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第36話

 久住(くずみ)の手がくちゅくちゅと動いている。  休憩と称して葉山はしょっちゅう席を外した。  先輩刑事が離席している十分ほどを利用して、蓮水(ハスミ)の体を久住が嬲った。    最初はペニスを(いじ)られるだけだったが、行為は次第にエスカレートし、いまは後孔までも男の手によって暴かれていた。  蓮水が達しそうになると、久住の指は離れる。  それを延々繰り返され、蓮水はぼろぼろと涙をこぼした。 「素直に話せ」  低くしゃがれた久住の声が、鼓膜の奥にこびりつき、離れない。   「話せば楽にしてやる」 「話せば家に帰してやる」 「いまだけうんと言えば、それで済む話だ」 「頷くだけだ。簡単なことだろう?」  幾度も幾度も同じ言葉を吹き込まれ、蓮水は泣きながら、ついに首を縦に振った。  警察に連れて来られた、四日目の午後のことだった。 「おまえがやったと話すんだな?」  久住が念を押すように問いかけてくる。  蓮水は内腿を震わせながら、もう一度こくりと頷いた。  事務机には蓮水の涙と涎が広がり、そこに頬を擦りつけるようにして、蓮水はただ頷いた。 「よし。いい子だ」  久住が蓮水の内側に埋めた指で、ぐにぐにと前立腺を刺激した。  限界まで高められていた蓮水の陰茎は、呆気なく精を放った。  座り込みそうになる蓮水の腰を、背後の男が支え、ティッシュで精液を受け止めた。    体も頭も重かった。  その倦怠感は、逐情したことでなお強まり、視界すらも霞んだ。  蓮水の息づかいが落ち着くのを待たず、久住はティッシュをゴミ箱へと投げ捨て、蓮水の衣類を適当に整えてから、パイプ椅子に座らせた。  それから部屋の扉を開け、顔を廊下側へ覗かせると、 「ヤマさん!」  と葉山を呼んだ。  部屋に戻ってきた葉山の手には、数枚の書類があった。  葉山と久住が、並んで蓮水の向かいに腰を下ろす。  葉山の手から書類を受け取った久住が、紙面を眺めながら口を開いた。 「それじゃあ順番に確認する。財部(たてべ)蓮水。アンタは財部正範(まさのり)の愛人だった」  久住の声に、蓮水は俯けていた顔をさらに下へと向け、頷いた。 「声に出して返事をしてもらえますか」  葉山が丁寧な口調でそう言った。彼の手にも書類はあり、右手はペンを握っている。蓮水の返事を書き止めるためだとわかった。 「……はい」  消えそうな声音が、蓮水の喉から漏れた。 「財部正範と養子縁組をした後、アンタは遺言状を書き変えるよう財部正範に強要した」  そんな事実はなかった。  なかったけれど蓮水は「はい」と答えた。  その後も告げられる言葉のひとつひとつに「はい」と応じていると、そのうちに投げやりな気分になってきた。  もういいか、とそう思う。  飯岡が、そんなに蓮水のことを邪魔に思っていたのなら、もう蓮水が犯人にされてもいいか、と。  刑事たちの声は単なる音の羅列で、意味のある言葉として蓮水の耳に届いてはこない。 「…………した、そうだな?」 「はい」  なにを言われたのかわからなかったが、機械のように蓮水はこくりと頷いた。 「……で、アンタと飯岡は元々、淫……なんとかっていう、なんだこれ、遊郭? で顔見知りではあった、と」 「おい、久住。そこは消しとけ」  不意に音量を落として、葉山が早口に囁いた。 「あそこのことはご法度だ。名前も残すな」 「へぇへぇ……って、あれスか、そういやここ、刑事の誰かが潜ってるって噂の場所スか」 「久住」  シ、と葉山が唇の前に人差し指を立てた。  蓮水はぼんやりと、二人のやりとりを見た。  彼らがいま話題にしたのは、淫花廓のことだ。  蓮水が以前に身を置いていた、現代の遊郭。  警察の書類に名前すらも残せない、触れてはいけない場所……。  時間差でそれを理解した蓮水は、怪訝に眉を寄せた。  刑事はいま、なんと言ったのか。  と、そう言ったのだろうか。  どういう意味だ。    財部がしずい邸を訪れるとき、常に飯岡を伴っていた。そのことを指しているのだろうか。  だがしかし、刑事の口ぶりではそれよりももっと前からのことのように聞こえたが……。  シャッ、と音を立てて葉山が紙面に横線を引いた。  淫花廓のことを記した文言を消したのだ。  あの用紙に飯岡のことはどう綴られているのか。  それが知りたくて蓮水は、咄嗟に手を伸ばしていた。 「見せてください」 「おっと……」  蓮水が紙を掴むよりも早く、葉山がそれを遠ざけた。すぐに久住に手首を掴まれ、卓上にダンッと叩きつけられた。 「おいおい。いまさら悪あがきは無しにしてくれよ。続きに戻るぞ」  久住が蓮水の手を抑えつけたまま、また書類を読み上げ出した。しかし、数行も進まぬうちに忙しないノックの音に阻まれる。  久住が鋭い舌打ちとともに立ち上がり、扉の方へと荒々しい足運びで歩み寄った。 「取り込み中だぞ。なんだ」    険しい声で問いかけた久住の耳元で、廊下の警察官がなにかを囁いた。蓮水の耳には拾えないほどの小声だった。  久住が葉山を手招いた。  葉山が一度天井を仰ぎ、ため息をついてからそちらへと向かった。  彼らは二言三言言葉を交わすと、互いに頷き合って、葉山がドアノブに手を掛ける。  扉が、内側へと大きく開かれた。    葉山が背中でドアが元に戻るのを押さえ、腕をスッと動かした。 「財部さん。どうやら時間切れのようです。お引き取りいただいて結構ですよ」  いつも微笑をたたえてた顔からはやわらかな色が抜け落ち、苦いような表情であった。  隣では久住が、壁をなんども蹴っていた。  蓮水はポカンと二人を見上げ……入室してきた制服の警察官に促され、ふらつきながら立ち上がった。  どういうことだろう。ここを出て行ってもいいのだろうか。  蓮水は恐る恐る足を動かした。  部屋と廊下の境目を(また)ぐとき、久住に腕を掴まれるのではないかと怯えたが、彼らは蓮水を引き留めることはしなかった。  来たときは裏口からだったのに、帰りは正面玄関の方へと案内された。  自動ドアの前に誰かが立っている。  蓮水は霞む視界の中、すらりとしたシルエットを捉え、足を止めた。  スレンダーな肢体にスーツを隙なく纏っている男は、飯岡であった。  蓮水と目が合うなり飯岡が、形の良い眉を吊り上げた。   「まったく……手のかかるひとですね」  怒りを潜ませてそう言った彼の、ふだんは爽やかな美貌は、疲れ果てていて。  飯岡の目の下に黒く浮く(くま)を見た瞬間、蓮水の膝がかくりと折れた。    蓮水は、その場に(うずくま)って泣いた。  なんの涙なのか、自分でもよくわからなかった……。           

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