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「なぁケーチ。好きだ」
マーサは屈託のない表情でころりと笑う。不意打ちにきゅうと喉が鳴った。
「……嘘だ」
「嘘なものか。好きさ。分かりにくいなら、愛してるとでも言おうか」
「嘘だ……。お前は萩丘先生が好きなんだろ!」
「好きなもんか」
ふよ、と体を浮かべたマーサは俺の耳元に口を寄せる。
「愛してるのはお前だけだ、ケーチ」
──っ!
耐えかねて体を起こす。傍らで小さな悲鳴が上がる。見ると、ベッドの傍にへたり込んだ妹の姿。急に起き上がらないでよ、という無茶な注文に謝り、手を貸す。
「ほんとにびっくりしたんだから! ところでお兄ちゃん、マーサって誰? 彼女?」
「っ、違う」
「ほんとにー? 怪しいな。寝てる間、名前何回も呼んでたんだよ?」
「……違うって言ってんだろ」
しつこい追求に語気を強める。ふぅんと呟き妹は背を向ける。
「あ。そうそう。パンとご飯どっちがいい?」
「……パン」
「はーい」
ぱたんた閉じた扉は、部屋に静寂を与える。思わず、前髪を握り込み項垂れる。
「〜〜っ、なんで出てんだよ……」
汚れた下着をどう処理するか。朝から増えた一仕事に、口から自然と溜息が漏れた。
校門ではいつも通りセンパイが風紀検査をしていた。違う点といえばその横に顧問の萩丘先生がいることくらいか。今朝の夢のこともあって萩丘先生とは顔を合わせたくなかったのだが。とはいえ、校門に立っていなかったところで担任なのだから遅いか早いかの違いだ。小さく頭を振り、校門に向かう。
「おは……魚沼ぁ。そろそろ服装どうにかしろよ」
「おはようございます。俺の中で最大限どうにかした結果ですよ、これ。いい感じにダサさも抜けてますし。どうです?」
「どうもこうも、ダメだから今注意してるんだが?」
はい一点、と名簿にチェックを入れるセンパイにぶうたれる。横で俺たちのやりとりを見守っていた萩丘先生は、苦笑気味に俺のズボンのチェーンを手に取る。
「……これでかっこよく仕上がってなかったら笑えるんだが、お前の場合大成功だからなぁ…」
「先生、笑えるか笑えないかじゃなくて、違反か違反じゃないかで判断してください」
「おー…、すまん。さすが委員長」
センパイの苦情をおもしろそうに笑い受け入れた先生は、そろそろ教員の朝礼が始まるからと校門を後にする。まだ若いはずの先生の背中はくたびれたように丸まっていた。先生の後ろ姿を目で追う俺に、センパイは小声で話しかける。
「魚沼。昨日の話の続きは放課後でいいか?」
「えっ、あ、あぁ。はい、大丈夫です」
そうだ。夢のことですっかり忘れていたが、昨日は結局除霊がなんたるかを話さず解散になったんだった。センパイの口撃のせいなのだが、それは置いておく。
じゃあ、となんでもないといった口調で再び風紀検査の続きを始めたセンパイに、俺はなんとも言えない気持ちを抱く。
本当にセンパイは普通の人間ではない俺のことを気味悪く思わないのだろうか。いつも通りのセンパイの様子を見れば、俺に対しマイナスの感情を抱いていないことが分かる。今目の前にいる人間が、幽霊に近しい存在だと聞いて、忌避感を抱かないなんてこと、本当にあるものか。もしかしたら、幽霊の見えない常人にはピンとこない話だったのかもしれない。でなければ、俺という異質がここまですんなりと受け入れられるはずもないだろう。
「いずれにせよ、時間の問題か」
いつまでも一緒にはいられない。
俺が人間かどうかなんて、未だに俺自身が疑っていることなのだから。
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