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第2話

「はいこれ。」  目の前に差し出された洋服は洋服というよりは布の塊だった。  騎一は雲一つない晴れ間のような笑顔を郁へ向けている。郁が手に取るまで絶対に服を下げないという強い意志を感じた。真夏の太陽のように容赦のない眼差しだ。  騎一はそもそも頑固だし、特に服飾には相当こだわりをもっているから、こうなってしまってはこちらが折れるしかない。郁は現実に目を逸らしたくなりながらも渋々その服を受け取った。  想像の三倍くらい重い。  黒のドレスだ。とりあえずわかめのような襞を指の腹で慎重になぞってみる。 生地にはしっとりと冷たく肌を滑るところと、上品な触り心地の温かいレースのところとがあってもうわけが分からない。  恐る恐る持ち上げてなんとなくワンピースの形は理解したが、どうやって着るのかは永遠の謎だ。とにかく重い。身軽に動くことは難しそう。  初めから気が進まなかったが暴力的な布の重みにすっかりまいってしまった。 「……とても着られない、俺には。」  郁は受け取ったドレスを持て余しながら俯いて首を横に振る。  恥ずかしさはもちろんあったが、それよりも後ろめたさと畏怖が勝る。人が服を選ぶように、服も人を選ぶから。これは騎一のドレスで、それ以外のだれをも袖を通すわけにはいかないのだ。  そんな彼の気持ちなど知ってかしらずか、騎一はなんてことないと口笛を吹くような軽やかさで言う。 「大丈夫サ。」  彼は郁を立たせて、郁の着ているパーカーのジッパーを下げた。 「俺の見当が合っていればサイズは問題ないし、着かたが分からないなら手取り足取り着せ替えてあげる。」 「……そういう問題じゃない。」  ふうん、と騎一は不敵に笑った。 「怖気付いてるんだろ、弱虫。」 「……は?」 「よわむしー!」  両手で指を差されてけらけら笑われた。  からかわれているいるような態度に、ついカッとなってしまう。 「ふざけんな! 着てやるよ!」 ……俺ってなんでこうなんだろ。 「ナイス威勢! さあどうぞ、ではどうぞ! すぐにでもどうぞ!」  ほんと馬鹿。後悔しても遅い。ドレスを広げたもののそこからどうにも体が動かなかった。手は小刻みに震えていたし、体がやけに熱くて背中がこそばゆい。後ろ指を差されているような心持ちだ。郁が押し黙っていると、騎一の手が郁の肩を寄せる。頬と頬が合わさった。温かい。 「本当は恥ずかしいんでしょ。分かるよ。」  とても優しい声音だった。だから一瞬でも縋り付きたいと思ってしまった。次に口を開いて出てくるのは着るのやめよう、って言葉だろうと自然と期待してしまった。 「それなら目隠しをしよう。」  俺も相当馬鹿だけどこいつも相当馬鹿だと思うと郁は思った。  ワインレッドのサテンのリボンがするすると郁の目を覆う。最後に見えたのは騎一の半ば興奮しているような恍惚の表情だった。  大好きなドレスに囲まれている時、騎一はこういう顔をする。こうなったらもうなにを言っても無駄だ。郁は心の中で盛大なため息を吐く。  諦めよう。  一度キスされて、まるでそれがきっかけだったかのようにその後視界が上品な赤に染まった。  

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