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叶わぬ願い
「アル!」
裸の僕をベルがタオルで包む。
朦朧とした意識で目を向けると、涙で頰を濡らした彼女が、そこにはいた。
「何で、アルがこんな事……。私、嫌だよ。もう、こんなボロボロのアルをこれからも見てくのは、耐え……」
「駄目だよ」
「え?」
僕は彼女の目を見て、笑いかける。
「それ以上、言っちゃ駄目だよ」
瞳に浮かぶ雫を掬い、あやすように頭を撫でた。
何もしたくない感情を抑え込み、優しい顔になるように、顔に力を入れる。
「僕は、こうしなくちゃ抗えない。拒否しちゃそれだけ残された期間が減るんだ。僕はもう少し、ここで過ごしたい。最後の時を、静かに過ごしたいんだよ」
「それでも……!」
僕の心を覆ってしまっている諦念の感情に、彼女は気付いて俯いた。
震わせる肩を掻き抱く。
僕の事で泣く彼女を、これ以上巻き込みたくなかった。
彼女だけじゃない。
誰も、僕に巻き込みたくない。
リースも、ベルも、ギルドマスターも、帝の皆も、僕についてきてくれた隊員も、誰も。
そんな思いに蓋をして、僕は彼女を頼るしかなかった。
差し伸べられた手を、取るしかなかったんだ。
そしてまた、諦めやすい僕の心は、彼女の手をするりと抜け安寧を求める。
抗う覚悟が決められない。
駄目だった時の絶望に、勝てる自信がない。
実力の上での最強も、心はまだ未成熟で。
現状を受け入れるということしか、僕にはできないんだ。
「……っう……」
だから、ごめんね。
こんな僕を支えて、不幸を身近で見せることになる。
彼女には頭が上がらない、申し訳ない気持ちで満たされる。
でも、ね。
覚悟は、早めが良いと思うんだ。
これからの残された時間を、二人で静かに過ごそう。
そんな意味を込めて肩を叩き笑いかけようとした時、彼女が急に頭を上げた。
そこには僕が思う所の諦めの『覚悟』ではなく、希望の『覚悟』が宿っている気がした。
「アル」
強い視線を僕に向け、彼女は言う。
「あなた、学園へ行きなさい」
「……へ?」
突拍子も無い言葉に、素っ頓狂な声が漏れた。
言葉の真意を問うために、口を開く。
「な、何で?」
「だって……」
ベルの手が僕の腰に触れた。
そこにあった引っ掻き傷を、優しく撫でながら治癒魔法を唱える。
「こんなことを続けていたら、あなたの心は時間切れを前に壊れてしまう。好きな人がいるのに、それ以外の人から抱かれるというのは、相当な苦痛のはずよ。だから好きな人のそばで、英気を養ってきなさい」
「え……でも、僕は……」
「彼を巻き込みたく無いというのなら、零帝のことは伝えなくていいわ。でも好きな人のそばにいて、喋って、見つめて、笑い合う。そんな幸せな日々を、あなたに過ごして欲しいの」
真摯な瞳は答えを請う。
このまま共に暮らし、たまに犯される日々か。
好きな人と過ごす日々か。
僕は、彼の前でフードを取ったことがない。
だから彼は、僕の素顔を知らない。歳だって上だと思っているだろう。
僕のことを知らない彼が、また同じような甘い微笑みを見せてくれるとは思わない。
僕以外に見せていた、冷たい視線を向けられるのだろう。
でも、彼女の提案は……リースと過ごす日々は……とても、魅力的に思えた。
話さなくてもいい。
目も合わせなくていい。
僕という存在を、視認してくれなくていい。
ただ、リースのそばに居たいと……ずっと、もう叶うことなどないのだろうと思っていたことを、提案されて……視界が滲んだ。
止めていた想いが溢れる。
『好き』が、胸を満たす。
温かい気持ちに包まれる。
「いい……のかな?」
そんな幸福に手を伸ばしていいのか分からなくて、呆然と彼女に問うた。
彼女は柔らかく笑み、僕の頭を腕に包む。
「いいの。それに、解決策はこっちで何とか探すわ。あなたがいないと、ちょっと大変だけれど……今重要なのは、あなたの心だもの。もし、この現状が続いてしまったらと考えると……好きな人と過ごすの事が、あなたにとって一番いいもの」
暗かった視界に、ほんの少し、光が差し込んだ気がした。
止まっていたはずの涙は頰を流れ、膝に落ちる。
それは一粒だけではなく、いくつもの跡を作った。
「アル。あなたの運命は、半年後に決まるわ。そしてそれは、私とジークと、そしてジークの関連者しか知らない。半年黙って水帝のそばにいて、それ以降は黙ってここに戻る。その間、干渉されなきゃいいの。それに細かい判断については、あなたに任せるわ」
ベルの視線が僕と合う。
そしてまだ浮かんでいた涙を掬い、微笑んだ。
「幸せになりなさい、アル」
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