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第47話
「みんなにあいさつしてきたよ~」
えへへと笑う蓮華 が、右足を引きずりながら蜂巣 へと入ってくる。
蓮華と入れ違いで、楼主たちが去ろうとしていた。
煙管を咥えた男が、一度振り向き、
「話をしな」
と厳しい口調で言った。
「ここは好きに使っていい。手前 でちゃんと、決着をつけろ」
酷薄な印象の瞳を軽く眇めて、楼主は蓮水 へ言葉を投げ、カラカラと下駄の音を立てて歩き出した。
それに般若のほっそりとした後ろ姿が続く。
怪士 面の男衆が、押さえていた扉を閉じた。
パタリ、と静かな音が響き、室内には蓮水と飯岡、蓮華の三人が残された。
奇妙な空気を感じ取ったのか、蓮華が首を傾げて蓮水と飯岡を見比べてくる。
「どうしたの? ケンカ?」
小首を傾げて問われ、蓮水はぎこちなく微笑んだ。
なにをどう話せばいいのかわからない。
一度手放すと決めた弟を相手に、いまさらすがりつくことも、オレと一緒に居てくれと懇願することもいまの蓮水にはできなかった。
「蓮華……」
喉に絡む声を無理やりに出して。
蓮水は黒々とした蓮華の瞳を見つめた。
「……オレ、は、もう、おまえと一緒に暮らせなくなった」
蓮華の目が丸くなった。
蓮水との距離を、一歩詰めて。蓮華がことんと反対側に首を倒した。
「なんで?」
無邪気に問い返され、蓮水はぎゅっとこぶしを握り締める。
強張った唇の口角を上げて、なんとか笑みの形を作った。
「し、仕事で、遠くに行くから」
咄嗟に嘘が飛び出した。
「だから、おまえのことは、ここに……淫花廓に戻れるように、楼主にお願いをしてたんだ。オレの勝手でおまえを無理やりに連れてきて、ごめん。おまえがここに戻りたがってたから……ちゃんと、帰れるようにしたから」
蓮華がパチパチと瞬いた。なにを言われたのかわからない、という顔で、眉をしかめて。
それから彼は、怪訝な表情で口を開いた。
「ハスミ、仕事?」
「う、うん……そう、仕事で」
「いつまで?」
「え?」
「いつまで仕事? おれ、いつまでここで待っとくの?」
純粋な蓮華の眼差しに、蓮水の呼吸が苦しくなった。
喉が塞がったような感覚がして。
蓮水の作り笑いが、はがれてしまった。
蓮華が当然のように蓮水を待つと言ってくれたことに、体が震えた。
嬉しいという気持ち以上に、己の犯してきた罪を見せつけられた気分だった。
蓮水と蓮華の関係は、体でつなぎとめた歪んだものだ。
なにも知らなかった蓮華に、禁忌の関係を強 いた、蓮水の罪だ。
「蓮華……オレは……」
もうおまえの元に戻るつもりはない、と伝えようとして、相手は子どもだと思いなおす。
数か月を一緒に暮らして、いまは蓮水に愛着を抱いてくれているようだが、元の居場所に戻れば興味はすぐに移ってゆくだろう。
ならばもう会わないという直接的な言葉よりは、その場しのぎの誤魔化しの方がいいのではないかと思えた。
「……仕事で、いつ帰れるか、わからないんだ。何年かかるかわからないから、だからオレを、待たなくていいよ」
蓮水は手を伸ばして、自分よりも高い位置にある蓮華の、少し硬い感触の髪をポンと撫でた。
蓮華にさよならを告げて。
それからどうしようか。
箱庭の世界と一緒に、自分で自分を終わらそうとしていたけれど。
飯岡や楼主たちの話で、その勢いが削がれてしまっていた。
それでももう、あのやさしい空間には戻れないから。
いっそのこと本当に、両親の家があった場所へ行ってみようか。
