50 / 55

第49話

 お花の冠。  その言葉に脳髄の奥を揺さぶられた気分がした。  思い浮かぶのは幼い弟の顔だ。  両親が自殺した日。弟と蓮水(ハスミ)は二人でれんげ畑に居た。  兄ちゃん、と蓮水を呼ぶ弟が、「かんむり作れる?」と尋ねてきた。作れないよと答えた蓮水に、弟は口を尖らせて。  握っていたれんげの花を、ぽいと捨てた。  冠なんか作って、どうするのだろうか?  それを尋ねた蓮水に。  弟は、えへへと笑って。  ひと言、答えたのだった。  「ひみつ~」、と。   「…………でした」 「……え?」  鮮烈な過去の記憶に襲われていた蓮水は、飯岡の声を聞き逃し、ハッと我に返った。  蓮水が聞いていなかったことに気づいたのか、飯岡がもう一度口を開いた。 「花の冠の作り方を教えてくれと蓮華(レンゲ)さんに言われたとき、そんなものを覚えてどうするのか私は尋ねました。蓮華さんは最初、秘密、と言って教えてくれませんでした」  飯岡が薄い笑みを孕んだ目でちらと蓮華を見て、それからまた蓮水に視線を戻した。 「私は、秘密にするなら教えてあげませんよ、と答えました」 「いーおかは意地悪なの~」  蓮華がそのときのことを思い出したのか、ぷうっと頬を膨らませる。  それでも、むくれた顔は長続きせずに、彼はくしゃりと破顔した。 「蓮華さんは、白状しましたよ。テレビの旅番組で、一面のれんげ畑を見たのだと。そのときにふと花の冠を思い出して、作ってみたいと思ったそうですよ」  蓮水は息を呑んで蓮華を見つめた。  、というのはどういうことだろう。  淫花廓で暮らしているときに、花の冠を目にする機会があったのだろうか。  それとも。  昔、蓮水と一緒に見たれんげ畑の光景が、記憶のどこかに残っていたのだろうか。  蓮水は震える声で問いかけた。 「……冠を作って、どうしたかったの?」  蓮華が笑った。  えへへ、と、子どものような表情で。  黒い瞳をきらりと光らせて、彼は嬉しそうに答えた。 「好きなひとに、プレゼントするの~!」  あの日……弟と過ごした最後のあの日には貰えなかった回答が。  いま、蓮華の口から放たれた。 「だから、ハスミにあげる~」  れんげの花の代わりに、麻紐で編んだ冠の載った蓮水の頭を、蓮華がポンと撫でた。    背の高い弟の顔を見上げ、蓮水は泣いた。  泣きながら、蓮華の背を抱き寄せた。    ひたいには、少しチクチクとした麻紐の感触。  蓮華の編んでくれた冠が、蓮水の肌を静かに刺した。  幼い弟は、冠を誰にあげたかったのだろうか。弟が好きな相手は、誰だったのだろうか。  それはもう、わからない。  記憶を失った蓮華の、純真な愛情を、蓮水が歪めた。  歪めてしまった。  体を重ねなければ良かったと悔やんでも、もう遅い。  この冠を……蓮華の好意を受け取る資格など、蓮水にはなかった。 「蓮華。ごめん。ごめん……。花の冠は、本当に好きな相手ができるまでとっといて。これをかぶるのは、オレじゃない」 「なんで? ハスミにあげたのに、なんでとっとくの?」  他愛なく問われて、蓮水は罪悪で押しつぶされそうになった。  浅い呼吸をなんども繰り返して、蓮水は縋り付いていた蓮華の背から腕を放した。  そして、持ち上げた両手で蓮華の頬を包み、彼の目と向き合った。  黒々とした、きれいな瞳。  先ほどの涙の名残できらりと光る双眸に映る自分を、蓮水は見つめた。 「蓮華……おまえとオレは、兄弟なんだ。オレは、おまえの兄ちゃんなんだよ」  改めて、その言葉を声に出す。  蓮水と蓮華は、兄弟だ。  兄弟でありながら、蓮水は蓮華を逆レイプしたのだった。  蓮華がことりと首を傾けた。  それからくしゃりと笑って、あっけらかんと言った。 「知ってるよ~。ハスミと会ったときに、ハスミが言ってたのおれ覚えてたし。