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第5話 引力

 同居開始からひと月が過ぎ、だんだんと慣れてきて、風呂上がりの上気した顔くらいでは四つ足になることはなくなった。  いざという時の為の変化(へんげ)に適した"良い葉っぱ"は、神棚と玄関の三和土(たたき)に常備してある。神棚は今野のアパートにもともと備え付けてあって、祀られているのはお稲荷様だ。 「郷里には狸ばかりしかいなかったから、知らなかったんだ。狐って」  今野に倣って神棚に手を合わせ、お供え物を変える。 「郷里を出る時、都会には案外身近に狸が紛れているから、見つけたら仲良くするといいって言われてて。入学式の日、ヒトの波の中から違う匂いがして、味方の匂いを辿ってみたんだ。目は悪いけど鼻は効くんだよね」  説明のできない良い匂いに吊られて、学内を歩き回った。まるで磁石の両極が引き合うみたいに吸い寄せられる。座席がアイウエオ順で助かった。オオヌキからそう遠くないところに香りの出所がある。ア行、いやカ行か……。今野を見つけ出すのに、そう時間はかからなかった。 「ふうん。俺も大貫が近くにいるとなんとなくいい匂いがするなーと思って、惹かれたんだよ。  覚えてる? 学食で俺、サンラータン麺食べててむせちゃってさ、苦しんでいたら大貫がティッシュ持って近寄って来たんだよ 」 「あれ? こっちが近付いたみたいな言い方する? 僕の真後ろの席にいたんじゃないか」  野生の狐は、仮病を演じてのたうち回り、好奇心旺盛なウサギの気が近くに寄ってきたところを捕まえるのだとテレビで見た。こんなことするから、狐=ずる賢いって思われるのだ。 「変化する仲間の匂いがして、嬉しかったんだ。近くにいるとなんか落ち着くし。  ――まさか狐じゃないとは思わなかったけど」  今野はスン!と鼻をひとつ鳴らして香りを吸い込む。 「いい匂いする。大貫の匂い好き」  湯上がりの余熱が大分落ち着いた大貫を背後から抱き込む。自然乾燥の洗い髪に、耳の後ろに、と鼻を寄せて、スンスンと吸い込んだ。 「どこから出てるんだ?この匂い。首の周り……よりも背中、もっと下か?」  ソファの上にうつ伏せに倒された大貫は不意打ちの接近に硬直している。今野は匂いの出所を知りたくなって、構わずクンクンと嗅ぎ回っている。好奇心に支配された狐は視野が狭いらしい。より強く香る場所を探し続けている。臍より下が怪しいぞ、スンスン。股ぐらに顔を寄せてくる今野の本能に、大貫は最大規模の恥ずかしさを感じ、心拍数は限界まで上がった。  ポンッ!  立ち上る白い水煙を浴びて今野が我に帰ると、ソファの上にはブルブル小刻みに震えながら尻を差し向ける狸がいた。 「――待って、そうじゃない」  今野は頭を抱えた。確かに、四つ足動物の仲間を識別するのは尻の匂いだ。そうだけど、違うから。ヒトとして接したいから!  観念して神妙な面持ちで振り返る狸に、今野は完全に戦意を喪失した。

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