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第6話

「なんだ、この淫魔は。男女のセックスだって、肛門を使うプレイはあるというのに。そんなことさえ知らないのか」 「えっ。肛門で何をするんですか? お尻の穴に入れても赤ちゃんはできませんよ」 「プレイ、遊びだから、こどもができない方がいいんだ。いや、そういう話ではない。男の穴には前立腺という性感帯がある、という話をしたいんだ」 「えぇ……でも俺、そういうの、いいです。変態みたいだし。遠慮します」 「淫魔のくせに、変態プレイを差別するのか」  伯爵の切り返しに、菫青がはっと真顔になる。 「俺が間違ってました。淫魔が異常性癖を差別してはいけませんよね! ご主人様ってすごいなぁ。淫魔の俺より、よっぽど淫魔みたいです。これからは、ご主人様ではなく、師匠とお呼びしていいでしょうか。俺に、淫魔の心得をどうかご教授ください」  キラキラと光るまなざしを向けられて、伯爵がとうとう天を仰いだ。 「どうしてこんな間抜けな淫魔がこの世にいるんだ……」 「ひどいです。俺、ちゃんとした淫魔ですよ。間抜けじゃないです」 「ちゃんとした淫魔が、どうしてあんなに気が乏しかった? ちゃんと井上家の当主から生気を奪っていたのか?」 「綾乃さんからは、病気の気を吸ってました!」  伯爵に押し倒されたまま、得意げに菫青が答える。 「俺が病気の気を吸えば、悪い気が出ていくでしょう? その分、綾乃さんがいい気を吸えば、綾乃さんが元気になるじゃないですか。まさに、ウィン-ウィンですよ!」 「……普通、淫魔は人間のいい気を吸うものだ」 「でも俺、他の淫魔を知らないし……。いいじゃないですか、これくらい。人間の生気を吸ってたんだから、俺はちゃんとした淫魔でしょう?」 「まぶたにキスしただけだがな」 「だって、綾乃さんがセックスはしなくていいっていうから」 「そこを強引にでも性交に持ち込むのが淫魔ではないか?」  伯爵が菫青に淫魔たるべき行動を指摘する。 「そんなことしたら、俺、綾乃さんに嫌われちゃいます」 「嫌うことなど考えられないくらいのセックスだって、おまえにはできるだろう? どうして、あの女をおまえのテクでメロメロにして、おまえなしでいられなくしない!」 「俺のテクって……いやまあ、自分でも、なかなかのものだと思ってますけど」  褒められたと勘違いした菫青が体をくねらせながら照れる。 「そういえば、俺のファーストキスは、師匠だったんですが、さっきのキス、どうでした? 気持ちよかった? 俺なしではいられなくなりそうですかね?」 「なるか、このポンコツ淫魔!」  伯爵が調子に乗った淫魔の頭部にゲンコツをくらわせた。 「痛っ! 暴力反対! 俺たちの間には言葉があるんですから、会話しましょうよ。体を使うのは、セックスの時だけ。これ、淫魔の常識ですよ!」 「あいにくと、俺は淫魔ではない。錬金術師だ」 「錬金術師……。悪魔祓いや魔術師じゃないんですか?」  ジンジンと痺れる頭を手で押さえながら、涙目で菫青が尋ねた。 「違う。対外的には魔術師と思われているが、一番得意なのは錬金術だ。当然、魔術の腕も超一流だがな」 「師匠はエロ以外でもすごいんですねぇ。もちろん、淫魔を超えるエロ知識の豊富さを、変態をも認める寛容さを、俺は尊敬してますけど!」 「……もういい。菫青。黙れ」  純情な淫魔に変態行為を強いようとしていた伯爵に対して、菫青の言葉は痛烈な皮肉となっていた。もちろん、菫青にその自覚はない。  お口チャック、といわんばかりにぐっと唇を閉ざした菫青を見て、伯爵がため息をつく。  どうして、こうなったんだろうなぁ……。と、その背中が雄弁に語る。 