29 / 55

第28話

「きみに伝えたほうがいいかなと思う情報があってね」  蓮水(ハスミ)の耳に、諸住(もろずみ)の声が流し込まれてくる。  蓮水は手の中でぐしゃりと写真を握りつぶした。 「あんたの言うことは聞きません」  静かに、そう告げて。  蓮水は丸めた写真をゴミ箱の中に投げ捨てた。    一緒に食卓を囲み、蓮華(レンゲ)の話を頷きながら聞いていた飯岡。  彼は味方だ、と思ったそのときの気持ちは、まだ蓮水の中にしっかりと根付いていた。  飯岡よりも諸住を信じる義理はない。  だから蓮水は、それを言うために男に電話を掛けたのだった。 「写真は捨てました。飯岡に関して、あんたと話すことはない」  蓮水の言葉を、諸住が笑い飛ばした。  可笑しげな笑い声が電話の向こうで響いて、蓮水は不機嫌に眉を寄せた。   「切りますよ」  そう言った蓮水の語尾にかぶって、「蓮水くん」と名を呼ばれる。 「きみはまたずいぶんと、飯岡に手懐けられているようだね。そんなきみに、忠告だ」 「聞きません。切ります」 「蓮水くん。警察は会長の死に関して、と思う?」  思わぬことを問われて、蓮水は通話を終えようと伸ばしかけた指を止めた。 「……は?」 「後から現れたきみにすべてを持っていかれた秘書の存在を、警察が捜査線から外すと思うか?」  蓮水は思わず押し黙った。  諸住の言葉など聞く必要はないとわかっていたが、男がなにを言おうとしているのかが気になった。  沈黙した蓮水へと、諸住の忠告の声が響いた。 「気を付けなさい。蓮水くん、きみ、警察に行くなと飯岡に言われただろう?」 「…………それが、なんです」 「一応聞くが、きみが会長を死に追いやったのか?」 「違います」  蓮水は即座に否定した。  諸住が間髪を入れずに問いを重ねた。 「ならばなぜ、飯岡はきみが警察に協力することを妨げるような真似をする?」  ごくり、と蓮水は生唾を飲み込んだ。  携帯を握る手に、知らずちからがこもった。   「警察は飯岡の犯行を疑っている。きみの秘書はそれをよく知っている。だから彼は、きみを警察に行かせたくないんだ。会長の死に関して、自分が疑われる証言をされやしないかと、それを案じているからね」 「……飯岡は、そんなこと……」 「蓮水くん。よく考えたまえ。きみが警察の任意同行を拒み続けることに、いったいどんなメリットがある? 警察の聴取を頑なに拒み続けることが、きみにとって本当にいいことなのか? 蓮水くん、きみは……」  諸住が、こんこんと蓮水に話しかけてくる。  蓮水はたまらずに、携帯の電源を落とした。  通話がぷつりと途切れた。  液晶モニタが真っ黒に塗りつぶされた携帯を、蓮水は投げ捨てた。  壁にぶつかったそれは、音を立てて床に落下した。  蓮水は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。  諸住の言葉が頭の中をぐるぐると回り続けている。    蓮水が、下手に疑われるよりも警察にさっさと協力した方が良いのではないかと言ったとき、それを止めたのは飯岡だった。  刑事は蓮水の言い分など(はな)から聞く気はないと言って、警察署になど行くなと告げたのだった。  蓮水は……どうすればいいのだろう。  飯岡と諸住。  どちらの言葉に耳を貸せばいいのだろうか……。  蓮水は髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、どうにもならなくて、深い溜め息を吐いた。    風呂に入って気分をさっぱりさせようと、立ち上がって着替えを準備し、バスルームへと向かう。  脱衣場のドアを開けてから、シャワーの音がしていることに気づいた。  そういえば、蓮華(レンゲ)が先に風呂に入ると言っていたが……あれからかなり時間が経過している。 「蓮華? 大丈夫か?」  具合でも悪くしているのだろうか、と俄かに心配になって、蓮水は中折れドアをかちゃりと押した。途端に内側から湯気が溢れ出してくる。 「蓮華?」  白くかすむ視界の中、浴室を覗こうとすると同時に、濡れた手に手首を掴まれた。  驚いて咄嗟に腕を引こうとした蓮水だったが、それよりも強いちからで中に引きずり込まれる。    洗い場では、全裸の蓮華がシャワーを全身に浴びながら立っていた。  その股間が、隆々と天を仰いでいる。    蓮華が、握った蓮水の手を、体の中心に導いてきた。 「ハスミさん……ちんちん、腫れた」  左手で、自身のペニスを扱きながら。  右手で蓮水の手を引き寄せて、蓮華がそれを握らせようとしてくる。  蓮水は首を横に振って、自身の手をそこから退ける動きをとった。 「蓮華、今日は……」    先ほどの諸住との会話で頭がいっぱいで、それどころではない、と。  蓮水は蓮華の誘いを断ろうと、した。    しかし蓮華は引かなかった。  強引に蓮水に陰茎を握らせ、その上に自身の手を重ねて性急に動かし始める。  蓮華にしてみれば覚えたての性衝動だ。