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第46話

 蓮水(ハスミ)の視線を受けて、飯岡が苦笑を漏らした。 「警察には行ってはいけませんよと言ったのに、あなたはちっとも私の言うことを聞かないから余計な手間をかけられました」 「男娼たち(テメェら)は世間知らずだからな。だから有象無象たちにホイホイと転がされるんだよ。大方諸住(もろずみ)って野郎になにかしら吹き込まれたんだろう」  煙管の雁首をカツっと鳴らして灰を落とした楼主が、呆れを隠さずに唇を歪めた。  飯岡が肩を竦め、嫌そうに顔をしかめる。 「男娼たち(テメェら)、ということは私も含まれているわけですか」 「反論できねぇだろうが。手前の立ち回りが(マズ)いから、コイツひとり救えずにこんな事態になったんだろうがよ」  楼主のニヒルな笑みを受けて、飯岡が吐息を漏らした。 「返す言葉もありませんね」 「その言い方が、可愛げがねぇって言ってんだよ。蓮水。いつまでも呆けてねぇで手前の口から話せ。誰になにを吹き込まれたんだ」  吸い口をこちらに向けて、楼主が蓮水を促してくる。  蓮水は戸惑いながら、口を開いた。  飯岡が財部(たてべ)の愛人であると諸住に教えられたこと。  そして、飯岡が蓮水に、財部殺害の容疑を着せようとしていること。  それから……。 「飯岡を信じるな、と言われて……」 「まぁ、そんなところでしょうね。それを真に受けてホイホイと警察に私を売りに行ったあなたに私は呆れているわけですが」 「違うっ」  否定の言葉を叫んだ蓮水は、両手を膝の上で握りしめた。  言ってから思い直す。  いや、なにも違わないのか。     蓮水は飯岡を疑った。  諸住に、飯岡が財部の愛人だ言われ、それを信じた。  飯岡が蓮水のことを邪魔に思っているのだと、それが事実だと、信じ込んでいた。  けれど、蓮水が警察に行ったのは……。 「け、警察が……、おまえの逮捕に乗り出すと、聞いたからだ。飯岡の逮捕をやめさせるために、話し合いの場を設けてくれると、聞いたから……」  話しているうちに、自分がいかに稚拙で考えなしな行動をとったのか思い知らされ、蓮水の語尾が弱弱しくなる。  チラ、と飯岡の方を伺うと、てっきり冷笑でもしているかと思った男の目が、丸くなっていて驚いた。 「……蓮水さん。あなた、私を庇おうとしたんですか?」  純粋な疑問を向けられ、蓮水はこくりと頷いた。 「おまえのことは、疑ってしまったけど……オレと、蓮華(レンゲ)と一緒に、ご飯を食べてくれたから……嫌いにはなれなかった。でも、オレのしたことで却っておまえに迷惑をかけて……ごめん」  蓮水は頭を下げたけれど、飯岡からの返事はなかった。  浅薄な行動に呆れているのだろう。 「まったく……ママゴトだな、手前らは」  楼主が皮肉げな呟きを落とし、煙管にまた新しい葉を詰めた。 「おい、説明してやれ」  楼主に顎をしゃくられ、アザミが小さく笑った。 「ほら、やっぱり面倒くさがりだ」 「うるせぇ」 「ふふ……。蓮水、おまえの見えていなかった裏側を教えてあげよう」  アザミがとろりと甘い声で、語り出した。    まず、諸住が狙っていたのは当然のことながら蓮水の失脚であった。  諸住は財部ホールディングスの古参、久下山(くげやま)(くみ)している。  久下山は財部正範の死後、すべての権限を引き継いだ蓮水を傀儡にしようと企てていたが、その蓮水と思うように接触できないことに苛立っていた。  そんな中、蓮水の一番近くに居る飯岡が、久下山と敵対する山脇に急接近していることを知る。  蓮水は山脇の陣営に加わるつもりかと焦った久下山は、蓮水が財部正範を殺害した、と嘘の情報を尤もらしく仕立て上げ、知人の警察上層部の男へと手渡した。その際に袖の下もたっぷりと包み、久下山が会社を手に入れた暁にはと売り込むことも忘れなかった。    しかし偽の証拠を使用しているため、警察も強引に蓮水を連行できない。それどころか飯岡が邪魔をして蓮水への事情聴取すらもままならない、という状況が続いた。  なんの進展もない中、飯岡と蓮水が仲を深めているようだ、という情報が諸住よりもたらされる。   「……仲を深めるっていうのは、なんですか?」  蓮水は怪訝に思って質問を挟んだ。  アザミが軽く眉をあげ、 「あの子と寝たんだろう?」  と答えた。  あの子、というのが蓮華を指すことに気づき、蓮水はドッと汗をかいた。しかしこの場に居る誰も、兄弟で体をつなげていた蓮水たちを糾弾したりはしなかった。 「おまえを抱いた相手がレンゲさん……飯岡さんだと、諸住とやらに勘違いをされたんだよ」  アザミがそう説明をしてくれた。  諸住は蓮水を抱いたとき、蓮水の後孔がやわらかくほぐれていることに気づいた。  ほとんど会社に姿を見せない蓮水を、誰が抱いたのか。  