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第10話

ぐうっとお腹が鳴ってユストはベッドからはい出した。部屋の中は真っ暗だ。外もしんと静まっている。  フロレンツたちの話を聞いたユストはショックを受けて一人になりたいと言った。聞いた話をぐるぐる考えているうちに眠ってしまったのだろう。  お腹の空き具合からずいぶんと時間が経っていると感じた。  きっともう夜中だよね。  くうくう鳴るお腹をさすっていると、昼間に聞いた話が思い出される。  フロレンツはユストのお腹を切ってその中に人魚の胎を入れると言っていた。ユストは人魚の雄だからきっと問題なく人魚の胎が馴染むはずだとも。そうすればユストは獣人の仔を孕めるというのだ。  ユストが世話をしていた雌猿や母猿のことが思い出される。罠にかかり、力ずくで押さえつけられ、大勢の猿獣人たちに交尾される様子。その行為でほとんどの雌猿は衰弱し死んでしまう。運良く――運悪く孕んだ雌猿の半数以上は仔が流れる。  大事に世話をしていた。優しくしていた。だが彼女たちの不信感は拭われることなく、だからこそ治癒能力のあるユストが世話係をしていたのだ。  あんなことが自分の身の上に起こるのだと思うと腹の底から震える。怖い。  ユストは暗闇を見つめた。だんだんと闇に目が慣れてきてぼんやりと家具の輪郭が浮かび上がる。それを見るともなく眺めていると目がじんと痛み涙がにじんできた。  たくさん寝たせいでもう眠気もどこかにいってしまっている。ユストはのろのろと起き上がった。  外の空気が吸いたい。庭へと続く窓に目をやるとコンと小さい音がした。 「?」  風でなにかが当たったのかな、とユストは聞き流したが、またコツン、コツン、と鳴る。  ヴァレヒトはよく庭から遊びに来るのでヴァレヒトなのかなとユストは思った。今日は、大丈夫? と心配するヴァレヒトを気にかけてあげられなかった。邪険にするつもりはなかったがユストにだって余裕はなかったのだ。 「可哀想なことしちゃったな」  ヴァレヒトはユストより体は大きいがまだまだ子供だ。きっと昼間のことを気に病んでやって来たのだろう。  自分の身にこれからもたらされることを思えば、お世辞にだって大丈夫とは言えないが、それでもヴァレヒトのせいじゃないと慰めることはできる。  ユストはベッドから下りると窓を開けた。 「ヴァレヒト王子?」  庭へ下りるための小さなテラスになっているところへ裸足で出てみる。夜気を含んだ石がひんやり足の裏に吸いつく。  階段の端まで行って庭を眺めるが、木々は闇に沈んだままヴァレヒトの美しい金の被毛は見当たらない。 「気のせい……かな?」  呟いて部屋に戻ろうとすると目の前の茂みがガサリと動いた。 「……ユスト」 「ハーラント!」  耳に馴染んだ声に、言葉より先に足が動いた。夜露に濡れた草を蹴り飛ばしてハーラントに飛びつく。  たった数日離れていただけなのに懐かしい体温を全身で感じる。胸に顔を埋めてハーラントの匂いを吸う。それがどれだけ恋しかったか実感した。 「会いたかったよ」 「ああ」  ハーラントはそんなユストを片腕でしっかりと抱き締めた。ぶっきらぼうな口調に気持ちがにじむ口調はまさしくハーラントのものだ。グリグリと胸元に頭を擦りつけていると、ふと旅で嗅ぎ慣れた臭気に気づいた。 「ハーラント、ケガしてるのっ?」  血の臭いに顔を上げるとハーラントと目が合った。暗い思い詰めた色は初めて見る。 「ケガはしていない」 「で、でも……」 「いいから。俺の話を聞くんだ」  瞳の強さに押されてユストは頷いた。 「おまえをここから逃がす」 「え? どうやって?」  ユストは自分のいる場所が王宮のどこかさっぱり分かっていなかった。でもハーラントと別れてから迷路のような入り組んだ通路を延々と案内されてきたことと、この場所が後宮と呼ばれ、かつては王族の家族が暮らしたところと聞かされて簡単に外と行き来できるとは思えなかった。だからこそユストが自由に庭に出たり、ヴァレヒトたちが気軽にやって来れるのだ。 「俺の翼をおまえにやる。それで飛んで逃げるんだ」 「翼? ハーラントの?」 「ユスト。頼むからただ俺の話を聞いてくれ。説明している時間がないんだ」  ハーラントはひと息にそういうと身に着けた甲冑を脱ぎ捨てた。茶色い被毛に覆われた逞しい上半身が露わになる。 「俺たちは同類だ」 「ハーラントはキメラの一族って……」  ユストは王の言葉を思い出した。そういえば『麗しい同族愛』とも言っていた。 「人魚は卵胎生といって胎の中で卵から孵る。そこで兄弟を食い合って一匹だけが生まれるんだ。雄は雌より弱いからだいたい胎の中で食われる。だから人魚に雄はいないと思われているんだ。だがときどき運のいい雄がいる」 「それがぼくやハーラントなの?」 「そうだ。そうやって生まれてくる人魚の雄は他の生き物を取り込むことができる。こんな風にな」  ハーラントの茶色い被毛が羽毛に変わる。豊かなたてがみがなくなり輪郭のシルエットが細くシャープになる。ふるりと頭を振ると、ユストの前には大鷲の鳥獣人がいた。 「ハ……ハーラント、なの?」 「ああ」  口調も声音もハーラントだ。だが見知らぬ姿。 「俺たちは取り込みたい相手の肉を食うことで能力や姿を手に入れる。おまえが肉を食えれば、キメラにしちまうことも考えたんだが……」  そこでハーラントは息を吐いた。 「おまえの治癒能力があれば、同族の俺の翼ならおそらくつくと思う。絶対と言ってやれなくてすまない」 「そんなことしたらハーラントは……キメラの一族はどうなるの?」 「俺たちのことは気にしなくていい。俺はおまえを見逃すべきだった……」  ハーラントは瞬く間に獅子獣人の姿に戻ると剣を拾い上げた。左の腕を翼に変えると切っ先を肩口に当てる。 「右はおまえが落としてくれ」 「だめーっ!」  ユストはハーラントの右腕に飛びついた。

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