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第4話 白衣

 理系の学生が大学構内で白衣姿で過ごしているのは、別に不自然ではない。でも、他の学生よりも大貫は白衣率が高かった。無口で秘密主義、ミスターミステリアスの異名を持つ大貫だが、ほぼ毎日実験用長白衣で過ごしているので、彼の私服がどんな服なのか印象に残らない。学内での謎は深まるばかり。  実際、ファッションに興味はないし、お洒落に着飾って出かける趣味も無いので、今野の部屋で同居を始める際の荷物の少なさは尋常じゃなかった。段ボールや宅配便の手配どころか、二人で手に持てば終わる程度の持参物で、あっさり引越しは完了した。 「大貫って毎日白衣を着てるけど、なるほど、洗い替えもちゃんと持ってるのか。これ、アイロン掛ける?」 「アイロンあるの?」 「あるよ。見てろ! 俺、上手いから」  今野はスチームアイロンと台、スプレー糊、そして当て布用の手ぬぐいを手際よく並べた。 「パリッとしたのが着たかったんだけど、アイロン持っていなくて。凄いな、お前」  就職活動が始まると必要になるから、と、先輩がお下がりでくれたアイロンだ。大貫が尊敬のまなざしで見つめるので、今野は鼻高々。洗いあがった3枚を次々熨していった。最後の一枚を糊づけしながら、先日のことを思い出す。学内で狐に変化(へんげ)した自分を抱えて走った時のことを。あのとき人目から隠すように包まれたのも白衣だった。糊のついていない柔らかな風合いで、緊迫した場面なのに懐は心地よくて安心した。 「――パリッとしてるの、お前の白衣じゃないみたいで勿体無いな」 「勿体無いってなんだよ。ちゃんとした方がいいのに」 「でもさ……」  今野は大貫の後ろに立ち、パリッと仕上がったばかりのまだ温かい白衣を大貫の肩から掛けた。そして白衣の上から抱きつく。 「ほら、こんなの大貫じゃないよ。なんかよそよそしい」  肩に擦れる頬がくすぐったい。突然の今野の甘えん坊攻撃に、大貫は動揺した。背中は暖かく、抱き竦められる圧も気持ちいい。下腹が、腰が、ムズムズするのは本能。 「ん?」 「今野……ちょっと離れて」  今野もぴったりくっついた自分達の間に現れた膨らみに気づいてしまった。 「大貫……ごめん、言いにくいんだけど」  わざわざ指摘しなくても良いのに、と大貫は顔を赤くし俯いた。 「もぞもぞ動くの、我慢できないの可愛い」  今野に『武士の情け』というものは期待できない。完全に面白がっている。『離れて』と言ったのが逆に引き金になってしまったのか、離れるどころかむしろ密着してきて、大貫が身を捩った程度では腕の力を緩めてはくれなかった。 「尻尾、フリフリしてるよね?」 「くっ……言うな!」  二人の間で膨れてモゾモゾ揺れているのは、大貫の尻尾。揺れちゃうものは仕方ないじゃないか! 変化しないように必死で堪えているんだ。でも堪え切れなくて、つい。  覆った白衣を脱がしてみると、狐より少し控えめなフワフワの焦げ茶色の尻尾が嬉しさを隠せずに揺れ、指摘にシュンと萎れて縮んで消えた。 大貫本体も、シュンと萎れて床に体育座りで拗ねる。 「これだから白衣を脱げないんだ。コートは部屋ん中では脱がなきゃいけないし、夏は着れないだろ? 便利なんだよコレ。尻まで隠れるから」  大貫が白衣を着るようになったのはいつだったか、今野は思い起こす。入学式はスーツのはず。オリエンテーションの頃は、白衣を着るのは先輩だけだった。  体育座りの膝に顔を埋めた大貫がポツリと零す。 「今まで正体をバラさずにうまくやってきたのに、今野が絡むとダメなんだよ。尻尾、いつ出るか予測なんて不可能だから、尻を隠せる服じゃないと居られないんだ。毎日来ていられる丈の長い服、他にないだろ」  履修が確定して授業が本格的に始まった頃は、大貫はもう白衣だった気がする。目立っていたから、どこにいてもすぐに気がついて、近くに座って、話しかけて。 「――ええと、大貫サン? あんたは一体、いつから俺のこと、認識してたの? 多分、俺が声かけたの、必修科目の単元テストの頃だと思うんだけど」  あっれえ? 俺、大貫のこと追っかけて捕まえて振り向かせて、それでようやく自覚させて付き合うことになったつもりだったんだけど……あっれえぇ??おかしいなあ。  時系列的に矛盾点があるのに、顔面に血流が集中して脳に届かない。遡れば、春から両思いだったということ。  ぷっしゅぅぅぅぅ…。オーバーヒートを起こした今野の頭から湯気が吹き出す。制御不能の腰元から、黄金色の太い尻尾が飛び出して嬉しげに揺れた。揺れるふわふわの尻尾を撫でながら、大貫は笑っている。 「今野の分も長い白衣の洗い替え、用意しないとね。こんなボリューム満点の尻尾、余程ぶかぶかの白衣じゃないと隠せないだろうな」  尻尾を掴まれた感触に振り向くと、はしゃぐ毛並みを捕まえて頬擦りする大貫と目が合った。すぐにでも引っ込めたかったのに出来なくて目を反らす。今野をからかうように、大貫は尻尾の先に触れるだけのキスをした。  

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