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第3話

 さて、と結木は腰を上げる。行かないと決めたのは、図書室という静寂の中で異質なものである状況から抜け出したかったからだけじゃない。カウンターを見やれば、湯川はもうこちらを見てはいなかった。けれど。  覗き見える茅色の髪、その持ち主がどうも気になって仕方がない。 「すみません、おすすめの本ってあります?」 「はい……あ」  カウンターにそっと歩み寄り、結木は艶のいい後頭部に声をかけた。反射的に上がった顔は笑顔だったのに、相手が結木だと分かるとあからさまにしかめっ面を覗かせた。カウンターに肘を乗せ、頬杖をつく結木を鋭く見つめ返してくる。 「おすすめの本、教えてください」 「キミ……本当に読むの? 本を探しに来たようには見えなかったけど?」  けれど次の瞬間には、また笑顔が花開いてそう言った。いや、これは偽りの笑みだ。まるで、この顔でいるのは慣れていると言わんばかりのよく出来たツクリモノ──この図書室に入った時、同じ図書委員だろう生徒に向けられていたものと同じだ。面白くない、と直感的に結木は思う。  透き通るような白い肌はなめらかで、その髪色がよく似合う。  “湯川蒼生(ゆかわあおい)”、手元のノートにそう書いてある彼は、ネクタイの色を見るに二年生だ。端正な顔立ちで、湯川の見た目を形容するなら綺麗のひと言だろう。イケメンよりも、かっこいい、よりも。線の細さも相まってそれが一番よく似合う。その貼り付けたような微笑み以外は。 「今日から読みます。湯川先輩のおすすめ、どれですか?」 「…………」 「どうせ読まないでしょ、って思ってます?」 「まあ、否定はしない」 「はは。でも本当に。教えてほしいです」 「ふぅん。じゃあ……これ」  じっと結木を見上げ、観念したように湯川はため息をついた。それから傍らに積み上げられた本の中から、ハードカバーの小説を引っ張り出す。他のものよりひと際分厚いそれは最近話題になっているミステリー小説らしい。そう記された真新しい帯を細い指がなぞってから、結木へと差し出される。 「今日読み終わったばかりのやつ。僕はすごく面白いと思う」 「へえ。分厚……」 「どうせ読まないなら薄くても厚くても一緒でしょ」 「だから読みますってば」 「そう。じゃあこれに名前書いて」  目の前の素行の悪そうな一年生がこの本を読もうが読むまいが、一ミリも関係ない。そう言いたげな態度で湯川は淡々と手続きをこなす。差し出されたカードに名前を書きながら、どうしたものかと結木は考える。こんな風に誰かに話しかけるなんて自分でも驚くほどなのに、これっきりで終わりだなんて。この先輩のなにが気になってこうしているのかも分からない。けれど。  この人の本当の笑顔を見てみたい、そんな事を思っているのだけは確かだった。

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