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第3話 満月
大貫は、定期的に送っている郷里への便りに近況を綴った。
「父上、お元気ですか。母上、お変わりないでしょうか。突然ですが、引越しをしました。大学に近い部屋で、学友と共同生活をしています。なので、いきなり泊めてくれと来られても困ると叔父さんによくお伝え下さい……」
嘘は言っていない。『学友』と『共同生活』だ。
せっかく想いが通じたのに、今野とはキスすらしていない(というか、出来なかった)のだから。
変身能力に長けた狸の末裔、大貫。そして同じく狐の末裔、今野。もともとウマが合い、惹かれ合っていて、変化 体質の秘密を共有するふたりは一緒に暮らす方が様々なリスクを回避できる。そこで、より通学の便が良かった今野の住まいに大貫が居候することになったのだ。これならついうっかり四つ足に変化してしまっても安心だ。一人暮らしの狸や狐が葉っぱを求めて夜道を彷徨い、事故に遭うケースは案外多い。理解者が一緒にいれば、冷静にヒトの思考で落ち葉を確保し、ついでにコンビニに寄って歩いて戻っても、そう簡単には事故に遭わない。
お互い不便な体質ではあるが、恋愛対象となると利点もある。相手が自分のどこに萌えるか筒抜けなのだ。同居して数日の間は双方が湯上りの相方の姿に心拍数を上げて変身し、華麗な鍋裁きでチャーハンを作る今野が振り向けば四つ足になった大貫が椅子の下で転げ、大貫が朝だと揺り起こせば寝ぼけた今野が変化して布団に潜り込み……とにかく、二人暮らしは予想以上に騒々しく、楽しかった。
でも、何も進展していない。変身能力があるとはいえ通常ヒトとして生きているので、四つ足の姿で相手をどうこうすることに抵抗がある。ケモノになるのは嫌だ。第一、狐と狸の姿では言葉が通じない。喜怒哀楽は伝わるものの、会話となるとヒトでいないと成り立たない。
「ただいまー」
今野がアルバイトを終えて帰宅したのは辛うじて日付が変わる前だった。夕飯は賄いで済ませると伝えてあったので、夕飯の残りは全て冷蔵庫に仕舞われていた。テレビも消えていて、明日一限から必修科目が入っている大貫は先に休んだらしい。寝室の戸を開ける前にリビングの照明を消し、大貫を起こさぬようにそっと隙間を開けた。
西向きの出窓から、満月の光が差し込んでいる。来客用だったソファベッドで寝息を立てる大貫を覗き込む。寝顔を見たくらいではもう変化しない。堪え方は身に着けた。この調子でドキドキをコントロールすれば、キスだってできるだろう。お互いが落ち着けば。
いや待て、ドキドキしない関係なんか嫌だぞ。理性で律した行為に意味はあるのか? 月明りの元、照らされる横顔を見つめて考える。……こいつが寝ている今って、もしかしてチャンスなんじゃね?
キスすら出来ないから、大貫は俺のことを「学友」として括る。進展には既成事実を作るのが早道だ。こいつが眠っている間に、ヒトとしてキスするのだ。今だ、今しかない。
今野は意を決して、大貫の唇に自分の唇を寄せた。起こさないように、そうっと、そうっと近付いて、息を殺して……。
ポンッ!
眠っていると思っていた大貫が狸に変化した。わずかな距離を残し、キスは届かない。
「……なんだよ、タヌキ寝入りか」
大貫は潜り込んだ布団からなかなか顔を出せなかった。
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