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7- アクシデント(9)
翌日は土曜日だ。
面会時間の開始頃に病院に行くと、神崎は眠っていた。
少し顔のガーゼは取れたものの、首はコルセットでがっちりと固定されている。さぞかし寝苦しいだろう。
俺は静かに椅子を傍に持ってくると、文庫本を開いて読み始めた。
数十ページ読んだところで、神崎が目を覚ました。
「ふぇっ?!ま、槙野さん?」
「ああ、おはよう」
「おはようございます!ああ、そうじゃなくて、昨日の、うぅ、その、ずるい!俺動けないのに」
「落ち着けよ神崎」
神崎の顔が真っ赤だ。どうやら俺から顔をそらすか掛布に潜り込みたいらしいが、どちらもできないので慌てているらしい。
俺が見つめていると、みるみる顔の赤みが増していく。
「うに"ゃーーー!」
「人語を話してくれ」
唯一まともに触れられそうな指に手を添えて落ち着かせる。
頬にも触れられそうだったが、余計に錯乱させそうだったから控えた。
「何が言いたい?」
「うぅ、昨日の夜、槙野さんがおやすみってカメラ越しに言ってくれたの、俺、嬉しくて、嬉しくて、その」
「あぁ、判ったか。よかった」
神崎の必死な様が愛しくて、指先を軽く握ってやる。
「槙野さん、俺なんかにありがとう。ほんとに、ほんとに大好き」
相変わらず顔が真っ赤だ。体温が伝播しそうになる。
いや、体温でなく感情がうつった。
「俺もだ」
思わずそう呟くと、俺は立ち上がって身を乗り出して軽く、ごく軽く神崎と唇を重ねた。
「好きだ」
今度はもう少し強く。やんわり舌先で神崎の唇をノックすると、わずかに唇が緩んだ。
舌をさしこんで、舌先同士をそっと触れ合わせ、離れた。
ここが個室でよかった。
「ま、きの、さん」
神崎は俺を見つめたまま固まって、完璧にオーバーフローしている。
例えるなら2桁の項目に100をぶちこんだ状態だ。エラー処理もなし。
0。完全にゼロ。設計ミスだな。
「なんだよ。恥ずかしいからあんまり見るな」
我ながら大胆なことをやった。
「い、いや、だって槙野さんが俺のこと好きって。しかもキスまで」
「忘れろ」
「やだ!」
神崎は真っ赤な顔でこれ以上ないほどの笑顔を浮かべている。
その笑顔を見ていると、胸が苦しくなって勝手に涙がこぼれ落ちた。
「え、槙野さん??」
「よかった」
口が勝手に喋る。
「え?」
胸のうちがぽろぽろ剥がれて涙になって落ちる。
不安と安堵と愛しさが溢れ出す。
「言えてよかった。お前がいなくなって、言えなくなったらどうしようかと思った」
「ご、ごめんなさい」
「神崎は悪くないよ」
そう口では言うものの、涙は後から後から止めどなく湧いてくる。
「すまん、ちょっと止まらない……」
ハンカチで押さえるが、恥ずかしいほどに涙が零れ落ちる。
「槙野さん、こっち来てよ」
神崎がぎこちなく右腕を上げた。俺はその腕に抱かれるように身を寄せ、負担にならないよう神崎の胸にそっと頬を触れた。
温かい。間近で聞こえる力強い鼓動が何よりも心強い。
「俺早く元気になるから」
神崎が指先で俺の指を絡めとる。
ぎゅっと握られて、指の腹を撫でられる。
「早く元気になって槙野さんちにまた遊びに行くから」
「うん」
「そしたら続きして」
「馬鹿。この続きなんかあるか」
「俺が無理やりでもするもん」
「誰が勝手にさせるか」
上目遣いに神崎を睨むと、何か企んでそうな、裏のある笑顔が返ってきた。
「言質 とっちゃったもーん。槙野さん言ったよね?ね?俺のこと、す、もがっ」
俺は慌てて神崎の口を塞いだ。
……やっぱり早まったかもしれない。情に流されるものじゃない。
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