その相手が飯岡であると、彼は勘違いをし、そう思い込んだ。  蓮水と飯岡に肉体関係があるとなると、いよいよ静観してはいられない。  飯岡に丸め込まれた蓮水が、山脇に取り込まれてしまう。  そこで諸住は蓮水と飯岡を仲違いさせようと、飯岡は敵だと蓮水に吹聴した。  しかし諸住が期待したほど、それは効果を成さなかった。蓮水は飯岡を傍に置き続けている。  ならばと諸住は、警察が飯岡の逮捕に乗り出したと嘘の情報を蓮水に囁いたのだった。  そして蓮水と飯岡を引き離すことに成功し、蓮水を刑事の元に送ることができた。 「財部さまを殺害したという事実がなくとも、自白さえあれば警察はおまえを逮捕できる。おまえが事情聴取に応じれば、あの手この手で自白を強要されることがわかっていたから、飯岡さんはおまえに警察には行くなと言ったんだよ」 「……それなら、そうと……」 「あなたは蓮華さんのことで頭がいっぱいでしたし、私のことを疑っている状況では言っても耳を貸さなかったでしょう」  飯岡に指摘され、蓮水は口を噤んだ。  それはそうかもしれなかったが、せめて説明があれば蓮水だってあんな軽率な真似はしなかったはずだ……が、いまそれを言っても無意味なことであった。   「今回の件については、警察はもう動かない。久下山と癒着していた警察上層部の人間が処分されたからね」  アザミの言葉に蓮水は頷きかけて……ふと首を傾げた。 「なぜ、そんなことがわかるんですか」  飯岡から話を聞いていたこともあるだろうが、アザミたちは警察の動きに精通しすぎている。   そもそも警察では身内の不祥事は隠匿される。その上層部の人間の不祥事も内密理に処理されたはずである。なぜそれをアザミたちが知っているのか。  蓮水の疑問に、アザミが妖艶な微笑を浮かべた。 「そこの楼主さまは、警察に子飼いの駒を持っているのさ」 「おい。ベラベラしゃべってんじゃねぇ」  楼主が不機嫌に眉を寄せ、アザミをじろりと睨んだが、アザミは小さく肩を竦めただけだった。 「それで?」 「え?」 「あらかたの事情はもうわかったと思うけれど……おまえはこれから、どうするつもりだい?」  問われて、蓮水は姿勢を正した。  頭の中で、いまの話を整理する。  飯岡が蓮水を警察に売ったわけではなかった。  すべては久下山と諸住の奸計に、蓮水が踊らされただけなのだ。    それでも、蓮水は……。 「私が山脇専務と接触していたのは」  蓮水が口を開くよりも一拍早く、飯岡が言葉を紡いだ。 「蓮水さん、あなたをあの会社から解放するためでした」 「……は?」 「あの会社は正範さんの形見です。簡単に放り出せるものではない。けれど、権力に興味を示さないあなたには、ただ負担なだけだった。だから一番穏便に譲渡できる方法を、山脇専務と相談していました。彼は、正範さんの(ふる)くからの友人だったので」  そんなことを考えていてくれたのか、と蓮水は飯岡の整った顔を見つめた。  男の薄い唇が、静かに動く。 「蓮水さん。私は、『レンゲ』という名の男娼を、しあわせにしたかった。それを願って動いていたつもりでした。けれど結果的にあなたを追い詰めただけでしたね」  蓮水の視界を、煙管の煙が曇らせた。  ふぅ、と腹の底から深い息を吐き出して、楼主が気怠い声を聞かせた。 「手前も蓮水も、どっちもどっちだよ。自己完結してる暇があんなら、もう一寸(チョット)会話しな。内側だけでなんでも決めるところは、似た者同士だなぁ? レンゲ」  二人をまとめてそう呼んだ男が、口角を歪めてニヒルに笑った。  そして、底の読めぬ瞳を細め、そこに蓮水を映した。 「いまの話を聞いて、手前の身の振り方は手前で決めるといい。弟とも話せ。ちゃんと話して、それでも田舎に行くってんなら、好きにしな。俺はもう手を引くぜ」     最後の一服とばかりに煙管の吸い口を吸った楼主が、おもむろに立ち上がった。  枯野色の着流しの裾が、ひらりと動く。  楼主に倣って、アザミも般若面で美麗な顔を覆い、きれいな動作で腰を上げた。    蓮水はしばし茫然としていたが、飯岡も立ち上がろうとしているのを見て、慌てて膝を立てた。  正座に慣れているので、足はしびれたりはしない。  しないが、踏みしめた畳はどこかふわふわと頼りない感触だった。  飯岡と目が合う。  なにを言っていいかわからない。  押し黙った蓮水の耳に、蜂巣の扉を開く音が聞こえた。  顔を巡らせると、楼主と般若の背中が玄関を潜ろうとしていた。  そのとき。 「ただいま~」  少し舌ったらずな、大人の男の声が響いた。    怪士面の巨躯の男に伴われ、蜂巣の部屋をひょいと除いた蓮華が、顔中でにこりと笑って手を振ってきた。 「ただいま~、ハスミ」         

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