ちょっとした刺激で興奮する思春期の少年のように、それは我慢できる類のものではないのかもしれない。   「ハスミさん……ハスミさん、ちんちんして。ここで、ちんちんこすって……」    蓮華の左手が、蓮水の臀部に回った。  男の指でスラックスの上から割れ目をぐりぐりと弄られる。  愛撫をしているわけではない。  挿入する孔を探すだけの動作だった。  蓮華にとって蓮水は、ただの性欲処理のための存在なのだ。  蓮水は、眩暈がしそうなほどの衝撃の中で、そのことを悟った。    蓮華の体を押しのけようとした手が、みっともなく震えた。    蓮華が悪いわけではない。  これは……なにも知らなかった弟を逆レイプした蓮水の、自業自得だ。  彼に快楽を教え込み、自分の元に繋いでおこうとした蓮水に、いま、(ばち)が当たっただけの話なのだ。  蓮華は、欲情しているわけではない。  自分を気持ちよくしてくれるなら、誰が相手でもいいのだ。  性交は、蓮水を求めての行為では、なかった。     蓮水はモノだ。  蓮華を慰める孔を持った、ただのダッチワイフだ。  そこに情など、ひとつも存在しない。  生理的な欲求を満足させてくれる、ただのモノなのだ。  だから蓮水の心情など、蓮華はひとつも斟酌してくれない。  飯岡の件で頭を悩ませ、疲れている蓮水などお構いなしに、勃起した性器を押し付けてくる。    蓮水のスラックスが、下着ごと蓮華の手によってずり下げられた。  体をくるりと回され、浴室の壁に押し付けられた。  蓮水の腰を掴んだ蓮華が、背後から蓮水を貫こうとしている。 「蓮華っ、待って!」    蓮水は上体を捻り、男の体を押しのけようとして……そこで動きを止めた。  嫌だ、と言いかけた唇も、固まってしまう。    いまここで蓮華を拒んだら……蓮華は、この家から出て行ってしまうのではないか。  不意に浮かんできたその考えが、蓮水から抵抗するちからを奪った。  蓮水の尻の狭間に、蓮華がぬるりぬるりと猛った砲身をこすりつけてくる。  熱い吐息をこぼして、情欲に潤んだ黒い瞳が、蓮水の顔を映した。 「ハスミさん……ぼくのちんちん。して、早く、して」  無邪気なまでにそう乞われ、蓮水は男を突き飛ばす代わりに、腕を伸ばしてボディソープのポンプを押した。  てのひらに、とろりと乗った白い液体。  それを蓮水は、後ろに回した手で蓮華のペニスに塗り付ける。 「……か、乾いてると、おまえが気持ちよくないから……」  喉に絡む声を無理やりに出してそう言った蓮水は、もう一度ボディソープを手に垂らすと、今度はそれで自身の孔をほぐした。  上から降ってくるシャワーの湯にぬめりが流されないよう、手早く挿入した指を数度動かす。  すると待ちきれないように、蓮華が指の横から己の陰茎を強引に突き刺してきた。 「あうっ、ま、まだっ……う、あああっ」  蓮水が慌てて指を引き抜くと、蓮華が空いたスペースに即座に強直をねじ込み、奥まで侵入してくる。  ピリっとした痛みに、蓮水は呻いた。  しかし蓮華は容赦なく腰を使い始めた。  ぬちゅっ、ぬちゅっ、と始めから激しいピストンで責められ、ぶるぶると内腿が震えた。  昼間に諸住に抱かれたばかりの蓮水は、心身ともに疲れ切っている。  けれど蓮華が手加減をしてくれる気配は微塵もない。  でも、蓮水は拒めない。    だって、蓮華の性欲処理もできない蓮水に。  ほかにいったいなんの価値があるというのか。  いまこのときだけは、蓮華は蓮水を必要としてくれているのだから。  蓮水は喜んで体を開くべきだった。  蓮水にはほかに蓮華を繋ぎとめておく手立てがない。  だから、こうして蓮華に使ってもらってこそ、蓮水には価値が生まれるのだ。  ……いったい、なにが違うというのだろう。  ぽつり、と蓮水の内側で、誰かが呟いた。  蓮水をダッチワイフにしている蓮華と。  蓮水を玩具にしている諸住たち役員連中は。  いったい、なにがどう違うというのか。  蓮水をモノとして見ている点では、みんな、同じではないか。  蓮水はきつく唇を噛んだ。  そうしないと、叫び出してしまいそうだった。    嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。気づきたくない。  蓮華が役員連中(あいつら)と同じに蓮水を扱っているなんてことに。  気づきたくなんてない。  蓮華は蓮水を必要としてくれている。  体だけでも必要としてくれている。    蓮華を拒まずにいれば、いつか……。  そこになんらかの情が生まれるかもしれない。  大丈夫。  蓮水は、大丈夫だ。  疲れていても、耐えられる。  蓮華の役に立てることは、嬉しいことだ。  大丈夫。  大丈夫。  大丈夫。     降り注ぐシャワーが蓮水の髪をしとどに濡らし、しずくが顔を滴り落ちてゆく。    これはただのお湯で。  涙じゃない。  泣くようなことなど、なにもない。  なにもないのだと、蓮華に揺さぶられながら、蓮水は自分に言い聞かせ続けた……。                  

ともだちにシェアしよう!