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2:発情《ラット》*
ガシャン、と金属の擦れる音が聞こえ、寒川 玲司 は、グラスを拭く手を止め顔を上げる。
「こんな大雨の日にお客様……でしょうか」
玲司は首を傾げながらも、くもり一つないグラスを棚に戻し、自らがオーナーを勤めているカフェ&バー『la maison 』のカウンターから抜け、店舗入口になっている扉へと近づく。
このまま集客もないし、ついでに閉店してしまおうと決め、玲司は扉を開く。
今は一人の為、節約としていつもより照明を落としているものの、漆喰の白い壁と、自然木をふんだんに使用したテーブルも扉も、北欧からわざわざ取り寄せたものだ。二人掛けのテーブル席が三席、奥は壁一面をミントブルーにグレイのラインが腰あたりに一本引かれているのは、そっちはソファ席で、目線を低めにしたかったからである。
ソファは生成りの落ち着いた色味を使用し、ローテーブルは焦げ茶のしっかりした物を使っている。ゆったり腰を据えて飲まれたいお客様にはとても好評だ。
カウンターは壁と同じ漆喰に一枚板を使用したもの。傷が付かないようにコースターやマットが欠かせないけど、個人的にはそう苦でもない。
玲司はカウンターと同じく一枚板を使用し、一部をスリット状に硝子を嵌め込んだ部分から様子を窺う。
住宅街の、しかも特に宣伝等していないカフェ&バーに泥棒が入る酔狂はないとは思いつつも、警戒心は大事だと自分に言い聞かせる。決してビビリではない。齢三十過ぎの男がビビリとか、決して吹聴していいものではない。
細長い視界に広がるのは、短いアプローチの左右に玲司が植えたハーブ類が水に濡れて揺れている。低い生垣は金木犀で、これは店の雰囲気に合わないと思っていたものの、実母が好きだった植物なので、植える事にした。秋になると甘やかな匂いがお客様を誘ってくれる。
ただし、今は深い緑色の葉を茂らせただけではあるが。
「──誰か、いるのかい?」
玲司は意を決して扉を開く。来客を知らせる為のカウベルが軽やかに鳴る。
外は依然土砂降りで、入口には庇があるものの、この勢いでは殆ど意味を成さない。
「す、すみませんっ。な、な、なんでもありませんからっ」
門扉のある方から焦ったような青年の声が聞こえる。やはり人が居たようだ。
こちらからはうっすらとシルエットが浮かんでるのが、目を眇めないと分からないがかなり華奢な人物のようだ。きっと自分よりも随分年下なのだろうと認識する。
切羽詰まった声しか判断できないが、個人的には耳当たりの良い声だな、と玲司は思った。接客向けの雑味のない、とても良い声をしている。
と、ぼんやりと関係ない方向へと思考を傾けていると、ガシャン、ビシャ、と続けて大きな音がし、玲司がそちらへと浮遊していた意識を向けると、直線と曲線が美しく配置された鉄扉に凭れるように、青年が倒れ込んでいるのを認める。
「君!?」
玲司は咄嗟に外へと飛び出し、青年の元へと駆け寄る。だが。
「……ぅっ」
慌てて華奢な体を抱き起こすと、途端に甘く魅惑的な香りが青年から立ちのぼり、玲司の鼻腔だけでなく脳内までも侵食する。
(まさか、オメガのヒートですか?)
