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第21話
外出はなしだと伝えると、案の定、蓮華 はむくれた。
外へ遊びに行けるかもという期待を裏切られ、拗 ねて、部屋に閉じこもってしまった。
「蓮華。近いうちに、ちゃんと遊びに連れて行ってあげるから」
扉越しに蓮水 はそう声をかけたが、
「近いうちっていつ」
と、ブスっとした低い声音で問いかけられ、返答に詰まった。
言い方は幼いくせに声は一端の大人の男のものだから、ビリビリとした迫力を感じる。
蓮水は明日とも明後日とも答えられずに、飯岡を振り向いた。
しかし秘書は肩を竦めるだけで明確な答えをくれない。
蓮水は仕方なく、扉にてのひらを当てて、ぼそぼそと言葉を返した。
「……わからないけど、できるだけ、近いうちに……」
「やだっ!」
蓮華の叫び声が響いて、蓮水の語尾をかき消した。
退屈だという蓮華の主張は尤もである。
淫花廓では毎日備品管理庫の仕事があったのだ。
しかもあの遊郭にはゲームやテレビなんて俗世的なものは置いていない。蓮華がそれらを使って遊ばないもの、少し考えればわかることだった。
まだ外へ連れて行くことができないのであれば、この家で、他になにか代替のものを提供してあげなければならない。
蓮華は、なにかしたいことはないのだろうか。
「蓮華。外に行く代わりに、他に欲しいもの……」
「やだやだやだっ! ぼくはお外行きたいの! お~そ~とっ!!」
ダンダンっ、と地団駄を踏む音とともに、駄々をこねる声が響く。
癇癪を起しているいまは冷静な会話は無理だと感じて、蓮水は悄然と肩を落とし、リビングの席に戻った。
キッチンから兄弟のやりとりを見ていた飯岡の涼しい顔に蓮水は苛立って、鼻筋にしわを寄せて男を睨みつける。
「おまえが余計なことを言うから……」
「決めるのはあなたですと申し上げたでしょう? 蓮華さんを外に連れていかないと決断したのは蓮水さんですよ。まぁ、賢明だとは思いますが」
野菜を切る手を止めて、飯岡が不意に真剣な目を蓮水へと向けてきた。
「蓮水さん」
「……なに」
蓮水はわずかに肩を引いて、咄嗟に視線を逸らせた。
……昨夜なにがあったのかを、尋ねられると思った。
蓮華と蓮水の距離が急に縮まった原因を、飯岡に追及されるのかと、全身を緊張させる。
しかし男が口にしたのは、まったく別のことだった。
「蓮水さん。少し、身辺が騒がしくなりそうです」
「…………え?」
「財部 翁 の突然死の原因を、警察が探っている」
蓮水は目を丸くして、秘書を見つめた。
パチ、パチ、と瞬きを繰り返しながら、もう一度「え?」と呟いた。
財部は急性心筋梗塞で亡くなったと聞いているが……。
「あなたには言っていませんでしたが……翁 は亡くなるひと月前に遺言書の書き変えを行っています。それまでのものを破棄し、翁は、あなたにすべてを相続すると記したわけです」
その遺言書ならば、弁護士によって立会人の前で読み上げられたので蓮水も知っている。
そうか、あれは財部が急逝するひと月前に書き変えられたものだったのか……。
警察がなにを探っているか、飯岡の話からそれは明らかであった。
「オレが……疑われてる?」
蓮水の掠れた声での呟きに、男が冷静な面持ちのまま頷いた。
財部の死ぬタイミングが悪すぎる。
警察が疑念を持つのも当然だ。
しかしなぜ、財部の死後二か月近くも経っているのに、いまさらそんな話が持ち上がっているのか……。
「おそらくは、幹部のどなたかが警察関係者に進言したんでしょうね。あなたを籠絡 するよりも、つぶす方が手っ取り早いと判断した、どなたかが」
蓮水の内心を読んだかのように淡々と、飯岡が口にした。
彼の手が、包丁を握りなおして手元の野菜を再び切ろうとする。
一度視線を落とした男が、しかし、おもむろにまた蓮水を見て、静かな声音で尋ねてきた。
「蓮水さん。翁に、毒でも盛りましたか?」
蓮水は目を見開いた。
なにを訊かれたのか、一瞬わからなかった。
ぎくしゃくと頭を横に動かして、質問に質問を返した。
「オレを……疑うのか?」
二人の視線が、宙空で交わった。
飯岡の眼差しは冷然としており……対する蓮水のそれは頼りなく揺れた。
飯岡の薄い唇が、ゆっくりと動いた。
「ひとつ、雇用主の言葉を疑わないこと」
「…………え?」
「契約書に書いてある文言です」
飯岡が笑った。その表情はふだんとなんら変わりのないように見えた。
「冗談ですよ。蓮水さんにそんな度胸などないでしょうからね」
小さく鼻を鳴らしてそう言った飯岡は、トントンとリズムよく包丁を動かし始めた。
それから、なにごともなかったかのように、
「ああ、そうだ。蓮華さんの癇癪が早く治まるよう、ひと肌脱いで差し上げますよ」
と口にする。
「は?」
蓮水が怪訝に眉を顰めると、飯岡が様になったウインクを投げてきた。
「せっかくお二人の仲が近づいたのに、また嫌われてはあなたが不憫ですからね。協力してあげます」
口調だけは慇懃に、しかしずいぶんと上から目線で言われた気がして、蓮水は不機嫌にテーブルの上のグラスを手に取ると、残っていたお茶を一気に飲み干したのだった。
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