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第4話

わあわあと外が騒がしい。船の揺れも違う。ぐったりとベッドに沈んでいたユストだったが、なんだろうと興味を引かれて起き上がった。船が揺れているのか、自分が揺れているのかよく分からない。どうにも足元が心許なく壁に手をついてそろそろと歩いた。 「よいっしょ」  風雨に耐えるように作られた船のドアは重い。力を込めて開ける。隙間から覗く瞳に何かが横切った。 「うわあ! 鳥だ!」  久しぶりに見る鳥だった。 「なんの鳥だろう?」 「目が覚めたのか、ユスト」  ドアの外にはハーラントがいて、ユストが必死で開けようとしたドアを軽々と開いた。 「見てごらん、港に着いたぞ」 「港?」 「こうして船から直接陸に下りられるようにしている場所のことだ。ユストのいた島には港がなかったから沖に泊めていた船まで小舟で行っただろう?」 「そっか、もうあの小さい船に乗らなくていいんだ」  ユストの船酔いは小舟に乗った瞬間から始まっていた。 「この先は全部港があるからな」  ふふっと笑うとハーラントはユストを抱き上げた。 「さあ船から降りておまえの支度を整えないとな」 「支度?」  首を傾げるユストはハーラントに抱えられたまま船を降りた。 「ハーラントさん、ぼく歩けるよ」 「だがおまえは靴を履いていないだろ」 「靴ってなに?」 「みんなの足元を見てみなさい」  ハーラントに促されて周りの人の足元を見ると、 「あれが靴? 歩きにくそうだよ。どうしてあんなので足を覆ってるんだろう……」 「ケガをしないためでもあるし、着飾るためでもあるな」 「ぼくケガをしてもすぐ治るもん」 「む。そうか……。だが俺はユストが痛い思いをするのは嫌だな」 「そう、なの? そういやヘルゲもそんなこと言ってたな」 「よい友だったのだな。そのヘルゲからもユストを頼むと言われているんだ。一度履いてみてはくれないか? でないとこうしてずっと抱いて歩くぞ」  そうまで言われれば納得せざるを得ない。ユストはしぶしぶ靴屋で靴を選ぶ羽目になった。 「これはこれは、可愛らしいおみ足ですな」  靴屋の店員はユストの足の大きさを計りながら言った。 「どういった靴をご所望ですかな?」 「どうって……」  靴の種類など分からないユストは困った顔でハーラントを見上げた。 「これからさらに南へ向かうんだ。暑い国なのでサンダルを出してくれ」 「かしこまりました」  店員はそう言うと奥からいくつか包みをもって来てユストの前に並べた。 「これは貴族や商家のご愛妾の方々に大人気なんですよ」  キラキラとした装飾のついたサンダルは細いヒールでかかとを支える華奢なものだ。 「ハーラントさん、ぼくこれじゃ立てないよぅ……」  ぷるぷると足を震わせて立っているユストを見てハーラントは、「小鹿だな」と呟いた。 「あー、店主、申し訳ないがもっと歩きやすいものはないだろうか」 「ではこちらはいかがでしょう? 靴底も柔らかい革を使っているのでとても歩きやすうございますよ」 「ユストどうだ?」 「これなら大丈夫」 「店主、これで頼む」  靴屋を皮切りにして、服屋、髪結い屋と巡り、最後の料理屋でユストはぐったりと疲れ切っていた。 「……食べにくい」  ナイフとフォークを持て余したユストは恨めし気に皿を眺める。 「これは慣れてもらわないと仕方ないな。おまえがこれから行くシーザ国はナイフとフォークを使って食事をするのが正式な作法だ」 「味が濃くて口の中が痛い……」 「国に着けばおまえの味覚に合わせて薄味にしてもらえるだろう。それまでの辛抱だ」 「…………」 「ユスト?」 「帰りたい……みんなのところに帰りたい……」  そんなに簡単に帰れるわけがないのはユストにも分かっていた。こんなことを言えばハーラントが困ることも理解している。それでも慣れないことばかりで辛い。 「それでこんなに早く帰って来たんですかい」  グスグスと泣くユストを抱えたハーラント見て船長は苦笑を浮かべた。  結局、食事も早々に街から引き揚げてきたのだ。ユストはそれがハーラントにも申し訳なくて涙が止まらない。 「ごめ、ごめん、なさい……ぼく、ぼく、……うー……」 「坊ちゃん、いっぺんにあれもこれもあったんで、気持ちがびっくりしたんですねぇ。そういうときは好きな物を食べていっぱい運動して寝たらいいんですよ。なにか食べたいものありますかい?」 「……食べたくない」  ユストはふるふると首を振る。 「困りましたねぇ。じゃあ眠たくは?」 「ない」 「そうしたら残るは運動だ。なにかしたいことはありますかい?」 「そうだユスト。運動なら俺も一緒にしてやれるぞ。剣の稽古がいいか? 槍でもいいぞ」  ハーラントにもそう言われ、ユストはようやく涙にぬれた顔を上げた。 「……なんでもいいの?」 「いいぞ、言ってみろ」 「じゃあ、ぼく、あれに登りたい」  ユストはマストを指さした。 「かまいませんが……旦那は無理ですねぇ」  船長はクスクス笑った。 「水夫を一人つけやしょう」  どうですか? と目で問う船長にハーラントは頷いた。 「ねえ、靴を脱いでもいい?」 「ああ」 「服も脱いでいい?」 「好きにしろ」  恥ずかしげもなく下着姿になったユストは脱いだ服をたたみ始めた。 「ハーラントさん、靴と服を買ってくれてありがとう。苦手だけど……ホントに嬉しかったんだよ。本当だよ。大事にするね」  嬉しかったのは本当のホントだ。ユストはそれだけはちゃんとハーラントに伝えなければと思い、一生懸命話した。 「ああ、分かっている。おまえは優しい子だな」  ハーラントの大きな手に頭を撫でられてユストは目を細めた。 「先にこれを部屋に置いて来てもいい?」  服を靴を抱えたユストは船長を振り返った。 「どうぞ」 「ありがと! すぐ戻って来るね!」  タタタ、とユストは走り出した。 「まったく、じっとしてたらどこの大貴族のご愛妾だって姿なのに、とんだ野生児ですなぁ」 「国に着けば窮屈な生活が待っているんだ。この旅の間ぐらいはのびのびさせてやるさ」 「お貴族様の考えることなんてロクなことはないですからねぇ。旦那もあんまり情を移さない方が身のためですぜ」  ハーラントはフンと鼻を鳴らしただけで答えなかった。言われるまでもなく、ユストの身の上になにが起こるかなど承知の上だ。 水夫よりもよほど上手にマストを登るユストを見上げてため息を押し殺した。

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