ポン、ポン、と二度てのひらを弾ませてそう考えた蓮水へと、不意に蓮華がニコっと笑いかけてきた。
彼は持っていた小箱を左脇に挟み込むと、ごそごそと自身の首元を探りながら、明るい声で言った。
「じゃあおれ、ハスミの仕事が早く終わりますように~ってお祈りする!」
蓮華が首からぶら下げている紐を手繰る。
その先にあるのは、お守り袋のような小さな巾着。
丸く膨らんだそれには、蓮華の宝物のビー玉が入っていて。
蓮華が、なにを思ったのか目をキラキラと輝かせ、無造作にその首飾りを外した。
はい、と差し出されたそれに、蓮水は困惑した。
「な、なに……」
「ハスミに貸してあげる~。早く帰れますようにって、おれとハスミがお祈りしたら、二人分だから、絶対お願い事叶うよ!」
蓮華が意気揚々と笑い、その明るい表情のままで顔を横へと向け、
「いーおかも、お祈りしてね!」
と飯岡へ声を掛け、これで三人分になった~、と口にした。
飯岡の密かな笑い声が耳に届いたが、蓮水はそちらを見ることができない。
蓮華の左手が、蓮水の右手首に絡んで。
強引にてのひらを上に向けさせられた。
右手の指を巾着に捻じ込んでそこを開いた蓮華が、袋を逆さに向けた。
ころり、と蓮水の手の上に、緑色のビー玉が転がる。
昔、れんげ畑の土の中から見つけた、ビー玉が。
ぼろり、と両目から大粒の涙がこぼれた。
蓮華がぎょっとしたように蓮見を覗き込み、大きなてのひらで蓮水の頬を軽くこすった。
「ハスミ? どこか痛いの?」
無邪気に問われ、蓮水は泣きながら首を振った。
手の上のビー玉を、一度ぎゅっと握りしめて。
蓮水はこぶしにした手を、蓮華の胸に押し当てた。
そのまま、男の体を突き放す。
蓮華が一歩後ろに下がった。
「蓮華。これはおまえのだよ。オレなんかに貸してくれなくていい。おまえが持ってて」
グーの形の手を、下に向けて。
蓮水はゆっくりと指を開いた。
ビー玉が、落下する。
蓮華がすかさずそれをてのひらで受け止めた。
「蓮華……ごめん。ごめん」
蓮水は深く、頭を下げた。
自分の寂しさに負けて、ゆるされない行いをした。
だからこれ以上、蓮華の傍に居るわけにはいかなかった。
「もう、おまえとは会わない。……どうか、元気で」
しあわせに、と口にすることは、できなかった。
蓮華のしあわせを祈る資格が、自分にあるとは思えなかったから。
それでもこの先彼の生きる世界が、どうかやさしいものであればいいと願う。
両親に置いていかれたこと……つらかったことは、すべて忘れて。
笑顔で暮らしてくれれば、それでいい。
蓮水は袖でごしごしと目元の涙を拭ってから、頭を上げて、蓮華に背を向けた。
そのまま、扉の方へと足を踏み出す。
蜂巣を出れば本当に終わる。そんな未練がましい想いが胸を過 ぎった。
それでも蓮水は足を前へと運んだ。意識して歩かないと、すぐに歩みが止まってしまいそうだった。
「蓮水さん」
飯岡の呼び止める声が聞こえた。
と思った瞬間、背中に勢いよくなにかがぶつかった。
「痛っ」
思わず振り向いた蓮水は、ゴトっと音を立てて床に落ちたものを見て……唖然と目を見開いた。
それは、蓮華が持っていた小箱だった。
落下の衝撃でフタが飛んでしまったそこから、麻紐がこぼれだしている。
十数センチにカットされている幾本もの紐は。
それぞれを束ねたり巻き付けたりして、編まれており。
いびつな、ひとつの輪っかの形になっていた。
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