紙のように白い顔、紫に染まった唇は薄く開き、はあはあと小刻みな呼吸を繰り返すばかり。それだけなら、ただの病人として処置すればいいだけなのだが、今玲司の腕の中に居るのは、発情状態に苦しむオメガだった。
咄嗟に息を止めたおかげで、まだ薄ぼんやりとしているだけで済んでいるものの、たった少しだけ匂いを嗅いだだけでも、アルファの本能が鎌首をもたげるのを感じる。
(このまま放置する訳にもいかないですし、とりあえずは店の中へ……)
もう少しだけ我慢してくださいね、と意識のない青年へと声をかけ、玲司は青年を抱き上げると、店へと引き返したのだった。
店の奥にある自宅へと入り、階段で三階にある自室へと一気に駆け上がる。
こんな時には、アルファで良かったと思うも、微かに息をするだけでも脳を蕩かすような、オメガのフェロモンに酔ってしまいそうになる。
ダメだ、ダメだ、と自分に言い聞かせ、寝室に飛び込むと、半ば投げ出すようにして青年をベッドへと押し込んだ。
すぐさま廊下に出て、正面にある浴室から大量のバスタオルを持ち込み、青年の濡れた髪を丁寧に拭く。暗い場所では黒髪だと思っていたが、明るい場所で見たら、少し薄めの焦げ茶色だったらしい。柔らかそうな髪はぺったりと額に張り付き、乾いていたらきっとふわふわして触り心地が良さそうだな、とうっとり眺めていたが、すぐに我に返る事ができたのは、先程よりもフェロモンの甘い香りが際立っていたからだ。
「すぐに医者を呼んであげるから」と、玲司は立ち上がって立ち去ろうとしたが、くん、と服を引っ張られ、思わずたたらを踏む。
「え?」
何事かと肩越しに振り返ると、着ていた白いシャツが掴まれており、視線を辿れば犯人はオメガの青年だった。
「は、離してくれませんか」
そう声を掛けて、振り切ろうと身じろぐも、青年はまるで命綱を掴むようにがっちりと握っていて、男性にしては細い手の中のシャツは見事に皺になっている。
(困ったな。このまま同じ部屋に居たら、フェロモンに充てられて発情 しまうか分からないのに……)
玲司は困惑するものの、シャツが人質のせいで数歩先から動けない。
もう少し冷静になっていれば、ひとまずシャツを放棄して、寝室から脱出すれば良いだけの話なのだが、この時の玲司は自分は大丈夫だと思ってたものの、完全に青年のフェロモンに侵食されていたようだ。
「……で」
「……はい?」
三十三歳の大の男が右往左往していると、青年が何か呟いた気がして、咄嗟に応じてしまう。
「いか……ない、で。そばに……いて」
たどたどしく呟く青年は、うっすらと目を開き、じっと玲司に視線を注ぐ。ヘイゼルの中にグリーンが混じった双眸は情欲に濡れ、まだ色の失せた唇は吐息でしっとりと艶めいている。ぽろりと頬を伝う涙は水晶のように純粋で、クラリと目眩が襲ってくる。
ストイックに閉じられネクタイを締めた首筋からはぶわりと甘い香りが湧き立ち、玲司の思考を奪っていく。
「おねが……い」
ああ、もう我慢できない。
玲司のなけなしの理性はこの時にプツリと途切れ、シャツを掴む青年の手首を掴むと、覆いかぶさるようにして、苦しげに喘ぐ唇を奪っていた。青年のフェロモンに惹かれるように、玲司のフェロモンも青年を誘うように匂い立つ。
「ふ、んっ……あ……ぅんっ」
ぐちゅぐちゅと青年の口内を貪り尽くす。綺麗な並びの歯列をぞろりと舐め、口蓋も弾力のある頬肉も丹念に舌を這わせ、舌の付け根を舌先で擽れば、腕の中の青年は息苦しさに喉を反らす。
互いの舌を絡み合わせ、唇で青年の舌を扱けば、ビクビクと体を痙攣させ、また匂いを強くする。
甘い。声援の匂いも、舌の感触も、唾液も全てが甘露のよう。
これまで、玲司は多少とはいえ、恋愛経験もしたし、肉体的交流を交わした事もあるが、青年のように、体液が甘いとは感じた事はなかった。
