部活が一緒で、二人で遊びに行くくらいには仲が良かった。高校に入ってから一度もクラスが同じになってないし俺も伊折も部活に入ってるわけじゃないからだいぶ交流が減ってしまったけど。……それに、伊折は遊佐みたいな人たちとつるんでることが多いから、こっちから話しかけに行きづらいというか……。
「なんで伊折……?」
「伊折くんがどうかしたの?」
「なんか不在着信が入ってた」
「大事な用事なら、またかけてくるでしょ。かけ間違いじゃない?」
彼方も伊折のことを知ってるらしい。伊折は遊佐と仲が良いみたいだから、彼方とも面識があるんだろう。
伊折がかけ間違いなんてするのかと思ったけど、彼方の言う通り大事な用ならメッセージを送ってくるとか留守電を残すとかするだろう。気にしなくていいやと完結させて、彼方の手から熱を計り終えた体温計を奪い取る。
「うーん、微熱だな。夕飯食えそう?」
「全然元気なんだけどなぁ。食べられるよ」
「夕飯は作るとして………今夜、泊まってくか?体調悪いまま帰すの、気が引ける」
ちらっと窺った彼方の顔は何故かきらきらしてた。周りに花まで撒き散らしてる気がする。なんでそんなに嬉しそうなんだか。
「嫌ならタクシー呼ぶ」
「お泊まりって、夏希くんの添い寝付き?」
「ありえないだろ」
「あはは、そうかなぁ。でも、『お泊まり』って魅力的な響きだね。……家に帰ってもうるさいだけだろうし、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
へらっと笑った彼方は本当に嬉しそうだ。そんなに期待に満ち溢れた顔されてもまじで何もないんだけど。
……何もない、よな?いや、万が一にも何かあったとしたら困るんだけど。何事もなく済ませないといけない。
「夏希と朝まで過ごせるの、すごく嬉しいな」
「あっそ。俺は別にそうでもないけどな」
……口ではそう返したものの、あいつと同じ顔でそんなこと言われたら、違うと分かっていてもときめいてしまう自分がいる。彼方に失礼だから、あまり表には出さないようにしっかり抑えないとな。
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