『伯爵、お疲れでしたな』  三津丸は、今までふたりのやりとりを興味深げに見ていた。 「まったく。飲まねばやってられない気分です」  わざとらしいため息をつき、伯爵がキャビネットからブランデーの瓶とグラスを取り出した。伯爵が長椅子に近づいてきたので、慌てて菫青は蝙蝠の姿に戻った。  菫青が長椅子からゆるやかに滑降し、キャビネットの下に潜り込む。  暗くて狭くて埃っぽい場所って、いいなぁ。落ち着くし。  お腹もいっぱいだし、このまま眠ってしまいたい。これだけ力があったら眠らなくても平気だろうけど……ちょっとだけ休みたい。  床と底板の隙間から、伯爵のピカピカに磨いた靴の先が見えた。  あれが、俺のご主人様か……。淫魔より淫魔っぽいすごい人だし、生気もいっぱいくれるし、文句はない。だけど……。  綾乃さんには、もう、会っちゃいけないんだなぁ。綾乃さん、俺が悪い気を吸わなかったら、病気がどんどん悪くなっちゃうかも。  あの人が死んじゃうのは、嫌だ。あんな素敵なキラキラを、いっぱい誰かにあげられる人なんて、そうそういないのに。  床の上で丸くなりながら、菫青の瞳に涙がじわりと滲む。  伯爵から黙れと命ぜられたから、菫青が声を殺して、ポロポロと大粒の涙を流す。  床にポタポタと雫が落ちて、小さな水たまりをいくつも作る。 「……おい、ポンコツ。こっちに来い」  怒ったような声がして、菫青が顔をあげた。  慌てて指先で顔を洗うように拭うと、キャビネットの隙間から這い出る。 「みっともない。そんなところに潜り込むから埃だらけだ」  伯爵の足元に菫青が近づいた。長い腕を伸ばして、伯爵が菫青を摘まみあげる。  そうして、ズボンのポケットからきちっとプレスされた白い麻のハンカチを取り出して、菫青の体を――主に涙に濡れた顔を――拭った。 「これでいい。綺麗になった。……おまえの目が見たいから、元の姿に戻るんだ」  こっくりとうなずくと、菫青がその場で本来の姿に戻った。  伯爵の膝にまたがり、正面から向かいあう。  充血した目を見て、伯爵が眉を寄せた。 「まったく、ようやく静かになったと思ったら……。どうして急に泣いた。まさか、黙れといわれたのが、そこまでこたえたのか?」  違う、と答えるかわりに菫青が首を左右に振った。 「ならば、なぜ? もう喋っていいから理由を答えろ」 「……綾乃さんに…………もう会っちゃいけないって思ったら悲しくなって……」 「おまえ、あの女に惚れているのか? 俺よりもあの女がいいとでも?」  不快そうな問いかけに、菫青がまたしても首を振る。 「わかりません。ご主人様は師匠だし、すごいって尊敬してます。でも、綾乃さんは、俺が病気の気を吸わなかったら死んじゃうかもしれない。あんなに綺麗な人が死んじゃうって思ったら、悲しくて……」  青紫の瞳が、みるみるうちに潤んでゆく。 「なぜ、それでおまえが泣く。人間はいずれ死ぬ。あの女にしても、あと三十年もすれば確実に死ぬんだ。おまえの寿命が何年あると思っている。百年単位だぞ。……まさか、あの女と一緒に消えたいと思っているのではなかろうな」 「そこまでは考えてないですけど……。綾乃さんといると、胸がほわっと温かくなるんです。だから、綾乃さんがいなくなると、俺の胸はもう温かくならないんだなぁって思ったら、すごく悲しくて……」 「俺といて、胸は温かくならないか? 俺はおまえの主で消滅から救った恩人だが」 「師匠は身が引き締まります。実は、今もちょっと怖いです。胸はひゅっとして冷たくなってます」  菫青がずけずけと、馬鹿がつくほど正直に答える。  伯爵は、下僕のあけすけな返答に、冷ややかな表情となった。

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