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【6】-1

 小さい頃、家族でよく旅行に出かけた。  外国のホテルでの夢のようなひと時。三つ上の姉と両親と自分の四人が、ありふれた郊外の家を離れて、ふだんと違う日常に身を置く。  ただそれだけのことが、妙にくすぐったくて嬉しかった。  いつもより優しい姉と仲のよい両親、きれいな建物と美味しい食事。たくさんの楽しい思い出がそこにある。  玲の両親は日ごろから仲が悪いわけではなかったし、姉もどちらかといえば優しいほうだった。それでも、旅の思い出の中の家族は、ふだんより幸せそうに見えた。  姉は去年結婚して、来年の春には子どもが生まれる予定だ。玲が就職したのを機に実家は二世帯住宅に建て替えられ、今はそこで両親と姉夫婦が仲よく暮らしている。  旅行好きの両親の影響で幾度となく訪れた「ホテル」という場所は、玲にとっていつしか特別な場所になっていた。  言葉の通じない慣れない国で、安心して過ごせる場所。誰もが笑顔で満ち足りている。実際にはいろいろなことがあるのだろうが、玲の中で「ホテル」は家と同じか、それ以上にくつろげる場所だった。  小学生の頃、玲は旅行先のケアンズに着いてすぐ、激しい嘔吐に見舞われた。フロントでチェックインする両親を待つロビーで、缶ジュースを口にするやいなや、急に勢いよくそれを吐いてしまったのだ。  そばにいたポーターの制服を汚しながら涙を流していると、そのポーターが優しく髪を撫で「大丈夫だ」と何度も励ましてくれた。  汚された服のことなど少しも気にせず、玲のことだけを気遣って、姉が両親を呼びに行っている間ずっと腕に抱いていてくれた。言葉のわからない初めての国で、玲は少しも不安を感じることはなかった。  結局その嘔吐は、長いフライトの間ずっと眠っていたために水分補給が足りず、一種の脱水状態に陥っていたところに、急にたくさんの水分を摂ったことが原因だった。少し休んでから再びゆっくり水分を摂ると、玲はすぐに回復した。

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