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この子ども 異世界人って マジですか

「それでお前、名前は?」  目の前のボタンに意識を集中しながら、ラドバウトは問うた。 「ハチ」 「……ハチ? なんだそれは。本当に名前なのか?」  聖バームスロット王国では聞いたこともないような名前に、ラドバウトは驚いた。 「家名は?」 「カメイ? ……あぁ、家名か。そんなもん、ありゃしませんよ。お武家さまじゃあるまいし」 「家名がない……だと?」  ハチが言うのも当然である。  日本で庶民が名字を名乗れるようになったのは、明治三年のこと。明治元年からやってきたハチに以下略。  しかし聖バームスロット王国では貴族だけでなく、一般庶民にも全て名字がある。  だからこそラドバウトはハチの答えに驚いた。 ――精霊や魔物も名前しかないと聞いたことがある。この子ども、やはり淫魔に違いないのか……?  もはやラドバウトの中で、ハチが淫魔であることは確定済みのようだ。 「それでお前、どこから来たんだ?」  淫魔が生息する地域は大きく分けて二つ。西と南である。  西の淫魔は比較的穏やかで人間と良好な関係を築いているが、南の淫魔は貪欲といわれている。腹を満たすために村や町を次々に襲い、一晩にして一国を滅ぼしたという伝説まである。  だから人間たちの間では『南の淫魔に近付くな』と言うのは共通の認識なのだ。 「西か、南か」  ラドバウトはハチに気取られぬよう、腰に()いた刀に意識をやった。もしも南から来たというのであれば、一刀に伏すことも辞さない考えだ。  しかし。 「谷中三崎町」 「はっ?」 「住まいは谷中三崎町のおけや長屋で、落っこったのは千駄木の合染橋でございやす」  ハチの答えは予想外のものだった。 ――センダギ・ノ・アイゾメバシ? ヤナカサンサ……? なんだその地名は。聞いたことがないぞ。  ラドバウトは混乱した。  一瞬、ハチが嘘をついているのではと疑ったが、その顔は至極真面目なものである。ラドバウトを騙そうとしている様子は、微塵も感じられない。 「その……ヤナカサンなんとか言う場所は、どこの国にあるのだ?」 「江戸に決まってまさぁ」  エド。  また知らない国名が飛び出した。  ラドバウトは首を捻るばかりである。 「そのエドから、なぜこの国に来た?」 「それが皆目見当つかねぇんです。おいら喧嘩の仲裁に入ったときに、突き飛ばされちまって。そしたらはずみで藍染川に落っこちて。そんで気付いたら、あそこにいたってわけでさぁ」  ハチは懸命に説明したが、ラドバウトからしてみれば大きな矛盾だらけだった。  川で流されたと言っているが、ハチが現れたのはプールの中である。水は魔道士たちが魔法を使って入れており、川から引いているわけではない。  つまりどこからか流されてくること自体、あり得ない話なのだ。  うぅむと考えているとドアをノックする音が聞こえて、ヘイスが入室してきた。 「団長。魔道具とホットミルクをお持ちしました」 「あぁ、すまないな」  ハチの体を温めるためのミルクを頼んでいたことを、すっかり忘れきっていた。 「続きはあちらで聞こう」  ソファにハチを促したのだが、どうやら様子がおかしいようだ。  歩くのに難儀している。 「どうした?」  よく見るとハチは、ズボンを両手で押さえて引き摺りながら歩いている。  その姿はまるで、武士が穿く長袴(ながばかま)のようである。 「ベルトは……あぁ、そうか。もしかしてお前、ベルトの使い方もわからないのか」  ラドバウトの言うとおり、ハチはベルトの締め方がわからなかったのである。 「これもわからないとは……」  ラドバウトはため息をついてベルトをしめてやった。腰回りはなんとか落ち着いたものの、それでもまだ引き摺る裾と、ついでにブカブカのシャツの袖口も折ってやる。  ようやく聖バームスロット王国の衣服を身に付けることができたハチだったが、着ていると言うよりも服に着られている格好だ。 ――いやしかし、これはこれでかわいらしいな。  そこまで考えて、ラドバウトはハッとした。 ――だから、かわいいとはなんだ! 俺は一体何を考えている!!  ブンブンと頭を振って煩悩を追いやるラドバウトを、ハチとヘイスが訝しげに見ていたことに、当の本人は全く気付かない。 「ともかくまずはミルクを飲んで。落ち着いたら少し検査をさせてくれるかな?」 「検査?」 「難しいことではないよ。この魔道具に手を置くだけの、簡単な検査だからね」  それは手を置いた者の魔力量と種族が判別できる、直径三十センチほどの水晶玉だった。 「ほぇぇ……綺麗だなぁ」  やたら感激しながら玉を見るハチ。生まれてこの方、向こうが透けて見えるほど澄んだ玉なんてお目にかかったことがないのだ。 「さぁ、冷めないうちにどうぞ」  ヘイスがホットミルクの入ったカップをハチに手渡す。 「甘酒?」なんて言いながらも、大人しくズズズと一口啜って……。 「美味(うめ)ぇ!」  