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第34話

 諸住(もろずみ)に伴われて連れて行かれた場所は、会社のビルの地下の一室であった。  折りたたみのテーブルとパイプ椅子が積まれている倉庫となっているそこには、二人の刑事が居た。  たぶん、以前に蓮水(ハスミ)に声を掛けてきた男たちだ。  スーツ姿の彼らは黙って警察手帳を蓮水に掲げて見せた。  蓮水が頷くと、ひとりが蓮水の背を軽く押して、こちらへ、と言った。  どこへ行くんだ、と蓮水が問うと、詳しい話は署で、と答えが返ってくる。  男たちに両脇を挟まれ、そのまま地下通路を出た蓮水は、そこに停めてあった刑事の車に乗せられた。  顔を捻って来た道を振り返ると、閉じた自動ドアの向こうに、諸住の姿はすでになかった。    車は県警本部の前で停まった。  正面ではなく、裏口から建物の中へと入る。  二人の男は蓮水を窓のない部屋へと案内した。  白い蛍光灯の灯る室内には、中央に事務机があり、それを挟んでパイプ椅子が置かれている。  刑事は奥の椅子に蓮水を座らせ、自分たちはドア側に腰を下ろした。    さて、と年配の刑事が口を開いた。確か、葉山(はやま)という名前だ。  胸元から手帳を取り出した葉山がパラパラとそれを開きながら、蓮水を見た。しわのある目元は一見やわらかそうな印象であったが、眼光は鋭い。蓮水は知らず、背を緊張させていた。 「財部(たてべ)さん」 「はい」 「改めて、あなたの義父……財部正範(まさのり)さんの死因についてお尋ねしますが」 「心臓に病があったと伺ってます」 「それは、医者が?」 「はい」  なるほど、と葉山が頷いた。  葉山の隣に座る、四十代前半だろうか……久住(くずみ)という刑事がギシ……とパイプ椅子の背もたれに体重をかけ、行儀悪く長い足を組んだ。  男が床についている方の足を動かすたびに、ギシ、ギシ、と椅子が鳴る。 「では、社葬を待たずに会長を荼毘(だび)に付した理由は?」  そっくり返った姿勢の久住とは逆に、葉山が蓮水の方へ身を乗り出し、目を細めて問うてきた。  蓮水は首を傾げ、わかりません、と答えた。 「……会長が突然亡くなられて……正直、オレはずっとぼんやりしているだけだったので……あのときのことは、よく覚えてません」 「んなわけねぇだろうが」  しゃがれた声が蓮水の語尾にかぶった。  久住が、天井を仰いだまま吐き捨てたのだった。 「おい、久住」  葉山が叱責するような声を出す。  久住が肩を竦めて、口を(つぐ)んだ。  すみませんね、と葉山が片手を立てて蓮水を拝むような仕草を見せる。蓮水は軽く頭を振ってそれに応じると、「あの」と刑事に問いかけた。 「今回の件で、飯岡が疑われているのですか?」  葉山と久住が、チラと横目で互いを見た。  なんのアイコンタクトなのかわからずに、蓮水は机の下で両手をぎゅっと握りしめた。 「会長は、病死です。それに飯岡が会長を殺す理由もない。飯岡は……」 「財部さん」  葉山がてのひらで蓮水を制した。   「その飯岡さんが、葬儀に関してはすべてあなたの指示だった、と証言しています」  男の声は、蓮水の耳を上滑りした。  なんと言われたのかよくわからない。  だから蓮水は、「は?」と問い直した。 「は、じゃねぇよ」  ひときわ大きな軋みを立てて、久住が立ち上がった。  飄々とした歩き方で事務机をぐるりと回った男が、蓮水の背後で足を止めると、バン!と乱暴な音を立てて手をデスクに叩きつけた。  蓮水は思わず首を竦めた。  久住が手を退ける。机に残ったのは、一枚の写真だった。  そこには、蓮水の後ろ姿と……蓮水と寄り添うようにして立っている男が移っていた。専務の山脇だ。蓮水の脇にある観葉植物から、場所は役員専用のフロアの廊下であることがわかった。明らかな隠し撮りであった。 「アンタが、その男と結託して会長を毒殺したと、アンタの秘書がリークしてきたんだよ」 「嘘だ」 「なんで警察(おれたち)が嘘をつくんだよ。アンタが財部正範を殺した。そうだな?」 「違います」    蓮水はきっぱりと跳ねのけた。  誰がなんと言おうと、してないものはしていない。  こんな写真一枚で山脇と蓮水が結託しているなんて、それこそ言いがかりであった。  