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第22話

 飯岡が蓮華(レンゲ)のために部屋に運び入れたのは、トレーニングジムにありそうな上半身や下半身を鍛えるためのマシンやダンベルなどであった。  それらを設置するために、物置となっていた部屋を空にしたほどだから、一体この男はなにをしているのかと、蓮水(ハスミ)は飯岡に対しての呆れを隠さなかった(運び出したものはマンションの隣の空き部屋へと移動させられた)。  しかし、外出を妨げられてへそを曲げていた蓮華は翌日、飯岡に誘われてその部屋を覗くと歓喜の表情を見せた。 「わぁっ! すごいっ!」    蓮水には名前もわからぬ(おもり)のたくさんついたマシンに駆け寄った蓮華が、嬉々としてそれを弄りだす。  目をキラキラとさせながら負荷の設定などを触っている蓮華を、蓮水はポカンと見た。 「……どういうことだ?」  隣の男に問えば、飯岡が小さく鼻を鳴らして笑った。 「蓮華さんは、淫花廓の男衆でしたから」 「……それが?」 「男衆は、ちから仕事が多いでしょう。蓮華さんのように、荷運びをしたり……用心棒の役割をしたり。ですからあそこには、男衆専用のトレーニングルームがあるんですよ。蓮華さんは体を動かすのが好きで、暇なときにはよく行っていたと聞いています」  飯岡の声があまりに淡々としているから、なるほど、と納得しそうになった蓮水だったが、ふと疑問を抱いた。 「誰にそんな情報を?」  横目で問えば、飯岡も涼やかな目をこちらへと向けてくる。 「般若(はんにゃ)の面を被った男衆が居たでしょう。彼ですよ」 「いつ?」 「は?」 「いつそれを聞いた?」  蓮水の質問に、飯岡が唇の端で笑って答える。 「蓮華さんを、迎えに行った日に」  では初めから飯岡はその情報を知っていたということか。  蓮水の胸中に、もっと早くに教えてくれれば蓮華の退屈も紛れただろうに、という思いよりも先に、あの日にそんな会話を交わす暇が果たしてあっただろうか、という引っ掛かりが芽生えた。  だが、蓮華の表情を見る限り、トレーニングルームによく行っていたというのはでまかせなどではないことがわかる。 「使っていい?」  蓮華がはしゃいだ声を上げた。  飯岡がくいと顎を動かして、蓮水に返事をするよう促してくる。  蓮水が「いいよ」と応じると、蓮華は丸めて置かれていたマットを床に敷き、そこでストレッチから始めた。  慣れた手順で筋肉をほぐしてゆく蓮華を、蓮水はドアの傍で立ったまま眺めた。    ああして黙々と体を動かしていると、中身が子どもであるようには到底思えない。  窓から入り込む陽光を浴びながら動く蓮華は、なにかのスポーツ選手のようにも見え、格好良かった。  どんな大人になっていたのだろうか、とふと思う。  記憶を失わなければ……あのまま、両親の家でなにごともなく成長したならば、弟は一体どんな大人になったのだろうか。  中学や高校に通っていれば、きっと女の子にモテただろう。  そのうち、家に彼女を連れてきたのかもしれない。    そういえば、幼い弟にだって、花の冠をあげたいと思った子がいたはずだ。  誰にあげたかったのだろうか。  れんげの花の、冠を。    涙腺が緩みそうになって、蓮水はぐっと奥歯を噛み締めた。  昔を懐かしんだところで、両親が生き返るわけもない。  男に体を売って暮らしていた蓮水のこれまでの日々が、なくなるわけでもない。  蓮華の記憶が……戻るわけもなかった。 「蓮水さん」  蓮水と並んで蓮華を見ていた飯岡が、静かに蓮水を呼んだ。  ああそうだ、と蓮水は男の横顔を見る。  飯岡に、お礼を言わなければ。  この男がいろいろ手配をしてくれたおかげで、蓮華があんなに喜んでいるのだから、お礼のひとつぐらい言わなければバチ当たる。  そう思った蓮水は、飯岡に頭を下げようとしたけれど。 「明日の会議には出てください」  と、男が秘書の顔でそう言ったから。  あ、の形に開きかけた唇を、きゅっと引き結んでしまった。 「……行きたくない」  蓮水は反射的にそう答えていた。  口にしてから、これでは蓮華の駄々のようだ、と思い可笑しくなる。 「蓮水さん」 「いや……わかってる。行くよ。行けばいいんだろう」    半ば投げやりに首を振って、蓮水はため息を漏らした。  飯岡が頷き、蓮水に一礼をすると退室していった。    蓮水はしばらくの間壁に寄りかかり、蓮華がマシンを使うのをひとり眺めて過ごした。  その日の晩だった。  久しぶりに汗をかいてご機嫌だった蓮華は、風呂の後早々にベッドに入り眠っていた。  蓮水も、いつものように蓮華の部屋で布団を床に敷き、横になっていた。  明日のことを考えるのが嫌で、早く寝てしまおうと目を閉じていた蓮水は、トントンと肩を叩かれてハッと目を開いた。    蓮華が、蓮水の顔を覗いている。  天井から漏れる豆電球の明かりが逆光となり、表情は見えなかった。  いつの間にベッドを降りたのだろうか。  蓮華が動いたことに気づかなかった蓮水は、ぞっとした。  前はどんな小さな物音にも気づいて飛び起きることができたのに……昼間に蓮華が喜んで体を動かしているのを見て気が緩んでいたのだろうか。  蓮水が起きなかったら、蓮華は外に出てしまうかもしれない。  彼はカギを持っていないから、それは不可能だとわかっていたが、それでも蓮水は蓮華が居なくなってしまうことが怖かった。  蓮華が起こしてくれてよかった、と男を見上げながらホッと吐息した蓮水は、しかしなぜ蓮華が自分に覆いかぶさるように膝立ちになっているかがわからず、戸惑う声音で彼を呼んだ。 「……蓮華? どうした?」  目元をこすろうと持ち上げた蓮水の右手を、不意に熱いものが掴んだ。高い体温の、蓮華の手だった。  蓮華が蓮水の手を引っ張る。  そして。   「ハスミさん……」  上擦った声で蓮水の名を発音し、蓮水のてのひらを、自身の下腹部へと押し付けた。 「ちんちん、また腫れた……」  蓮水はごくりと喉を鳴らした。  蓮華のそこは、硬く勃起していた。    蓮水は片肘をついて、上体を起こした。  蓮水の腰を跨ぐ体勢だった蓮華と、間近で向かい合う。  豆電球のオレンジ色の灯りが、黒々とした目の中でぎらりと光っていた。    欲情している。  蓮華が、欲情している。  彼が性的な快感を知ったのは、ほんの二日前の話だ。  男として成熟した体が、またあのときの悦びを欲している。  蓮水はパジャマ越しに、蓮華の硬い陰茎を撫でた。  蓮華が蓮水のてのひらにそれをこすりつける動作で、腰を動かした。 「蓮華……オレが治してあげるから」 「うん……うん、して。ちんちん、して」    頷いた蓮華がパジャマを脱ぎ捨て、蓮水に被さってきた。  蓮水は弟を抱きしめて……体を横たえながら、大きく息を吸い込んだ。  むせかえるような牡の匂いが、鼻腔の奥に、広がった……。   

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