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目の前に 現れたのは 魔神さま
聖バームスロット王国。
ここは人間だけでなく、獣人、精霊、魔物などが住まう剣と魔法の国である。
もちろん江戸でも日本でも、はたまた地球でもない。
異次元の、いわゆるファンタジーの世界なのだ。
バームスロット第四騎士団――通称“黒の騎士団”の団長であるはラドバウト・カイゼルは、この日も王城内にある訓練所で部下の指導に当たっていた。
「貴様ら! もっと気合いを入れろ!」
「はいっ!!」
喧 しい剣戟に負けないほどの大声で檄を飛ばしたラドバウトに鼓舞された団員たちの声が、訓練場に木霊する。
黒の騎士団は他国と戦争における実働隊だ。そのため団員は、騎士団の中でも特に腕っぷしの強い猛者揃い。
ひとたび戦に出れば、敵の屍で小山ができるとまで言われているのだが、現在戦争は行われていない。周辺諸国からもきな臭い話は一切聞こえて来ることのない、平和な世の中。そのため黒の騎士団が活躍する場は皆無である。
とはいえ有事に備えて訓練を欠かさず、僻地に現れる魔獣を討伐するなどして、日々鍛錬に励んでいるのだ。
そんな猛者が揃った黒の騎士団の中でも、団長であるラドバウトはその強さと冷酷さから国内外で“魔神”と呼ばれ、恐れられている人物である。
魔人と聞いて厳めしいブ男を連想されるかもしれないが、ラドバウトは目鼻立ちが非常に整っており、ゾッとするほど美しい顔立ちをしている。いわゆるイケメンと言うやつだ。
名門伯爵家の嫡男として生を受け、本来ならば何もせずとも悠々自適の生活を送れる身でありながら、次男に家督を譲って騎士の道を選んだ変わり者。しかも自分の手で功績を上げて現在の地位に立っているものだから、人気が出ないわけがない。
ラドバウトの周辺は常に、彼に秋波を送る男女が数多く取り巻いていた。
切れ長の目で一睨みされただけで失神する淑女も多く、「あのアイスブルーの冷たい瞳に見つめられるとゾクゾクする」なんて、マゾヒズム丸出しの発言をする者も少なくない。
過去には前国王すらもその魅力の虜となって、ラドバウトを王配に据えたいと願ったほど。
聖バームスロット王国では同性同士の恋愛や結婚が許されているので、前国王がラドバウトを望むのは何もおかしいことではない。
しかし国王には次代を儲ける義務がある。だから男であるラドバウトとの婚姻は承服できないと、家臣らから猛反発を喰らってしまった。
しかもラドバウト自身、王配になる気がさらさらない。なんなら王に対して、恋心すら抱いていない状態なのだ。
無理に結婚させられるなら他国へ亡命すると宣言したこともあり、王は涙を呑んで諦めるしかなかったのである。
この一件は世間を大いに賑わせ、彼の魅力がどれほど凄まじいものかを、改めて周知させる結果となった。
これほどまでに人心を掴んで離さないラドバウトは、これまで恋愛に興味を持ったことが一切なく、恋人や婚約者は存在しない。降り注ぐ数多 の求愛を全て無視して、三十二歳になる現在も独り身を貫いていた。
曰く「恋愛など面倒だ」――と言うことらしい。
だからどんな美男美女であろうが、権力を持っている人間であろうが、常に塩対応。
冷たいな態度がさらに人気を高め、聖バームスロット王国では誰が魔神ラドバウトを堕とすのか、賭けの対象にまでなっている始末である。
そんなクールビューティー、ラドバウト。今日も団員たちの訓練指導に余念がない。
響く怒声、飛び散る汗と、流れる血……言葉は無用、語り合うなら肉体言語。
それがラドバウトの日常であり、生き様なのだ。
やがて昼を告げる鐘の音が辺りに鳴り響く。
訓練に余念がなかった団員たちから、安堵にも似たため息が零れた。
朝からずっと集中して体を動かしていたのだ。腹が減るのも当たり前だろう。
「休憩の時間だ。午後からの訓練に向けて、各自ゆっくり休むように」
「はいっ!」
各々汗を拭い、昼食を摂るために食堂へ向かおうとしたそのとき。
バッシャーーーーーーーーーン!!
