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第3話
「うえええええ……」
船縁から顔を出してユストはぐったりしていた。吐き気は切れ間なく襲ってくるがもう吐くものがない。
「ユスト、海面を見るな。目を閉じてじっとしていろ」
「ハーラントさん……」
獅子の獣人を見上げて名を呼ぶ。
ハーラントは気づかわし気な視線でユストを眺めると手を伸ばした。
体が浮き上がる。抱き上げられたらしい。
「風に当たると体を冷やす。部屋へ戻ろう」
「でも、気持ち悪いから……また汚しちゃう……」
「そんなこと気にするな」
あやすように揺すり上げられてユストはハーラントの胸に顔を埋めた。密集した硬い毛は意外と気持ちがいい。
ヘルゲと別れたユストは船に乗せられた。暮らしていた島から一番近くの島まで三日。風まかせの旅だ。
船にはいろんな種族の獣人がいた。帆を張り、風を受けて走る船。初めて見るその様子を楽しめたのはつかの間だった。船が岸から離れるより早くユストは気持ち悪さに悩まされ始めた。
ゆらゆらと足場の悪い船の上を乗組員たちはひょいひょい身軽に動き回る。マストに登り帆を張る様子は猿獣人に勝るとも劣らない動きだった。
「旦那ぁ、お連れさんの様子はいかがですかい?」
隻眼の熊の獣人が近づいてきた。
「見ての通りだ」
「おやおやぁ」
彼は口吻にしわを寄せるように笑うとユストをのぞき込んだ。
「坊ちゃん、いいものをあげましょう。ほら、あーんして」
ユストは素直に口を開いた。その口の中に小さな塊が落とされる。
「……甘い」
「美味いですかい?」
コクンと頷くユストに彼は笑った。
「そりゃよかった。それは蜂蜜の飴で栄養があるんですよ。まだあるんで、食べられそうならまた声かけてくださいや」
「すまんな、船長」
「いえいえ、お気になさらず。うちの見習いも慣れるまではげえげえこんなもんですよ。もう少し船足を落として揺れないように走りたいんですが、ここらは人魚が出るもんでね。できればさっさと突っ切りたいんですわ」
「なるほど。こちらのことは気にせずとも構わない」
「人魚?」
コロコロと飴をしゃぶっていたユストは聞きなれない言葉に首を傾げた。
「おや、坊ちゃんは女神のお話しを知らないんで?」
「知らない」
「見ての通り食うや食わずの生活をしていたようだ。あの島ではみな生きるのに精一杯でそんな伝説を伝えるような余裕はないだろうな」
「なるほどねぇ」
船長はふんふんと頷いて納得したようだ。
「じゃあ、わたしが坊ちゃんに女神のお話しを話して聞かせましょうかね。では、特別に船長室にご招待~」
大げさに手をふってお辞儀をする姿にユストは小さく笑った。 船長室はユストたちにあてがわれた客室よりもっと豪華だった。ユストはソファに腰掛けたハーラントの膝の上で丸くなった。
「なんならわたしのベッドを使ってもらってもいいんですぜ?」
「ううん。こっちがいい」
「旦那ぁ、ずいぶんと懐かれましたね」
クックックと船長が笑う。
「違うよ。横になると気持ち悪いのがぐうっとくるから。体起こしてる方が楽……」
「――だそうだ」
「なるほど。なるほど。ま、旦那方がそれでいいならわたしは構いませんがね」
船長も向かいのソファに腰を下ろした。
「さあでは昔話をしましょうかね」
むかしむかし、と船長は話し始めた。
「じゃあ、昔は獣人はいなかったの?」
「らしいですねえ。人間と獣だけ。で、どっちも雄と雌がいたそうですぜ」
「ふうん。でも人間の雄は雌のことを大事にしなかったから、怒った女神様が人間の雌を人魚に変えちゃった?」
「そう。それで人間の雄は獣人にされて、だから獣人には雌がいないってことらしいですねぇ」
「ふうん。そうなんだ。本当なのかな?」
「さぁてねえ。まあ昔話ですから。ただ、人魚が凶暴なのは本当ですぜ。あいつら雄を歌でおびき寄せて頭からバリバリ食っちまう」
「ええー……」
ユストはハーラントの胸にしがみついた。
「食べちゃうの?」
「それは本当ですよ。だから船乗りたちは人魚の出るところはさっさと船を走らせるって訳です。おかげで坊ちゃんの船酔いが治らない、と」
「でもそれじゃ仕方ないよね。ぼく我慢する。だって食べられたくないもん」
「もうそれだけ喋れりゃ上等ですぜ。さあ、坊ちゃんは少し眠るといい」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」
くあぁっとあくびが出た。ユストはコテンとハーラントの胸にもたれかかると目を閉じた。
「船長。助かった」
「なぁにお安い御用ですよ」
体が揺れる。ハーラントが立ち上がったようだ。
「島影が見えたんで、明日には上陸できますよ。補給で半日ほどですが休めるんで、それまでの辛抱ですなぁ」
船長に頭を撫でられたあとユストは眠ってしまった。二日ぶりの深い眠りだった。
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