(まさか……運命の番 ……とか。いや、まさか、そんな事はありえません。あれは都市伝説的もので、天文学的な確率でしか出会えないという噂……)
一瞬、青年が『運命の番』なのかと訝るも、そんな予想は脳裏から追い出す。
(ああ、でも、この子は甘くて、余計な考えが霧散しそうです。甘くて、甘くて、体の隅々まで舐めてしまいたい……)
玲司はドロリと欲情に塗れた頭で、青年のネクタイを解き、シャツのボタンを一つずつ外していく。ジャケットはびしょ濡れで、ぐったりとした青年の腕から引き抜くと、無造作に床へと放った。
軽く唇を啄むようなキスをして、玲司の唇は青年の細い顎からうっすらと赤く色づく首筋へと降りていく。くん、と鼻をヒクつかせれば、濃厚な甘美で可憐な芳香が流れ込んでくる。今はまだその時ではないと本能が告げているのか、痩せて筋の張るそこを舌でねっとりと舐め、時折唇で甘噛みを繰り返した。
「綺麗……ですね」
露わになった青年の白い胸に指を這わせると、青年はビクリと体を震わせる。彼が欲情しているのは、ぷっくりと充血した胸の尖がりが証明しており、玲司は躊躇う事なく、青年の胸の果実へと舌を延ばした。
「あっ、んぅ」
意識が殆どなくとも、愛撫に反応している姿がいじましい。
玲司は自分の意識の大半が動物的本能に侵食されていても、青年を愛おしいという感情だけはずっと残っていた。
初めて会ったというのに変な話だ。
だが、僅かな疑問も、青年の美味しそうな肢体を前にしては、体も心も抗えなかった。
片側の尖がりを乳暈ごと口ですっぽり覆い、じゅっと吸い付くと、舌先で小刻みに小さな膨らみを刷く。残った方も指で摘んで、扱いて、指の腹でクリクリと弄る。
ぷっくりと熟れた小さな果実を舌で転がすと、あえかな声がとぎれとぎれに零れてくる。男性オメガは妊娠すると乳腺の発達で母乳が出るという。玲司は指先の間で主張するもうひとつの赤い粒を絞るように揉む。
その度に青年はビクビクと震え、腰を玲司に押し付けてくるのだ。青年のソコは既に熱を持って硬くなっており、確かな質量を玲司の大腿が感じ取る。
すりすりと縋ってくる濡れたスラックスを纏った脚が、玲司の腰をゆるりと撫で、清廉な青年が見せる艶めく行動に、玲司はコクリと唾を飲み込んだ。
発情 状態でなければ、もう少し大人として対応できただろう。
理想的なのは、医師を呼んで緊急抑制剤を投与する。同意であればアルファの精液をオメガの子宮へと注げばヒートは落ち着く。それが無理なら、果てないヒートのオメガの性欲を発散させるべきだ。
だが、発情 の玲司が選んだのは、一番最悪で、最低な行為だった。
自然と青年のスラックスにあるベルトへと手を伸ばす。カチャカチャ金属音が玲司の逸る気持ちを表してるようで、余計に焦りで指が滑る。
それでも苦心してベルトを抜き、前立てのファスナーを下ろすと、濡れた下着が顔を出し、青年の怒張がはっきりと見て取れる。
玲司は下着ごとスラックスを剥ぎ、これもシャツと靴下と一緒に床へと投げ捨てると、べちゃりと濡れた不快な音が背後から聞こえた。
薄いグレイのシーツの上に、青年の肢体がくったりと横たわる。青年のオメガであるが故に幼い陰茎は、与えられた愛撫に勃ち上がり、震えながら先端から蜜を零している。
淡い焦げ茶色の髪が枕に散らばり、横向きで剥き出しになった項が、玲司の情欲を加速させる。
染みひとつない白い肌に、さっきまで散々弄り倒した乳頭がぷっくりと赤く色づき、まるで梅の蕾のようだ。
そして、足の付け根にある青年の赤みのある枝はピクピクと震え、穂先を透明な蜜を滴らせて青年のフェロモンと同じ甘い香りで玲司を誘う。
「ごめんね。君の意思を無視する形になってしまって……」
最後まで残っていた理性が謝罪を告げ、剥離したと同時に全てを脱ぎ去った玲司は、青年のヒクリと蜜を零す先端へと舌を寄せた。
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