訓練場のすぐ脇にある水中訓練用のプールから突然、轟音と共に水飛沫が上がった。
「なんだっ!?」
突然の事態に、団員たちの間から驚きの声が漏れる。
「誰がプールに入った!!」
ラドバウトの問いに答えられる者はいなかった。
今日はプールでの訓練はなく、誰一人近付く者はいないと思われていたからだ。
「団長! プールから基準値を大幅に超える魔力が感じられます!!」
黒の騎士団付きの魔道士であるヘイス・ビッセリンクが、悲鳴にも似た声を上げた。
この世界に生きる者は誰しも魔力を持っている。
それは個体差や種族差があり、人間を基準に考えると動物や昆虫は魔力が格段に少なく、獣人は人間とほぼ同等。精霊や魔物は人間よりも高い魔力を持つとされている。
ヘイスがプールから感じたのは、人間が持つ魔力を遥かに超えたものだった。
「これはもしや……高位の魔物!?」
高位の魔物は、一瞬で町を破壊し尽くすだけの魔力を持っている。
国境沿いには魔物が入れないよう結界を張っており、特に王都周辺はその結界を幾重にも張り巡らせている。
まれに辺境の地に張った結界が解 れて魔獣が入り込む場合もあるが、王都までやって来るなんてことは絶対にあり得ない。
にもかかわらず、魔物とおぼしき個体がプールに出現したのだ。驚くなというほうが無理というもの。
総員、無言のまま小走りでプールに駆け寄ると、陣形を整えて戦闘準備に入った。
一同に緊張が走る。
やがて水面に浮かんできたのは――。
「ガハアッ! ゲホゲホ、ゲホゴホ、ゲェェッ……」
噎 せて咳き込む一人の子ども。
見たこともない奇妙な髪型と服装をしているが、それ以外は至って普通の人間に見える。
「……これが魔物か?」
傍らに立つヘイスに声をかけるも、彼も首を傾げて
「尋常ではないほどの魔力を感じることは確かなんですが……」
と、不安そうに答えるに留めた。
力ある魔物と何度も相対したヘイスですら、目の前の子どもの正体が掴めていないようだ。
一方魔物(仮)はというと、周囲を屈強な男たちに取り囲まれていることにも気付いていない様子で「うへぇ、えれぇ目にあった」なんてことを言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
その動きに、男たちが一斉に武器を構える。
子どもはここで初めて、周囲の様子に気付いたようだ。
目を皿のように丸くして「はぁ?」「異人?」なんてブツブツ呟いている。どうやら混乱しているらしい。
――隙だらけだな。いくら魔力を膨大に持つ魔物といえども、今剣を振り下ろせば簡単に切り刻めるかもしれない。
いや、その前に正体を確かめて、侵入経路と目的を調べるのが先か……ラドバウトは剣を構えたまま、子どもの前に一歩出た。
「何者だ、お前は」
相手の喉元に剣を突き付けて尋ねたが、なんの返答もない。
ラドバウトには目もくれず、キョロキョロと辺りを窺っている。
「聞こえているんだろう? どうやって王都に入り込んだのだ」
ラドバウトが苛立ちを覚えたそのとき。
「んじゃこりゃあああああああああ!! ここは一体どこなんでえええええええええええええ!!」
子どもが突然、絶叫を上げた。
あまりの大声に全員が慌てて耳を塞ぐ。
「音波攻撃か!?」
ラドバウトがヘイスを振り返る。
「いいえ、魔力は乗っていません! ただの大声のようです!」
魔力攻撃を受けたわけではないことにひとまず安心したが、不審者をこのままにしてはおけない。
「おい、そこの子ども!」
呆然とした様子の子ども――ハチに声をかけると彼は真っ青な顔をしながら
「なぁなぁ、ここは一体どこなんでぇ! おいら早いとこ随運堂 ん家 に、あっ、その前におきぬちゃんに文を届けなきゃなんねぇし、長屋で六爺 が待ってるし」
とラドバウトに詰め寄りながら捲し立てた。
「おっ、おい、ちょっと落ち着け」
ハチの思わぬ反応と勢いに、むしろラドバウトの方が慌ててしまう。
普段は物事に動じない“魔神”が小さな子ども相手にオタオタする姿に、周囲を取り囲む団員たちは驚いた。
どんな相手にも態度を変えず、何があっても動じることのないクールビューティーが、見るからに戸惑っているのである。
こんな団長は初めてだ……と、総員固唾を飲んで見守った。
「いいから落ち着け!」
自分の服を掴んだまま喚くハチに向かって、ラドバウトは大声を上げた。
猛者と呼ばれた黒の騎士団員ですら萎縮するラドバウトの一喝に、ハチの動きがピタリと止まる。
「お前は一体何者だ。どうやってここに入り込んだ」
呆けていたハチの目にジワリと涙が浮かび上がったのを見て、ラドバウトはギョッとした。
「わかんねぇ……」
「はっ? そんなわけないだろう」
「わかんねぇもんは、わかんねぇんだよ! うわーーーん!!」
恐慌状態に陥ったハチは、我を忘れて泣き叫んだのである。
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