腕を組んだ葉山が、うんうんと二度頷いて、静かに起立した。その葉山に久住が並び、二人して蓮水を見下ろしてくる。 「財部さん。これは非公式な聴取です」  穏やかな声で、葉山がそう言った。 「いまのうちにあなたが素直に話してくれれば、悪いようにはしない」 「話すことなどありません」  蓮水は精いっぱいの虚勢で返事をすると、ガタリ、と椅子を鳴らして腰を上げ、男たちと対峙した。 「帰ります」  一礼をして、男たちの横を通り過ぎようとした蓮水の腕を、久住が掴んで引き留めてくる。 「帰すわけないだろ」  ニヒルに唇を歪めた久住の手を、蓮水は思い切り振り払った。 「おおっと~」  久住がわざとらしくよろけた。  大きく跳ねた男の腕が事務机の角にゴンっと当たった。 「公務執行妨害だな」  久住がひらひらと手を振って、改めて蓮水の肘のあたりを掴んできた。 「ふざけるな」  蓮水は男を睨みつけたが、今度はそれを払うことができなかった。   「財部さん、今日のところは泊まっていってください。まぁ、快適ではありませんがね」  くい、と葉山が顎を動かした。  久住が蓮水の腕を掴んだまま歩き出した。男の動きに合わせて、蓮水の足もまろぶように動いた。   「明日もまた、話をしましょう」 「オレはなにもしてない。帰ります」 「財部さん、また明日」  揺らぎのない微笑で、葉山がお辞儀をした。  久住が容赦のないちからで蓮水の腕を引く。蓮水は成すすべもなく廊下の奥へ奥へと歩かされた。  連れていかれた先は、留置場ではなかった。  日頃はどんな用途で使われているのかよくわからない、パイプベッドとユニットバスのある個室だ。一見すると仮眠室のようにも見えた。しかし、外側から鍵の掛かる造りになっている。    蓮水の持っていた荷物はすべて久住に没収された。もちろん、携帯電話も。   「こんなこと、ゆるされるはずがない」  蓮水は長身の男を睨み上げた。  いくら蓮水が世俗のことに疎いといえども、こんな強引な捜査がまかり通るわけがないことぐらいわかる。 「オレは帰る。そこをどけ!」  蓮水は険しい声で訴えたが、久住はそれを鼻で笑い飛ばした。 「非公式だって言っただろ。これは記録には残らない。アンタは自分の意思でここに泊まるんだよ」 「ふざけるなっ!」 「早く帰りたけりゃ、な」  久住が蓮水の顎を強く掴んできた。  そのまま、男の顔が近づいて……耳元で低く囁く。 「明日俺の出す調書にサインしろ。アンタが素直に応じれば悪いようにはしない。すぐに家にも帰らしてやる」    男の言葉が終わるのを待たずに、蓮水は久住の胸を突き飛ばした。  男はへらりと笑って蓮水から離れた。  公務執行妨害だ、と二度は言わずに、久住は部屋を出て行った。  ガチャリ、と鍵の掛けられる音が響いた。  蓮水はひとり残され、茫然と立ち尽くした。  自分が誰に陥れられたのか。それすらもよくわからない。  飯岡か。  諸住か。  それともべつの人間なのか……。  蓮水を警察の元へ送る画策をしたのは諸住だ。  そして警察は、蓮水が財部正範を殺したと飯岡からのリークがあった、と言っていた。  とすれば、諸住と飯岡が手を組んでいるのか……。  考えがまとまらずに頭痛がした。    気づけば爪を噛んでいた。  みっともないからやめなさい、と諫める秘書が傍に居ないので、左手の親指からは血が出そうになっていた。    蓮水はベッドに入り、頭から布団をかぶって丸まった。  これからどうすればいいのだろうか。  頭が痛い。  頭が痛い。   「……れんげ……」  蓮水の喉から、ぽつりとその名が漏れた。    蓮華(レンゲ)。  家で、ひとりで居る蓮華。  あそこも……あの家も、いま蓮水が居るこの部屋と同じく、内側から鍵を開けることができない。  食事や風呂など、自分でちゃんとできるだろうか。  冷蔵庫や戸棚にレトルト食品やパンが入っているはずだけれど……いや、今日会議の後に買い物をしようと思っていたから、そんなには残っていないだろうか。    早く帰ってあげないと……。  蓮華のところに、早く帰ってあげないと……。  蓮水はきつく瞼を閉ざして、蓮水の帰りを待っているであろう蓮華の顔を、思い浮かべた。           

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