いーおかにも言われたし~」 「え……?」 「いーおかが~、兄弟でせっくすしてはいけません、って。せっくすってなにって聞いたら~、おれのちんちんをハスミに挿れることだって言われたの」  蓮水は絶句して飯岡を見た。  飯岡がいつもの静かな表情で頷いた。 「あなたがドツボに嵌まって蓮華さんの好きにされていましたので。余計な真似でしょうが、釘を刺しておこうと思いました」    飯岡がそんなことを蓮華に言っていたなんて、まったく知らなかった。  蓮水は心底驚いたが、蓮華は気にした様子もなく笑っている。       「いーおかが、ハスミのこと好きじゃないならやめなさいって怒ったけど~、おれ、ハスミのこと好きだし~」 「蓮華、それは……」  蓮華の言う『好き』は、愛情ではなくて肉欲だ。  なにも知らなかった蓮華に性の快楽を教え込んだがゆえに生じた、歪んだ感情なのだ。 「おまえのそれは、勘違いだよ。蓮華。おまえは単に性欲を満たしたいだけで、」 「せいよく?」 「……気持ちよくなりたいだけで、それは、好きっていう感情とはまたべつのものなんだ」  蓮華の眉がぐっと寄せられ、眉間にしわを刻んだ。  う~んと考え込んだ蓮華が、またことんと首を傾げる。 「でもおれ、ハスミにちんちん挿れなくても、ここがぎゅってなるよ?」  ここ、と言って彼は、自分の胸元を掴んだ。 「ハスミのこと見てると、ここがぎゅってなるの。いーおかにも般若さんにも、楼主さまにも、誰にもならないの。ハスミにだけなるの。それって、好きってことじゃないの?」  真っ直ぐな言葉を向けられて、蓮水は内側から湧き上がる感情に苦しくなった。  それでも蓮水はぐっと奥歯を噛みしめ、喉を堰き止めてくるそれを抑え込んだ。  蓮水と蓮華が実の兄弟だという事実は変わらない。     「おまえの胸が、ぎゅってなるのは……もしかしたら、おまえのどこかが……無意識に、オレのことを兄だって感じているからかもしれない。兄弟で、セックスすることを、おまえの体が嫌がってるのかもしれない……」 「え~?」  蓮華が顔をしかめて蓮水の顔をまじまじと眺めてきた。 「ハスミがおれのお兄ちゃんだから、おれの胸がぎゅってなるってこと?」 「そう、だと思う……」 「ん~……」    一度、目線を天井へと流して。  蓮華が黒い瞳をくるりと動かすと、おもむろにコツン、と、ひたいをぶつけてきた。  麻紐の冠が蓮華の動きに押されて、少しずれた。    至近距離で、蓮華の明るい笑みが弾けた。 「じゃあ兄弟で良かったね!」  元気よく放たれた声が、蓮水の鼓膜を震わせる。 「ハスミにだけぎゅってなるなら、ハスミとおれ、兄弟で良かったね!」  蓮華が双眸をじわりと細めた。  蕩けるようにやさしい眼差しには、後ろ暗さなど欠片もなくて。  ただ、太陽のような明るさだけがあった。 「おれ、ばかだけど~、この『ぎゅっ』が嫌いの『ぎゅっ』じゃないことぐらいわかるよ。ハスミが好きの『ぎゅっ』だから、かんむりはやっぱり、ハスミのものだよ」  幼い口調の中にも真摯な色が溶けて広がり、蓮華が不意に年相応の男に見えて、蓮水はたまらないような気持になる。  ゆるされるのだろうか。  こんな関係が、ゆるされるだろうか。    その最後の葛藤は、飯岡が壊した。 「あなたの負けですよ。いい加減素直になりなさい」  そう言った秘書が、目の端で笑う。  皮肉げな笑みではなく、やさしい笑い方だった。  蓮水はひたいを伝わってくる蓮華の体温に、どうしようもなくいとしい気持ちを揺さぶられ、我慢できずに彼の唇を啄んだ。  ちゅ、と触れた唇に、蓮華が目を丸くする。 「おまえが好きだよ、蓮華……こんな兄ちゃんでごめんな。でも、おまえを愛してる……」    泣きながら、囁いて。  蓮水はもう一度彼に、キスをした。  

ともだちにシェアしよう!