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10/31(木)

口元にはマスク。首元にはまだ早いというのにマフラー。 「春人…風邪なの?」 俺を視界に入れた途端ギョッとした顔を浮かべた瑛二は訝しげに聞いてくる。昨日までは何の兆候も見えなかった奴がいきなりこんな格好で現れたらそう反応するのが当然だが、一応心配もしてくれているらしい。 掠れた声を出しても怪しくはないと思うが風邪の声とはやはり違うのかもしれないとも思ったので、ただ頭を縦に振ってそれに応えた。 「俺のど飴持ってるよー。」 光汰がポイッとぞんざいに差し出したそれを舐めようか一瞬躊躇したが舐めないのも何かおかしいだろうと、遠慮がちにマスクを外し口に放り込む。 昨日の長岡は本当にしつこくて、結局眠れたのはたぶん深夜2時を過ぎていた。途中から意識がないから定かではないが。 痛みはないがカスカスの声しか出ない喉は朝になっても治っていなくて、それならばマスクと共に首の痕を隠すためにマフラーを巻いて風邪に見せかけようと考えた次第だ。ボタンを閉めるだけではバレることは前回経験済みだし。 だが若干不安を感じるのはここにまだ宗平が居ないから。これで誤魔化せなかった時が本当に不安だが…宗平の勘が悪いのは俺も知っているし大丈夫だろう、とひたすら言い聞かせる。 宗平は今日も変わらず朝練に出ているのだろうな、と思ってから、長岡はあんな深夜まで起きていて朝練をきちんとこなせているのだろうかと考える。だが何かあったとしても自業自得だと思い直し、考えるのをやめた。 「はよー。」 暫く光汰や瑛二たちの会話を聞いていると朝練を終えた宗平がいつもの笑顔で現れた。それにビクッと体を跳ねさせるが「俺は風邪。俺は風邪。」と頭の中で言い聞かせながら宗平を見る。 「なに春人。風邪?」 よし!騙された!と心の中でガッツポーズをしながらコクコクと頷く。 「この間も体調悪いって言ってたよな。季節の変わり目だからなー。」 そんなことを言いながら宗平はマフラーの中に冷えた指を差し込んできた。 「ちょっ!宗平!!」 「ははっ。まじで掠れてるー。」 思わず声を上げてしまったが、特に疑問には思われなかったらしく宗平は笑って「風邪は喉だけ?」と聞いてきた。 特に詳細な設定は決めてないがそういうことにしておこうと黙って頷くと宗平はゴソゴソと鞄を漁った後俺にのど飴を差し出してきた。 「残念でしたー。のど飴なら俺がもうあげたもんねー。」 なぜか俺と宗平を冷めた目で見ていた光汰がトゲトゲとした声で宗平に言い、宗平は少し口元を尖らせながら光汰を見遣った。 その2人のやり取りを少し疑問に思ったが、喋れないし特に聞くことはしなかった。 そうして俺はなんとこの日は何事もなく平和に1日を終えられて、家に帰ってから自分で自分の演技力の高さに拍手を送った。 …まぁ、今日は誰ともまともに会話なんてしなかったから演技も何も無いのかもしれないけど。

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