程よい温かさと優しい甘さ。水や茶よりもコクがあり、飲むごとに腹の中がポカポカと暖かくなっていく。「美味ぇ美味ぇ」と言いながら、ハチはあっと言う間にミルクをゴクゴク飲み干したのだった。 「ご馳走さん!」  パンと手を合わせ、ラドバウトとヘイスに礼を言った。  冷えた体も温まって、すっかり上機嫌のハチ。新し物好きの江戸っ子ハチは、都々逸(どどいつ)の一つでも歌いたくなるくらい、気分が高揚したのである。 「じゃあ、この玉に手を乗せて」  言われたとおり水晶玉に手を置くと、玉が黄色く光り輝き始めた。  しかもそれは瞬く間に、目が開けていられないほどの眩しさを放ったのだ。 「うわっ!」  あまりの光量に、三人は咄嗟に目を瞑るしかない。 「ハチ! もう手を離せ!!」  ラドバウトの叫びを聞いて、ハチはパッと手を離した。  途端に消える光。室内に沈黙が降りる。 「……やはり凄まじい魔力量を持っているようだな」  実はこの玉、触れた者の魔力量に応じて光量が変化するのである。  魔力が少ない場合はほんのり光る程度。そして強い者は眩いほどの輝きとなる。  しかしハチのように目が開けていられないほどの光を放つ人間は、未だかつて一人として存在しなかった。  つまりハチは普通の人間ではない、と言うことが立証されたわけなのだが。 「しかし、黄色だったな」 「はい。と言うことは」 「いや待て。しかしそんなはずは……」 「ですがこの魔道具に、万に一つの間違いもありませんから」  ラドバウトとヘイスが何やら言い合いを始めたのを、ハチは呆然と眺めた。  手を置いただけで光り輝く玉なんて、見たことも聞いたこともない。とにかく仰天して、言葉も出なかったのだ。 ――ありゃ手妻(手品)か何かか? 噂には聞いてたけど、異国っつーのは本当にすげぇ所だな。  ハチの中で“異国”とは、泰平の眠りを覚ました黒船を有する国である。  あんなバカでかい船が作れる国なのだから、庶民のハチが知らない物凄い手妻があってもおかしくないと、納得してしまった。  もっともここはハチの思う“異国”とは全くかけ離れた場所なのだが、そのことにまだハチは全くもって気付いていない。 「僕では詳しいことがわかりませんから、マルセル師に来ていただいてもよろしいですか?」  それはヘイスの師匠の名だった。  人間のわりには膨大な魔力を有しており、聖バームスロット王国の筆頭魔道士として名高い人物だ。  また国一番の長老である彼は“生き字引”と言うあだ名されるほど、さまざまな知識に精通していたりもする。 「そうだな。マルセル殿ならば何かわかるかもしれない」  ヘイスにマルセルを呼びに行かせている間、ラドバウトは横目でハチの様子を観察した。  見れば見るほど珍妙な子どもである。  特筆すべきはその髪型。なぜ額から頭部中央にかけて禿げ上がっているのだろうか。  よく見ればその部分が青々としている。もしかしてこれは、わざわざ剃るか抜くかしているのだろうとアタリを付ける。  こんな髪型は聖バームスロット王国はおろか近隣諸国でも、はたまた精霊や魔物の間でも見たことがない。  しかも横や後ろの毛は伸ばして一つに纏めているようだ。 ――そしてなぜ、結わいた髪を頭の上に乗せている。  ますますもって、理解不能。  それから最初に着ていた服。  シャツは着用しておらず、素肌に上着のようなもの纏って腰の部分を紐で縛っているだけ。  ボタンもベルトも知らない。極めつけはあの下着……。 ――下着のくせに尻が丸出しとは、穿く意味があるのか?  ラドバウトの知る下着とは、陰部や臀部を隠して当然のもの。  褌なんてものは、この世界には存在しなかった。  考えれば考えるほど、謎は増えるばかり。ラドバウトの頭の中は疑問でいっぱいになり、次第に眉間に皺が寄っていく。  そんな彼に気付かないハチは、暢気に部屋の中や窓の外を眺めている。  やがてヘイスが真っ白い髭を蓄えた、仙人のような老人を連れて戻ってきた。  彼こそが、筆頭魔道士であり生き字引として有名なマルセル師、その人である。 「マルセル殿。ご足労いただき、誠に申し訳ありません」 「そんなに恐縮せんでもよい。ちょうど暇を持て余していたところじゃ。それよりも、何やら愉快な人間が沸いて出たと聞いたが?」 「はい、実はこの子どもなのですが」  傍らに座るハチを示すと、マルセルは細い目を見開いて「ほぉぉ!」と一声唸った。そして嬉しそうに目を輝かせ始めたのだ。 「マルセル殿?」  怪訝な顔をするラドバウト。老師がこんなにも喜んでいる理由が、皆目見当付かない。 「ラドバウト団長。こりゃあ珍しい子を拾いましたな。詳しく調べてみないことには、ハッキリとしたことは言えんのだが、儂の見立てでは十中八九、この子は異世界からやってきた者じゃろう」 「異世界人!?」  まさかの言葉に、ラドバウトは唖然としながらハチを凝視したのだった。

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