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第50話

 蓮華(レンゲ)が頬を真っ赤にして口をてのひらで抑えた。  キスは嫌だったのだろうか、と蓮水(ハスミ)は不安になったが、次の瞬間肩をガシっと掴まれて驚いた。 「おっ、おれもハスミにちゅーするっ!」  声高に宣言した蓮華が、勢いよく唇をぶつけてきた。  歯がガチっとぶつかる。  痛かっただろうに、蓮華はえへへと笑って。 「ちゅーは恋人同士でするんでしょ? おれとハスミ、これで恋人~」  と、歌うようにそう言った。  蓮水は、いとしいのか切ないのかよくわからない感情に胸を塞がれながら、弟の逞しい体を抱きしめた。  一生懸命、生きてきた体だ。  七歳の頃に淫花廓へ連れてこられ、度重なる心労で高熱を出し、それが治癒した頃には記憶を失い、右足に麻痺が残った蓮華。  それでも彼は、この体で懸命に生きてきた。  そのおかげで蓮水は、蓮華と出会うことができたのだ。  湧き上がる喜びを噛みしめながら蓮華を抱擁していた蓮水は、ふと、下腹部に硬い感触が生じていることに気づき、そこを見下ろした。  蓮華のズボンの前が、盛り上がっている。  思わず蓮華へと視線を向けると、彼は恥ずかしそうに顔を背け、 「だって、ハスミがくっついてくるから~」  と情けない顔で眉を下げた。  この状況で勃起したことに対する羞恥を、きちんと理解しているのだ、と蓮水は感じた。  大人になる、と蓮華は言ったけれど、彼は本当にこれから色んなことを学習していくのかもしれない。  様々な経験を経て、成長できるのかもしれない。  ……蓮水の隣で。    蓮水は蓮華の未来に思いを馳せ、彼の男らしく整った顔を見つめた。  蓮華の黒い瞳も、こちらを向いていた。  視線が絡み合う。  いつもは無邪気なくせに、黙っているとふつうの男のようにも見えて、そのアンバランスさが奇妙な色気となっていた。  蓮水の胸が甘く騒ぎだす。  彼の欲望を、早く解放してあげたいと思った。 「家に……」  帰ろうか、と掠れた声で呟く。  二度と戻るつもりのなかった、あのマンションの箱庭の家へ。  けれど蓮華の股間はパンパンに張り詰めていて、家まで我慢させるのも可愛そうだ。  否……蓮華ではなく、蓮水自身が我慢できそうもなかった。  体が疼いている。  早くこの男とひとつになりたいと、疼いている。 「使ったらいかがですか?」  恬淡とした声が割り込んできて、蓮水はハッと顔を巡らせた。  飯岡が、てのひらで畳敷きの部屋の奥を示している。  先ほど楼主と般若が座っていたその向こうには風流な柄の衝立(ついたて)があって、その向こうには一組の布団が敷かれている。  ここは蜂巣で……男娼と客がをするために用意された部屋なのだ。  そのことを思い出し、蓮水はごくりと生唾を呑んだ。 「で、でも……」  蓮水の逡巡を、飯岡が唇の端で笑う。 「好きに使えと、楼主も言ってましたから。構わないと思いますよ」  そう言った男が、勝手知ったる様子で部屋の奥へと行き、衝立を脇によけた。  そして畳に膝をつくと、枕元に設置された階段状になっている漆塗りの小物箪笥の一番下の棚を開き、そこからきれいな細工の施された陶器の容れ物を取り出した。  あれは、淫花廓特性の香油だ。  迷いのないその動きに、そうか、飯岡もここの男娼だったのだ、と蓮水は改めて思い知った。  テキパキとお膳立てを整えた男が、なめらかな動作で立ち上がる。   「この部屋の使用許可は楼主に改めてとってきます。それでは私はこれで」  秘書の顔で、飯岡が言った。 「飯岡っ」  蓮水は去ろうとする男の腕を咄嗟に掴んで引き留めた。  涼やかな飯岡の目が、わずかに見開かれた。    飯岡蓮月(ハヅキ)。もうひとりの、レンゲ。    蓮水は飯岡の手首に指を絡め、彼をつなぎとめたままで、弟へと囁いた。 「しよう、蓮華」 「なにを?」 「セックス」  蓮華がきょとんと瞬いた。  それから慌てた仕草で股間を押さえ、 「お、おれ……」  と口ごもった。    昨夜、お風呂場で蓮華は蓮水を抱かなかった。  蓮水は疲れているからやさしくしてあげなさいと、飯岡に言われたからだと言っていた。  だからいまも、蓮水を気遣ってくれているのかもしれない。  蓮水は躊躇う表情の蓮華へと微笑みかけ、伸びあがって彼の唇にキスをする。 「オレは、おまえとセックスしたいよ、蓮華」  蓮水はそう蓮華を誘って、それから飯岡の手首を掴んでいる手を、ぐいと己の方へ引いた。 「飯岡。一緒に居てくれ」    飯岡の端整な顔が、驚きに固まった。   「蓮水さん、私は……」 「セックスはしなくていい」  断りを口にしかけたであろう男の言葉を遮って、蓮水は静かに首を振った。    飯岡は財部(たてべ)正範(まさのり)が実の父親だと判明したときから、不能になったと言っていた。    たとえば飯岡のその機能が正常であれば。  財部正範の死後、誰よりも蓮水の傍に居た飯岡は、蓮水を抱いただろうか。  孤独の中に居た蓮水を。  同じぐらいの孤独を()り合わせるようにして、抱いただろうか。  飯岡の気持ちの、本当のところはわからない。  飯岡自身にも、わかっていないのかもしれない。    それでも蓮水は、彼に見せたいものがあった。 「飯岡。そこで、見てて」  蓮水は自分と同じく男娼であった男へと、囁きほどの声音で、乞うた。 「オレの傍で、見てて。……『レンゲ』が、しあわせになるところを」  飯岡の顔が、歪んだ。  爽やかに整った美貌を、苦しげに歪めて。  彼は一度、深く俯いた。  そのままの姿勢で、様々な感情をやり過ごして。  顔を上げたとき飯岡は、ほろりと、泣きそうな目をして、笑った。 「はい」  くっきりとした声で、返事をして。  飯岡がくるりと手を回した。  蓮水の指が、彼の手首からほどける。その、指先を追って。  すんなりと長い男の指が、蓮水の指に絡んだ。    しっかりと握りしめられた手に、飯岡の体温が溶ける。    蓮水はその温もりを、大切に包んだ。           

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