7 / 28

もう、諦めようよ

「……うっ、ん……」  懐かしい、夢を見た。  僕の隣に、まだ彼がいた頃の夢。  彼の優しい瞳には僕が映っていて、甘い声は僕に向けられ、怪しい身なりをしているはずなのにそれを気にせず、彼は僕のそばにいてくれた。  幸せだったあの頃。  僕は、彼がそばにいるだけで満たされた。  辛い仕事も、僅かな批判も、彼がいるだけで吹き飛んだ。  彼の腕の中にいるだけで、辛かった出来事も励まされ、何もない時でも高揚に変えた。  そんな、懐かしい頃の夢。 「こら、いつまで寝てるの。早く起きなさい!」  せっかくの幸せな気分が、突如として聞こえた声にかき消された。  いつまでも浸りたかったのに、自然とではなく無理やり起こされて、もちろん僕の声は不機嫌になった。 「……何?」  低い声で甲高い声の主に目を向ける。  口をへの字に曲げた彼女は、僕の毛布を勢い良く引き剥がした。 「もうお昼よ? いつまでもダラダラしないの、ほら、動く!」 「何言ってんの。動くと言っても、やることなんてないでしょ。寝ること以外」 「いやいや、たくさんあるわよ。家事でしょ〜、掃除でしょ〜、私の手伝いでしょ〜、それから……」 「もう、分かった。起きる、起きてそれやるから、もうどいてよ」 「それなら良いのよ」  良い笑顔で、僕のベッドに踏み入れていた足を彼女はどかす。  その瞬間はらりと舞う髪は金色で、一つ一つが細く、髪触りが良いことを触れてなくても知らしめる。  それを尖った耳にかけ、彼女は僕に手を差し出した。 「ほら、行きましょ?」  幼さの残る顔で微笑まれ、無理やりベッドから引きずり出される。  寝室を抜け、向かう先にはテーブルの上に既に湯気立ったシチューが置かれてあり、向かい合わせに座りスプーンを手に取った。 「もう、今日はアルが昼食担当だったのに。お寝坊さんなんだから」 「眠かったんだよ。良いじゃん、睡眠は人にとっての三大要求のうちの一つだよ。眠気は抗うべきじゃない、身をまかせるべきなんだ」 「はいはい、屁理屈なんて良いから。早く食べて、今日も頑張りましょう」  スプーンを片手に左手は拳を上に掲げ、やる気を表明する。  それを見て、僕はげんなりと顔を引きつらせた。 「うわ〜、今日もやるの? もういいんじゃない、諦めて」 「あなたの為にやってるのよ? それに残り時間も少ないの。呑気に構えてる場合じゃないわ」 「だから、もう良いってば。この一年何の進展もなかったんだ、残された期間は一年もない。どうにかなるとは、到底思えないね」  スプーンを置き両手を左右に首を振る。  ちらりと彼女を見ると、呆れた表情が目に入った。 「あなた、このままじゃどうなるか本当に分かってるの? もっと抗いたいとは思わないの?」 「思わないね。もう充分抗った、そして結果を知った。僕はあの地へは戻らない、それが僕の、答えだ」  強い眼差しを彼女に向ける。僕の覚悟を知らせる為に。  あの日、付き合う事を決めた絶頂の記憶を持って、僕は彼、水帝・リースとの思い出に蓋をする。  彼は悲しむかもしれない、けどそれ以外の選択肢だと、もっと悲しませることになる。  悲しみで歪むリースの顔を、僕は見たくなかった。  情けない姿を、見せたくなかった。  僕の現状に巻き込みたくなかった。  だから僕は、この地を最後の土地に選ぶ。  零帝としてではなく、この地でアルディル・アマルドとして消えるのだ。  それが僕の、最後の望みだった。 「……あなたの存在の重みは、あなたが一番知っているんじゃないの?」 「重み?」 「あなたは零帝。そしてその零帝は、世界で一番の強さを持つと言われている。その下にいる七人の帝たちは、この世にある属性、炎、雷、水、風、土、 闇、光をそれぞれ極めた者たちで、さらにその下には帝を隊長とした隊員、ギルド所属の冒険者がいる。つまり、零帝という職は皆をまとめる存在ということ。零帝という導く存在が急にいなくなったら、綻びが生まれるわ。そしてそれは隙となって、付け込まれる」 「そんなの……」  わかってるよ。  でもじゃあ、どうすれば良いんだ。  僕にはもう力がない。  皆を守り、導くことなど出来やしない。  そして差し迫った時間は残りわずか。  僕がこのまま姿を消す、これが一番の有効手段のはずだ。  なのに……。 「まだ、諦めるのは早いわ。抗いましょう、最後まで」  伸ばされた手が、僕の髪を梳く。  僕だって、本当は諦めたくなんかないよ。  またリースのそばに立つ夢を現実にしたかった。  でも時間が経つ度に、現状を思い知らされるんだ。  あいつの笑い声が、まるで聞こえてくるようだった。  必死になって未来を追い求める自分を、嘲笑う声が。  その声を打ち消すように頭を振り、拳をぎゅっと握りしめた。 「……わかったよ。探そう、解決策を」 「ええ。それでこそ零帝だわ」  冗談交じりに言い、食事を再開する。  それを見て、僕も再びスプーンを手に取った。 「やめてよ。もう零帝に戻る気なんて、ないんだから」 「わからないわよ。この事が解決したら、戻れるでしょ?」 「いや、その時は事態を引き起こした責任を取って、退職させてもらう」 「退職ってそんな、簡単に……あなたの代わりなんて、誰もいないのに」 「いるよ、どこかには。それに僕の強さになんて、訓練したらすぐに追いつく」 「私が言ってるのは、強さだけじゃないんだけどね……。もういいわ。とにかく今、すべき事をしましょう」 「そうだね」  食べ終わった僕らは食器を片付け、いつものように彼女の仕事部屋へ向かった。

ともだちにシェアしよう!