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ちょっと待て 尻を見せるな 隠すんだ!
突然おいおいと泣き出したハチを前に、ラドバウトはおろおろと狼狽えるしかなかった。
「あの……団長……」
固まったまま動かないラドバウトに、ヘイスが声をかける。
「とりあえず、詰め所で詳しい話を聞いてみませんか? このままじゃ埒 があきませんよ」
「お、おぉ、そうだな。お前、歩けるか?」
しかしハチはラドバウトの問いかけに答えない。
否、答えられなかった。
どうしてどうして……と頭の中を疑問がグルグル駆け巡り、ラドバウトの言葉など聞こえていなかったのだ。
涙や鼻水で顔をグシャグシャにするハチに、ラドバウトは哀れに思えて仕方なかった。
「しょうがないな」
そう言ってハチを抱え上げ、詰め所に向かうことにした。
ラドバウトが他人に対してこんなことをするのは、生まれて初めてだった。しかもヨシヨシと背中を撫でて、あやし始めたではないか。
そんな姿を見た団員たちの間から軽いどよめきが起こったが、無視して歩みを進めた。
ハチの体を濡らす水が、ラドバウトの服に徐々に染み込んでくる。
――冷たいな。
いくら暖かいとは言え、もう九月。真夏と違って、プールの水はだいぶ冷たいようだ。
急いで着替えさせた方がいいと判断し、団員に服を用意するよう命じる。
「ですが団長、その子が着られそうなサイズがあるかどうか……」
「む」
たしかにハチは、彼の腕にスッポリ収まる小ささである。
恐らく十歳前後の子どもだろうと、ラドバウトは考えた。騎士団内に、その年頃の子どもが着られそうな服は、生憎置かれていない。
しかしこのままにしておけないのも、確かなわけで。
「ひとまずは、あるもので間に合わせよう。それから至急子ども服を手配してくれ」
「はっ!」
「それで団長、この後はどうします?」
後ろを歩くヘイスが尋ねる。
「そうだな……まずはこの子どもが何者か調べる必要があるだろう」
見た目は人間のようだが、もしかしたら精霊か魔物という可能性もある。
慎重に取り調べる必要があった。
「じゃあ僕は、検査の準備に取り掛かりますね」
「あぁ、任せた」
ヘイスとほかの団員は、一足先に詰め所へ駆けて行った。
その後を追いかけるように、ラドバウトも歩き続ける。ハチは依然泣き止まない。
零れ落ちそうなほど大きな目から大量の涙が溢れるのを見て、ラドバウトの胸がキシリと音を立てる。
「もうそんなに泣くな」
“魔神”と恐れられるほど、冷酷なラドバウト。彼は目の前で子どもや貴婦人が泣き出しても心動かされたことなど一度もなく、面倒ごとを避けるためなら冷たい対応を取ることも厭わない。
だがハチの泣き顔を見ただけで、なぜかガラにもなく動揺してしまうのだ。
そのことにラドバウトは激しく戸惑った。
――調子が狂うな……。
ヒックヒックとしゃくり上げるハチの背中をポンポンと撫でながら
「もう大丈夫だ。大丈夫だから泣き止んでくれ……」
懸命になって宥め続ける。
そんな団長の姿に、団員たちは何かいけない物を見たような気分になって、ソッと目を逸らしたのだった。
**********
詰め所の取り調べ室に入ると、先に向かった団員がタオルと着替えを手に待っていた。
しかし着替えただけではまだ寒かろう。それほどまでに腕の中の体は冷え切っている。ホットミルクを持ってくるよう命じてから、ハチを床に下ろした。
「その格好では風邪を引く。まずは着替えてくれ」
タオルを差し出すと、ハチは不思議そうな顔をしてそれを見た。
「なんですかい、これは」
「タオルを知らないのか?」
江戸にタオルなんて物は存在しない。体を拭くのは手拭いと決まっている。
初めて見るモコモコフワフワの布に、ハチの涙がようやく引っ込んだ。
それを見てラドバウトもようやくホッとしたのだが、その反面タオルも知らないとはどんな田舎から出てきたのだ? と疑問が湧いた。
それともタオルなど必要としない精霊か、はたまた魔族か……。
魔族の場合はやっかいだな、と内心で舌打ちする。
「とにかく体を拭いて、こちらの服に着替えるんだ」
用意されたのは白いシャツとカーキ色のズボン。それからとベルトとも下着も用意されている。
「着替えはこちらの衝立の裏で」
そこまで言ってハチを振り返ったラドバウトは、ギョッと目を剥いた。
ハチはなんと、さっさとその場で服を脱ぎ始めていたのだ。
「ちょっと待て!」
聖バームスロット王国では男女ともに、他人の前で肌を晒すことはない。例外は家族だけである。
ただし年頃になると親兄弟の間でも肌を見せることはなくなり、唯一自分の伴侶の前でのみ裸体を晒すのだ。
だからラドバウトは慌てた。
大いに慌ててしまったのである。
しかしハチは江戸っ子だ。
日に二度は湯屋へ行き、大勢の前でスッパーンと着物を脱いで、全裸で湯に浸かる。
だからラドバウトの前であろうと、平気で裸になれたのだ。
「なぜお前は脱いでいるんだ!」
「え、だって着替えろって」
「しかも尻まで丸出しにしてっ!!」
ラドバウトは顔を真っ赤に染めて、ワナワナと震えている。
まさかプリッとかわいい尻を惜しげもなく晒すような者がいるなんて、ラドバウトの常識では考えられない。
――誘っているのか? この子どもは俺をベッドに誘っているのか!?
