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手ぐすね引いて待つ(3)

 繁忙期に入ってからあっという間に十日過ぎた。あまりの忙しさに時間が足りないとおもうほどだったから、そう感じるのだろう。  忙しさもピーク時に比べたらましになった。残業はまだ続けなければならないが、泊まり込むほど遅くまで仕事をすることもないだろう。それだけで気持ちが楽になる。 「はぁ、疲れましたねー」  余裕が生まれたから出た台詞。忙しい間は暗黙のルールではないが、誰一人としてそれを口にする者はいなかった。 「あとひと踏ん張り。社長と加藤さんから美味しいご褒美が待っているだろう?」 「そうでしたね。俺、皆と飲むの好きです」 「おー、俺も楽しみだわ」  と後ろから声がする。 「加藤さん」 「おう、お疲れ。ほら、差し入れだ」  ダックワーズを手渡される。アーモンド風味のメレンゲを使った焼菓子で、日本生まれのフランス菓子だ。 「ありがとうございます」  加藤の同居人はパティシエで、練習で作ったものや、訳あり品を持ってきてくれる。   甘いモノすきが多いので、皆、差し入れに喜んでいる。  お菓子一つでもやる気の素になる。机にだらっとしていた水瀬が背筋を伸ばした。 「やる気出ましたっ」  そう元気よく告げる姿に、げんきんだなぁと誰かが口にして笑う。  もうひと踏ん張り頑張ろう、お菓子と水瀬の明るさが周りをそうさせた。  本当にいい仕事をする奴だ。  加藤もそう思ったか、亮汰にニッと笑い水瀬の頭を撫でて他の人の元へと向かう。 「撫でられるの好きな」  水瀬の頬が緩んでいる。甘えん坊だからなのか、そうされるのが好きなようだ。 「空手に行きたいですね。皆に会いたいなぁ」  水瀬の弟は高校生で、空手部に入っているらしく、亮汰も通っているのもあって通うようになった。  そこは運動不足を解消したいとか、ストレス発散が目的で通っている大人も多く、練習後に飲みに行くのも楽しみの一つだった。 「まぁ、ピークは過ぎても残業しねぇとだからな」 「そうなんですよねぇ……」  がっくりと肩を落とす。 「ほら、あと二日で休みだろ」  会社は週休二日制なのだが、繁忙期になると土曜も出勤となる。  今週も土曜日は出勤となっているが、多分、半日で大丈夫だろう。 「うう、そうですね」  仕事を始めようと椅子に座ると、机の上に置いておいたスマートフォンが震える。  画面を見ると桜からで、メールを開くと、隆也を亮汰の所に住まわせてほしいということだった。  二年前からから桜の家族が長谷家に同居をはじめ、家を建て替えた。確か、隆也の部屋はないようなことを言っていた。  帰ってこないのが悪いと、その時はそう話していたが、帰国したのに住む所がないとなったら可哀そうだ。  借りているマンションは2LDKで、洋室を寝室として使っているだけでほぼリビングにいるし、和室は客が来た時ぐらしか使っていない。 「おい、水瀬。日曜日、買い物に付き合え」 「買い物ですか、それなら、土曜日に泊まりにきてくれます?」  部屋で一人で過ごすのはあまり好きではないらしく、休みの前の日になるとよく誘われる。  それなら恋人を作ればいいのだろうが、それが上手くいかないのだとぼやいていた。 「わかった」 「やった」  喜んで抱きついてくる水瀬に、鬱陶しいとその身を引き離す。 「あん、冷たい。唯香ちゃんはよいのに、俺は駄目なんですか」 「唯香は可愛いからな」 「そりゃ、そうでしょうけどぉ。後輩にもう少し優しくしてもいいと思います」  と抱きついて肩に頭をぐりぐりとくっつける。 「犬ですね」  バイトの子がずばっというと、また周りが笑いに包まれた。        

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