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1-槙野透の「非」日常(2)
翌朝。
「おはようございます!」
神崎は早速メンバーと馴染みつつあるようだ。
俺が出社すると、高橋とPCを見ながら話し込んでいるところだった。
俺が後ろを通ると、ぱっと振り返って挨拶してきた。
「おはよう」
そう言うと、にっと例の笑顔が返ってくる。
自席について、ふと斜め前の神崎のデスクを見るとずいぶん様変わりしていた。
PC横に小さな動物のぬいぐるみが2つ。
俺側のデスク端に、猫のマグネットがちまちまと並んでいる。
ちょっと会社では見ない光景に呆気にとられていると、ちょうど自席に戻ってきた神崎が自慢げに笑った。
「可愛いでしょ、ぶちゃねこ」
「ぶちゃねこ?」
思わず繰り返してしまった。
すごいネーミングだな。
「このマグネットですよ。ガチャガチャのやつなんですけどね。今はまって集めてるんです。あと一個でコンプリートなんですけど、なかなかシークレットが出なくて大変なんですよー」
神崎は愛しげに小さな猫の頭を指先でそっと撫でる。
その様は、まるで子供の頭を撫でてやっているようにも見えた。
よほど可愛いものが好きなのだろうか。
「ああ、さっき高橋と話していたようだったが、大丈夫そうか?何か問題でも?」
「いえ、大丈夫ですよ。分からないところがあるって相談されたんですけど、解決しましたから」
「そうか」
ならいい。さっそく仕事をしてくれているようだ。
実際、昨日も感じたが、神崎は有能だった。
スキルもさることながら、細かいところまで気が利くし、コミュニケーション能力も高い。
見た目と言動は一般的な会社員からやや逸脱して軽薄気味だが、うちの会社ではあまり気にされない。
ただ、ちょっと気が利きすぎだ。
「槙野さん槙野さん」
昼休み、俺が仕事をしながら昨日神崎からもらったビスケットを食べていると、神崎が椅子ごと俺のデスク横に移動してきて腕をついた。
「なんだ、一回呼べば聞こえる」
俺が冷たくあしらっても堪 える様子はない。
なぜか不満そうな顔をしてじと目で俺を見上げてくる。
「まさか、今日の昼飯そのビスケット一枚だけってことないですよね」
「そのまさかだが」
「やめてくださいよ。倒れますよ?」
「体質的に、量が食えないんだ。これで十分だ」
「じゃあせめて、栄養バランス考えてくださいよ」
神崎は席に戻ると、例の段ボール箱を漁りだす。
ずい、と栄養バーが差し出された。
「次の昼はこれでお願いします」
「お、おう。ありがとう」
◇ ◇ ◇
金曜午後は進捗会議だ。
メンバー全員で集まって、互いの進捗を報告し、問題点や課題があれば皆で解決を図る。
今日は問題が一件高橋から上げられた。
とりかかっているプログラムがどうしても想定通りの動作をせず、原因が分からないとのこと。
「じゃ、俺もコード見てみます」
神崎が手を挙げて、率先して引き取ってくれた。ありがたい。
◇ ◇ ◇
進捗報告書をまとめ終わって、俺は飲み物を買いに休憩室に向かった。
自販機を眺めていると、後ろから靴音が聞こえた。
「あ、槙野さん」
神崎だ。
「なんだ、休憩か?」
「ええ、一段落ついたので」
「一段落?」
「さっきの高橋くんの件です」
「え、もう解決したのか」
なんだ、悩んでたわりには案外あっさりだったな。
「はい。使おうとしてた共通部品がそもそも適してなかったので、俺が専用の部品を作りました。高橋くんの方は問題解決です。あ、なのでプログラム1本追加でお願いします」
「速いな。やるじゃないか」
俺は思わず頬を緩めて、神崎の頭をくしゃりと撫でた。
神崎は一瞬驚いた顔になって、次の瞬間、いつもとは違う、純粋に嬉しそうな笑顔で俺を見た。
俺は思わずそのきらきらした笑顔に見惚れて……我に返って手を離した。
「すまん、甥っ子に似てるもので」
俺は一つ目の嘘をついた。
「甥っ子さん?おいくつなんですか?」
「中学」
適当なことを言う。
「えー。俺、23ですよ」
「そうだな。つい」
ふと、神崎の髪を乱してしまったことに気が付いて、再び手を伸ばして神崎の肩を掴み引き寄せ、手櫛で前髪を梳いて直してやった。
「よし。……どうした?」
神崎の顔が真っ赤だ。
「い、いえ!なんでもないです!……俺、先に戻ります」
あいつ、休憩しに来たんじゃなかったのか?
神崎は飲み物も買わずに足早に戻っていった。
◇ ◇ ◇
「槙野さん、槙野さん」
神崎だ。
俺は手を止めて頬杖をついた。
「だから一回でいい」
「いいじゃないですか。……サブディスプレイ欲しいんですけど、誰に許可とったらいいですか?」
「基盤グループに……誰もいないな。余ってれば勝手に持ってって大丈夫だ。後で一言言っておけばいい」
「余ったディスプレイってどこにあるんですか?」
「それは……ついてこい」
「はい!」
事務室の片隅にあるドアからサーバルームに入る。
薄暗い部屋の大半をサーバラックとキャビネットが占めていて、狭い部屋を余計狭苦しくしている。
うずたかく積み上げられた段ボール箱をどかすと、キャビネットの一つを開けた。
「ディスプレイはここにある好きなのを使っていいことになってる」
「選び放題じゃないですかー!」
喜々として神崎がキャビネットを覗く。
「あとはケーブルか……」
キャビネットの下段から、重いコンテナを引きずり出す。
中は混沌だった。
雑多に突っ込まれたケーブル類。HDMIケーブル、LANケーブル、電源コードから何だか判らないケーブルまで入っている。
「この中のどこかにあるはずなんだが……」
二人して手を突っ込んでがさがさと引っ掻き回す。
「なんか宝探しみたいで楽しいですね」
「ふふ、そうだな」
「あ、あった」
目的のものを見つけたのは、俺が一瞬早かった。
掴んだ手が重なって、何を思ってか神崎は俺の手を握る。
俺の骨ばって痩せた手と違って、神崎はほどよくがっしりした、でも指が長くてきれいな男らしい手だ。
俺の手がすっぽり神崎の手の中におさまる。
「……槙野さん。あの……俺、槙野さんが好きです」
神崎の手が熱い。微かに汗ばんでいる。
ああ、本気なのだな、と、冷静に思った。
今まで見た中で、一番真面目な顔をして、俺を見つめている。
俺は、神崎の手の甲をぽんぽんと軽くたたくと、頭を下げた。
「すまん。お前はいい奴だと思うが……俺はそういう目で見られない」
……二つ目の、嘘をついてしまった。
神崎のようには踏み出せなかった。
神崎は悲しそうな顔をしたが、次の瞬間にはいつも通り笑っていた。
「変なこと言ってすみません。忘れてください」
重ねた手が離れて、どこからか、すっと冷たい風が吹いたように感じた。
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