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大凶・2

「やめ、てください……。妹達は、俺の大事な……家族なんだから」  俺が最初からそう言うと分かっていたんだろう、電話越しに奥田が満足げに笑った。 〈じゃあ、玲司。これから言う場所に今から来い。……来なかったら俺は、お前の母ちゃんが住んでる町への新幹線に乗ることになる〉 「……はい」  通話が終わった後、俺は這うようにしてベッドから出た。  今から三十分後、駅前の、カラオケボックスの、裏。  頭の中で何度も反芻させる。 「ていうかあいつ、三十分で来れる距離の場所にいるんだ……」  ゾッとした。もしかして、俺の住む部屋の場所も既に知られているのかもしれない。もたもたしてたらあいつがこの部屋に押し掛けてくる気がして、俺は服を脱ぎながら立ち上がった。 「駅前カラオケボックスの裏、駅前、カラオケ、裏……」  着替えてから部屋を出て、早足で駅に向かう。肌を切りつけるような冷たい空気が、熱くなった俺の頭を少しだけ冷ましてくれた気がした。  無意味な呟きに適当な節をつけ、口ずさむ。 「また地獄に逆戻りだ……俺はこの体に価値がなくなるまでヤッてヤられて……若さを失った時にきっと、このループから解放されるんだ。でもその時、俺は独りぼっち……」  完全な大凶。しかも今度は、凶の後にやって来た凄まじく禍々しい大凶。  仕事も恋愛も人生も、今この瞬間、全部が悪い方へ向かっているのだ。 「………」  やがて見えてきた駅前。カラオケボックス。  賑やかなクリスマスソングを避けるようにして、俺は小路からカラオケボックスの裏手側に回った。 「よう。大人っぽくなったな」  ガクガクと膝が震える。握り締めた手に汗が滲む。 「お……お父さんは、そんなに変わらないね」  約五年振りの対面。奥田は本当にあの頃のままだった。卑猥な笑い方も、俺を見る目付きも。変わったところと言えば、長年飲んできた酒のせいで顔色が赤黒く不健康そうで、髪が若干薄くなっているところだろうか。あの頃より俺の身長が伸びたせいか、やけに体が小さくなってるとも感じた。 「お父さんて呼んでくれんのか。嬉しいねえ」 「だって、他になんて呼べば……」  震えながらもこうしてかつての父親と相対してるなんて、信じられない思いだった。俺の人生を狂わせた元凶。幼かった俺を自分の欲望のままに弄んだ、最低最悪の男。  どうしても目が合わせられなくて、俺は俯いたままで乾いた唇を開いた。 「……妹達には絶対、この先も何もしないって、約束して」 「当然だろ。俺もこの歳で刑務所なんか入りたくねえしよ」 「……そっか、僕なら捕まる心配ないしね。あの頃の僕ならともかく」 「そういうことだ、じゃあ行くぞ」  肩を並べ、だけど少し距離をおいて歩き出す。楽しげなジングルベルが、今の俺には後戻りできない地獄への行進曲のように思えた。  逃げ出したいのに逃げないのは、逃げても無駄だと分かってるからか。あれから五年の歳月が流れたというのに、俺は既に「桃陽」から「玲司」に戻っていた。挙動不審になり、父親の顔色を伺い、喋るのにも、物音を立てるのにも気を遣う、あの頃の少年に……。  今の俺は、悲しいほどに「玲司」だった。

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