しかし当然のことながら、ハチにそんな気は全くない。
尻丸出しと言われても自分は褌を締めているわけだし、目の前の男がなぜ戦慄 いているのか、ちっとも見当が付かないのだ。
「とにかくこちらで着替えるんだ!!」
ラドバウトはハチを衝立の向こうへ追いやると、額に手を当てて大きくため息をついた。
どうも調子が狂って仕方ない。
もしや、あれは淫魔か? そういえば確かにかわいらしい顔立ちをしているな。
淫魔といえば妖艶で淫靡な容姿をしている者ばかりだと思っていたが、あんな愛くるしい姿をした者までいるとは……。
ラドバウトの喉がゴクリと鳴る。
これまでどんなに美しい者にも心奪われたことのないラドバウトは、ハチによって心が掻き乱されたのはきっと、彼が淫魔だからに違いないと結論付けた。
――でなければこの俺がここまで動揺するなんてこと、ありえるわけがない!
淫魔払いはどうやればよかったか……なんてことを考えていると、衝立の向こうからハチの声がした。
「あのぉ……」
「なんだ?」
冷静さを装い、わざと厳めしい声で返答する。
「着物が随分大きいようなんで」
「キモノ……? もしかして服のことか? ここにはお前が着られるサイズはないからな。今はそれで我慢してくれ」
「わかりやした。それから帯も貸してもらえませんかねぇ」
「……?」
「このままじゃ下履きが、腰から落ちちまうんですよ」
「下履き……腰……ズボンのことか? そこにベルトもあるだろう?」
「べると?」
不思議そうな声がする。もしやベルトを知らないのでは? ラドバウトは嫌な予感がした。
「ちょっといいか、入るぞ」
衝立の中に入ると、シャツを羽織ったハチがいた。
随分困った顔をしながら、ラドバウトを見上げている。
「なんだ、ボタンを留めていないのか」
シャツを着てはいるものの、ボタンが一つもはめられていない。
「ぼたん……?」
「もしかして、ボタンも知らないのか?」
驚くラドバウトに、ハチは申し訳なさそうな顔をしながらコクリと頷いた。
実は日本でも幕末には、ボタンの付いた洋服状の装束は存在している。日本の行く末を決める戦において、兵士らの一部はボタン付きの服を着て戦場を駆け抜けた。しかしこのころの庶民は、着物が一般的なのだ。
なお洋服が普及し始めるのは、明治三年になってから。海軍と陸軍の軍服に洋装が取り入れられたのをきっかけに、庶民の間でもジワジワと浸透していくのである。
明治元年からやってきたハチがボタンの留め方を知らないのは、仕方のないことなのだ。
しょうがないな、と言いながらラドバウトはハチの胸元に手をかける。ボタンをはめてやるためだ。
シャツに触れると、その間から少し日に焼けた象牙色の肌と、その向こうにある薄紅色の目印……小さな体に対して少し大きめの乳輪が目に入った。
その中央に鎮座する乳首は、体が冷えているせいか硬くしこってぷっくり立ち上がり、まるでラドバウトを誘っているようにも見える。
「……っ!」
ハチの乳首に下半身がズクンと疼く。
己 の股間が硬くなりかけたことに、ラドバウトは大いに動揺した。
――なぜ! 今! 勃つ!?
恋愛ごとなど煩わしいと思っているラドバウトだが、欲を解消するために幾度も他人と肌を合わせてきた。
いくら他人に肌を見せない風習のある聖バームスロット王国とは言え、性交するときは胸や陰部は晒さざるを得ない。だから乳房はおろか乳輪だって乳首だって、ラドバウトには見慣れたもののはずだった。
なのに今、ハチの乳首を見ただけで己の分身が勃起しそうになろうとは……。
――無だ! 心を無にしろ!!
これまで経験したことのない現象に戸惑いながらも、煩悩を振り払うべく頭の中で何度も「無! 無!」と呟きながら、ハチのボタンを留めてやったのだった。
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