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第5話
「契約成立だ。期間は俺が死ぬか、おまえに飽きるまで。おまえ、名はなんという?」
「知らない」
「悪魔が、自分の名を知らない? そんなはずはないだろう」
反抗したと思ったか、伯爵の眉がついとあがった。
怒りの気配を察して、淫魔が慌てて弁解する。
「本当に、わからないんだよ! 俺はずっとひとりだったから……誰からも名前をつけられてないし、名前で呼ばれたこともない」
「名というのは、そういうものではない。おまえの本質、魂そのものだ。悪魔が自分の名を知らないということはありえない。……だが、嘘をついているようでもないな」
伯爵が口元に手を当てた。何か考え込んでいるようだ。
怒りの気配が和らいで、淫魔はそっと息を吐く。
この人、すごく怖い人だ。強い力を持つ悪魔祓いってだけじゃなくて……絶対に怒らせちゃいけない気がする。
もじもじと手を動かしながら、淫魔は伯爵の沈黙に耐えた。
「わかった。では、俺がおまえに名をつけよう。本来の姿に戻ってみろ。それくらいの力は与えてある。できるな?」
「え? あ、はい……」
とまどいながら、淫魔は自分本来の姿に戻ろうと念じた。
蝙蝠の姿は、エネルギーの浪費を最小限に抑えるための省エネモードなのだ。
長椅子の上で小さな蝙蝠の輪郭が淡く溶け、次の瞬間、少年が姿を現した。
年の頃は二十歳に少し足りないくらいか。少年期特有の甘さを残した肢体は、石膏のように白く滑らかな肌に覆われていた。
小さな黒い下着が股間を覆い、キュッと締まった双丘の上から、黒い尻尾が伸びていた。
悪魔らしく先端が尖った耳に、セピアの髪が覆い被さる。少し小さめの唇は赤く、まるで口づけの後のように濡れていた。
顔も体も――悪魔の特徴に目をつぶれば――極上の美少年だった。
なにより、淫魔を際立たせていたのは、双眸の紫がかった青だ。珍しい色の瞳は、宝石のように美しい。
「ブルーゾイサイト……いや、アイオライトだな。オリッサ産、ブルーベリーカラーのトップグレードのアイオライトだ」
伯爵が淫魔の目を覗き込みながら、美しい声でつぶやいた。
「名前はアイオライト……いや、日本語でアイオライトは菫青(きんせい)石といったな。おまえの名は菫青にしよう。いってみろ」
「菫青……」
違和感があったが、すぐになじんだ。淫魔の全身が菫青という名――それはある種の拘束でもあるのだが――に染まってゆく。
綺麗な宝石の名前をもらったんだ。嬉しいなぁ。
菫青がはにかみながらほほ笑んだ。
『かわいらしい淫魔ですなぁ。稚児にもこれほどの者、そうはおりますまい』
「悪魔としては、心配になるほど純朴だな。日本にいる間の秘書にしようと思っていたが、この瞳はいい。気に入った。なかなかの拾い物だった」
伯爵が手振りで三津丸に肩からおりるよううながした。
それから、長椅子に横座りしている菫青にのしかかる。
「では菫青、その瞳の褒美に、生気をくれてやる。淫魔のおまえにふさわしいやり方で」
伯爵の顔が近づいた。淡い水色の瞳が青紫の瞳を射抜くと、菫青は動けなくなった。
金縛り……、いや、違う。俺は魅入られてる。
人間に。悪魔の俺が!
またしても悪魔の十八番を奪われた菫青の唇に、伯爵の唇が重なった。
吸おうとする前に、伯爵の生気が注がれていた。
もうこれで菫青は伯爵から逃げられない。
注がれた生気が、淫魔の体を熱くする。
「ふあ……」
間抜けな感嘆の声をあげ、菫青が口を開けた。もっとたくさん、一度に吸収できるように。すかさず唇の隙間に伯爵が舌をさし入れる。
「ふ、ん……っ」
肌がわずかな刺激に火照りはじめる。
淫魔としてはいまひとつの菫青とはいえ、色事の知識は豊富にある。自分の体に何が起こっているか、十分に察していた。
昂ぶっている、興奮している、欲情している。
温かな舌に唇をなでられ歯列をなぞられるだけで、ぞくぞくと体が震えた。
何より菫青を昂ぶらせたのは、伯爵の唾液だ。
人の体液は、それだけで淫魔の糧となる。
おまけに、伯爵の生気は人として、考えられないほど極上だった。口づけで摂食するだけで、菫青を酩酊させる。
「俺は美味いだろう? これが、ご主人様の味だ」
菫青の耳元で伯爵が囁いた。吐息が耳をくすぐり、菫青が肩をすくめた。
「もっと欲しいか? 欲しいのならば、どうすればいいか……わかるな」
「……はい」
菫青は伯爵の首に腕を回し、自分から伯爵に口づけた。
そういえば、俺、キスするのは初めてだ。
形のよい唇を吸いあげ、濡れた口腔に舌を入れた。伯爵の舌に舌を絡めて、少しでもたくさん唾液を舐めようとする。
伯爵はキスを受けながら、菫青の脇腹をなであげた。
「んっ」
ぞわぞわと肌が粟立ち、菫青の背がのけぞる。
長椅子と菫青の体の間に隙間ができて、伯爵がそこに手を入れた。
白い指が背筋を辿り、尾てい骨――尻尾のつけ根――に至る。伯爵が人さし指と親指で尻尾を摘まんで前後左右に擦った。
あ、そこ、は……っ。すごい、気持ちいい。
甘やかな快感が生じて、菫青の下腹部を襲った。
快感は熱になり、小さな下着に隠れたそこが膨らみはじめる。
尻尾という性感帯を責めながら、伯爵が中指を尻の割れ目に這わせた。
ほどよく肉のついた尻をかき割りながら、中指が下へ、下へと移動してゆく。
そして、伯爵が目を見開くと、乱暴に菫青の胸を押し、唇を離した。
「ふぁ?」
食餌を急に中断されて、菫青が目を丸くする。
伯爵は菫青の両腿に手を置くと、股を大きく開いた。
そのまま小さな下着を横にずらして股間を確認する。
「穴がない、な……」
「あ、穴? 穴って肛門のことですか? だって俺、悪魔だし、人間みたいに食べないから出すこともないし、穴もないです」
伯爵が無言で菫青を見おろした。唖然、呆然、愕然を混ぜ合わせたような表情で。
「穴がないとまずいですか? だったら俺、人間に化けますけど」
「いや、必要ない」
短く答えると、伯爵がぶつぶつとひとりごとをいいはじめた。
「そうか、穴はないか……そりゃあ、ないな。人の生気を吸うんだから排出は呼気で十分だ。理に適ってる、理には適っているが……。この、クソ淫魔。エロのプロフェッショナルなら、オプションで尻穴くらい作っておけ!」
「でも、性交に肛門は必要ないですよね? 女陰ならともかく肛門を何に使うんですか?」
青紫の瞳にまっすぐ見返され、伯爵が再び絶句する。
菫青の返答は、極々まっとうで、常識的なものだ。
つまり、菫青には極めて普通の男女のセックスの知識しかない。
伯爵がそれを察したのか、がっくりと肩を落とした。
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